久々の日記です。
”それとなく日記”のTOPページを見れば、どれほど期間が空いたかすぐに確認できますが、
もう、記憶のうちでは思い出せないほど時間が経ってしまいました。
特に大切な話をしたいわけでもなく、ふと「書こう」と思いつらつらと書き始めています。
書き始めたはいいものの、「どんな話を書こうか?」といちいち手が止まる始末。
そういえば、ここ最近の私の音楽も似たような感覚です。
音楽を始めてから20代前半までは恐らく、「こんなことが書きたい!」「こんなことを言いたい!」
などと思っていることもあったのでしょうか、1ヶ月に十何曲も作っていました。
いや、ただ無知で純粋でもあり見えないものへの恐怖心もほぼなかっただけね。
1つ1つそれなりに歳を重ねて、体験や経験もしたりさせていただいたり
身についたものも数多くあったけれど、その中の3/5は恐れていました。
「こうやらなければいけない」「私の姿はこうあるべきだ」などと自身が作り上げた壁に思い当たり
一方、「いや、こうしてもいいのではないか」「こういう方法でも理解してもらえる」と
あっちへも、こっちへも意識は常に飛んだり流れたりで、
一向に表現がしづらくなっていたように思います。
現時点でもその声は止みませんが、ここはただの言葉として書き出しているようで
表現というよりは、独り言のような感覚です。
若さや自分なりの思考、想像力が年々、日に日に衰えていっていることを
自覚しています。
「私は音楽をやっている」から表現を続けなきゃ
という、あまりにも自分本位の考えと
「私には才能がない」と感じる恐怖心が
10代の音楽を始めた時の自分が嫌いだった人間に、いやミュージシャンに
近づきつつあることを
感じ始めていて、よせばいいのにずっと逃げまどっていました。
1の言葉でも気になってしまう人間にステージは無理だと
10の言葉や存在・オーラで対抗できなければ無理なのではないかと
ステージは現実とは違う異様な所ですから。
私の中で音楽は、ただ楽しむものだけではなく
大げさに言えば救いであり
身近な感覚でいえば、ゴミ出しをする瞬間や食器を洗う瞬間、お酒を飲める瞬間
その瞬間が集まって歌詞になり、音が付き、歌を歌っています。
生きることは、頭を抱えることも当然あり
「なんて情けないんだろう」「どうしてここにいるんだろう」「自分になにが出来るんだろう」と
自問自答を繰り返します。
その隙間の中で
「なんてすばらしい日だろう」「なんであんなに悩んでいたんだろう」「これでもう怖いものはない」とさえ
思う日もあります。
なんてバカバカしくて、愛おしいのだろうと。
自分にとって、その瞬間は音楽の中に多くあるから
今の今までも縋りつくようではあるけど、音楽の中に居たいんだと改めて思います。
なんのこっちゃわからない文章ですね。
懺悔のような…いや恥ずかしい。
まとめるとスランプの中で答えを見つける様を書き連ねているのですね。
ここは、独り言のような”それとなく日記”ですので
最後まで読まれた方は
失礼しました。
ありがとうございます!
また、書きに来ます。
身体と心ご自愛ください。
よい夜を。