「ジブリ作品すきじゃないな~」って人に、出会ったことがない。
みんなそれぞれに好きな作品があって、その作品に個人的な「好き」の思い入れがある感じがする。
「ジブリで好きなやつ、なに?」って話しになると、「夏休みで行った旅行の話し」とおんなじくらい、それぞれの想いが伝わって来ます。
私もジブリ作品はそれぞれ好き。
中でも私の個人的な思い入れが強い子は、「おもひでぽろぽろ」のたえこちゃん。
あの子は、とても他人とは思えない、、。
「おもひでぽろぽろ」見ると、今でも心がぎゅ~~~っとされる感じがします。
たえこちゃんが「バックがないんだもん、、」と家族とのお出かけ前にぐずるところ、「分数を分数でわるってどういうこと~?」ってゆずれないところ、、。
私にも姉がいるせいか、特にやえこお姉ちゃんとたえこちゃんのやりとりには、なんだか自分を見るような気分ではずかしくなります。私はもっとひねた感じで、あんなにかわいらしい小学生ではなかったけども、「根っこの部分はおんなじね、、」って笑っちゃう感じ。
しかし「おもひでぽろぽろ」、初めてみたのは公開時で私は小学校5年生くらいだったと思うんだけど、そのときはさっぱり話しが掴めなかった。つまらなかったわけではない、、けど、むしろ小学生の私はなんだかショックに近いものを感じて忘れられない映画になった。あの、「27歳のたえこさんの周りを駆け回る小学生のたえこちゃんたち」という表現をまったく理解できず、「なんで小学生がうろうろするの~!?」と混乱していた、、。
まして、大人になったたえこさんが言ってる台詞なんて意味不明、、、。
だけど、徐々に自分が「27歳のたえこさん」に近づくにつれて、「あ~、、あれはこういうことだったんだね、、」って思うようになった。それは、映画とおんなじようなことが起こってきたから。
小学生の時、姉のまねばっかりして姉のものばかり欲しがったこと、親戚や家族の前でなんだか気まずい思いをしたこと、、夏休みや冬休みのおばあちゃん家でのこと、、。 27歳当時、私はボストンにいたけど、そこでの生活からつながっていくのは小学生のころの思い出。ボストンにいても、見える風景はおばあちゃん家の庭、、、。
最初は「どわ~、5年目にしてのホームシック再来なの、、」と、少し混乱したけど、「小学生の私」はいっこうに消えてはいかず、、、。混乱した気持ちはだんだんと「私はどこに行っても私だな~」って気持ちに変わっていった。そしたら、いろんな事が楽になりました。アメリカに来てからはアメリカ人の友人から「日本人だから、、」と言われたり、アメリカ生活が長い日本人の人には「なんでそんな日本人なの~」と言われたこともあり、ストレートに受け止めがちな私は「が~ん!!」となることが多かったが(笑)、だんだん、それまで必死に目指していた理想とする自分、はらなくていいところではっていた見栄、そういう不必要なものを徐々に脱げるようになっていた気がする、、。
今は、ロサンゼルスの海を前に見えているのは瀬戸内海、「ハッピーニューイヤー!」と叫びつつ、近くに感じるのはこたつで見た紅白、、そんな自分がいいんじゃない~と思えるようになったもんです、、。
私はもうとっくに「27歳のたえこさん」を通り越してしまったんだけど、「おもひでぽろぽろ」を見るたびに自分の「おもひでぽろぽろ」体験が重なって、まるで自分のアルバムを見ているかのような気分になるのです、、。そして最後の都はるみさんの歌に涙せずにはいられない、、。
自分の人生と重なっていく、、そんなジブリ映画の力にわたし達は心が惹かれてやまない、、のではないかな、、と「おもひで ぽろぽろ」をみるたんびに思います。
おばあちゃん家からの帰り道の思ひ出、、
おねえちゃんは、つよいね、、
みんなそれぞれに好きな作品があって、その作品に個人的な「好き」の思い入れがある感じがする。
「ジブリで好きなやつ、なに?」って話しになると、「夏休みで行った旅行の話し」とおんなじくらい、それぞれの想いが伝わって来ます。
私もジブリ作品はそれぞれ好き。
中でも私の個人的な思い入れが強い子は、「おもひでぽろぽろ」のたえこちゃん。
あの子は、とても他人とは思えない、、。
「おもひでぽろぽろ」見ると、今でも心がぎゅ~~~っとされる感じがします。
たえこちゃんが「バックがないんだもん、、」と家族とのお出かけ前にぐずるところ、「分数を分数でわるってどういうこと~?」ってゆずれないところ、、。
私にも姉がいるせいか、特にやえこお姉ちゃんとたえこちゃんのやりとりには、なんだか自分を見るような気分ではずかしくなります。私はもっとひねた感じで、あんなにかわいらしい小学生ではなかったけども、「根っこの部分はおんなじね、、」って笑っちゃう感じ。
しかし「おもひでぽろぽろ」、初めてみたのは公開時で私は小学校5年生くらいだったと思うんだけど、そのときはさっぱり話しが掴めなかった。つまらなかったわけではない、、けど、むしろ小学生の私はなんだかショックに近いものを感じて忘れられない映画になった。あの、「27歳のたえこさんの周りを駆け回る小学生のたえこちゃんたち」という表現をまったく理解できず、「なんで小学生がうろうろするの~!?」と混乱していた、、。
まして、大人になったたえこさんが言ってる台詞なんて意味不明、、、。
だけど、徐々に自分が「27歳のたえこさん」に近づくにつれて、「あ~、、あれはこういうことだったんだね、、」って思うようになった。それは、映画とおんなじようなことが起こってきたから。
小学生の時、姉のまねばっかりして姉のものばかり欲しがったこと、親戚や家族の前でなんだか気まずい思いをしたこと、、夏休みや冬休みのおばあちゃん家でのこと、、。 27歳当時、私はボストンにいたけど、そこでの生活からつながっていくのは小学生のころの思い出。ボストンにいても、見える風景はおばあちゃん家の庭、、、。
最初は「どわ~、5年目にしてのホームシック再来なの、、」と、少し混乱したけど、「小学生の私」はいっこうに消えてはいかず、、、。混乱した気持ちはだんだんと「私はどこに行っても私だな~」って気持ちに変わっていった。そしたら、いろんな事が楽になりました。アメリカに来てからはアメリカ人の友人から「日本人だから、、」と言われたり、アメリカ生活が長い日本人の人には「なんでそんな日本人なの~」と言われたこともあり、ストレートに受け止めがちな私は「が~ん!!」となることが多かったが(笑)、だんだん、それまで必死に目指していた理想とする自分、はらなくていいところではっていた見栄、そういう不必要なものを徐々に脱げるようになっていた気がする、、。
今は、ロサンゼルスの海を前に見えているのは瀬戸内海、「ハッピーニューイヤー!」と叫びつつ、近くに感じるのはこたつで見た紅白、、そんな自分がいいんじゃない~と思えるようになったもんです、、。
私はもうとっくに「27歳のたえこさん」を通り越してしまったんだけど、「おもひでぽろぽろ」を見るたびに自分の「おもひでぽろぽろ」体験が重なって、まるで自分のアルバムを見ているかのような気分になるのです、、。そして最後の都はるみさんの歌に涙せずにはいられない、、。
自分の人生と重なっていく、、そんなジブリ映画の力にわたし達は心が惹かれてやまない、、のではないかな、、と「おもひで ぽろぽろ」をみるたんびに思います。
おばあちゃん家からの帰り道の思ひ出、、
おねえちゃんは、つよいね、、