遠い日の希望へ向けてなんとか今日の一歩を

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人生は内的にはまじめに生きるもの


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人を傷つけるやさしさは

ほんとうに他者のためのやさしさではなく

自分のためのやさしさ。


自分がやさしい人間でありたい。

やさしい人間に思われたい。

そして何より

やさしさを出すことで、自分になんらかの攻撃が向けられるのをあらかじめ回避するため。


同情によるやさしさも

時には、純粋なもののように見える場合があっても

単に自分の感情におぼれているのに過ぎない。


そうしたやさしさは

どれもが自分のための自分勝手なやさしさ。

お互いに、けん制しあってそれを演じあっているときはいい。

でも、人が本当に傷ついているときには

そうしたやさしさは何の益もないどころか毒になる。



思いがけないトラブルやミスが重なって


久しぶりに気持ちがどーんと落ち込んだ


自分のふがいなさに


かなりなげやりな気持ちになった


だが


時間が経ってくると


不思議な心地よさが広がりはじめた


変に入りすぎていた力が抜けたことに気がついた


良い意味の開き直りができた感じがする


しかしそれもこれも


他人から救いが来ることによる


その救いとはこの問題そのものについての慰めや励ましではなく


そんなこととはまったく関係のない形で


自分の仕事に喜んでくれている取引先からの声だ


試練も他者を通して来るけど


それを良いものに変容させるきっかけも他者から来る


どちらも恵だな

女性が顔の小さなシミを気にしたりする


化粧品メーカーが化粧品を売りたくて


そういうコンプレックスを生み出してきたところもあるだろうけど


もともと人間には小さなシミやキズを気にしてしまうところがあるのかもしれない


車のちょっとしたキズが気になって仕方ないという人もいる


いずれも他人はそれほど気になどしてはおらず


本人だけが気にしていることが多い


他人のそうした小さな欠点を気にしているのは


同じようにそれにとらわれている人だけだ


キレイな人は小さなシミがあったってキレイに見える




外見に関することなら


小さなシミやキズなんて気にすることはないよ


そんな風に言える


でも


自分の心のいたらないところは


大きく拡大して見てしまいがちだ


ちょっと人を憎んだり妬んだりしただけで


自分が憎しみや妬みに満ちたどうしようもない醜い存在のように感じてしまう


これは顔の小さなシミや車の小さなキズばかり気にしているのと同じことをしているということだ



そもそもコンプレックスというのは優越感の裏返しだ


自分が他人より優れた人間であるという思いがどこかにあるがゆえに


小さなシミやキズが気になるんだな