同じデザイナーとして、他人ごとではないんです。
今回の「オリンピックロゴ・パクり事件」。
あれ、通ったら20億だか200億だか、とてつもない金が動くそうですね。
在宅ワークで細々とやっている、小物のぼくたちからすると、もうよくわからないんだ。
マジで一生けんめいにつくったロゴが3万円。
なんていうのは、まだ全然いいほうで。
社長から、よくいわれるんですよね。
「Webサイト発注すんだからサ、ロゴみてぇなもん、サクっと作っちゃってよ」
「グロスで考えてよ」
ようするに、タダで、作っちゃってよ。
よくあるよね~
実際、いっぱいタダで作りましたけど。
こちとら、病気して、食うに困ってんだからサ。
んなもん、発注してくれたら、人殺しと自殺以外は、なんでもやるぜ!
てなもんです。
喜んで作るよ! グロスなら。
ぼくは、ここで思うのです。
今回の、例のオリンピック・ロゴのいざこざは、本質的に、根深いと思うんだ。
さっきの
「Webサイト発注すんだからサ、ロゴみてぇなもん、サクっと作っちゃってよ」
これはもう、「日本人の性」といっても、いいんじゃないかな。
つまり、
「デザインなんて、どうでもいいだろ」
そういう価値観が、まだ堂々と寝そべっていると思うんですよね。
ぼくは公務員として一時期役人の仕事をしましたけど、みんなそうでした。
デザインのこと、芸術のことになると
「知らない。わからない」
の一点張りで、結局は「お任せします」になるんですよね。
そりゃ、周りがそうなら、ぼくは楽ですよ。
ぼくの言いなりにできるから。
でもなあ。
そうじゃない、と思うんですよね。
デザインって、だれかの一存だけでやるもんじゃ、ないと思うんだなあ。
ぼくはわりと、人のココロを読めるところがあって、ピンときてしまった。
なぜぼくを、採用しようとしたのか。
「わからないから、専門家を呼ぼう」
そこまでは、いいんだ。
そこまではいいんだけど、
みんな根本的に、本心には
「デザインなど、芸術など、クソだ」
とういうのが、あるんですよ。
いくら恰好の良いものにしたって、意味ないだろ。
大事なのは、「実質」だろ。
デザインなんて、二の次だ。
もうハッキリいって、どーでもいいんだ。
そんなことよりも、構造計算であるとか、強度なんとかのほうに関心があって、そっちのほうは、勉強しよう、大事そうだから。
芸術って、ようするに、「必要から生まれる美」だろ。
必要から生まれるものこそが「美」だろう?
それだけで、いいんじゃね?
見えるよ。 聞こえるよ。
見えてるよ! 聞こえてるよ!
「デザイン」とか「芸術」とか「感性」というものが出てきた瞬間に、シャッターを「ガラガラーーッ!」って、閉めちゃうんだ。
わたし、そういうの、知りません。
わたし、そういうの、苦手です。
そういうのは、「そういうのが得意なひと」がやってください。
今回のアレだって、そうだと思うんだよな。
「デザイン? 知りません。それ食えるの?」
オリンピック選考委員会で、デザインについて何らかの知識なり、経験がある役所のひとや、政治家が、ほとんどいなかったんじゃないか。
「わからないから、専門家に任せます」
そうだったんじゃないのか。
ぼくはものすごく怖いのが、アメリカです。
アメリカには、「アメリカ政府のカラーチャート」っていうのが、あるんです。
アメリカ政府が、自ら「色指定」をやってるんです。
もうそれは、ビックリするほど細かい規定で、そういうのはFBIにもあるそうです。
政府の内部に、デザインの専門家がいるのです。
日本には、ないよ。
色とか、デザインとかいうのを、基本的にバカにしてるからじゃないかな。
日本はテレビとか出版の影響力はやっと考慮するようになったけれど、デザインのちからには、まだ興味がないんだ。
ぼくのなかで、いちおう「先進国」の定義があります。
それは、芸術に対して、デザインについて、精通しているトップがいるかどうか。
ということです。
丈夫な建物をつくる、複雑な情報処理ができる。
そういうのも、もちろん大事です。
そういうのは、ものすごく大事です。
でも、そういうのが、いくらできたところで、
「芸術なんか、見た目なんか、本質じゃないだろ。 どーでもいいだろ」
そういうトップだったら、必ず国は滅ぶんですよ。
そういう感覚を持っている限り、いつまで経っても後進国なんです。
アメリカを、欧米をナメんな。
あいつらは、すげー、怖いぐらいデザインにうるさいんです。
あと、変化が速い!
なんでか?
「芸術をないがしろにする国は、すぐに亡ぶ」
ということを、歴史のなかで、痛いぐらいに、知っているからだ。
わたし、デザインとかしりません。
勉強する気も、ありません。
そういうの、意味ねーって、正直思ってるから。
トップがそんなやつばっかりだから、ヘンなの集めちゃうんだろ! ナメられんだろ!
一方「ハコもの」を見てみよ。
もうそれは、一級建築士や設備士もそろえて、「ナメられないように」一生懸命がんばってます。
業者にナレられないように、錚々たるメンツをそろえて、がんばっています。
でも、デザイン方面では、なーんにもしとらん。
なーんにも、しとらんのです。
「デザインに強い部署」が、役所にも、政府にもおらんのです。
国体として「デザインなんか、正直な話、どーでもえーやろ」って、思ってるんですよ。 たぶん。
だからそういう採用もしていないし、そういう研修やトレーニングもしてないんだ。
なーにが「先進国」じゃ。
どのクチが、そんなエラソーなこうとを、言うんじゃ。
ウォシュレット発明したから、先進国なんか?
今回のことで、ぼくは「ウミが出た」と思うんです。
今回のことは、結局よかったんじゃないかな。
「やっべ、デザインとかナメてたら、やっべ、悪い奴、いっぱいおるど」
っていうことに、やっと気づくと思うんだ。
デザイナーが、みんなおとなしくて、内気で、紳士で、静かで規律正しいとか、思うなよ!
どの世界でも、仕事のできるやつは、だいたいクソみたいなやつなんです。
人を騙してでも、殺してでものし上がってやろう、っていうぐらいバイタリティーがないと、なんにも実現しないだろう?
性善説を悪用するのが、できる人のすることです(もちろん、全部じゃないけどね)。
悪いことを一切思いつかないのは、正しいのじゃなくて、ばかなだけです。
正しいのは、悪いことを思いついても、それをしないという強さです。
デザインの仕事の、なにが楽しいか?
それは単純に、
「おっ。 ええなあ」
じぶんが作ったものを見てくれた人に、あるいはお客さんに、そう言ってもらえることですよね!
そう言ってもらえるひとの数を増やすために、勉強をするし、鍛錬もするんだ。
「この技で、金を稼ごう」
「この技で、みんなをギャフンといわせよう」
「この技で、劣等感を解消しよう」
「この技で、みんなにエライと褒めてもらおう」
そういうことを思った瞬間に、技は濁るんだよな。
どんな仕事でも、それは相手をよろこばせるため。
セックスと一緒だろ。
じぶんが喜ぶためにしたって、ぜんぜん楽しくないんだよな~
でも……
楽しくなくてもいいから、金はほしいよ!
ぼくに「モラル」さえなければ、悪いことしてでも稼げる能力は、いっぱいあるのに!
プレゼンは得意だし、ウソつくのも、すげぇうまいぜ!
でもなんか、ついつい、あくどい話がくると
「そういうの、いいです……」って、断っちゃうんだなあ。
これ、いいのかな?
わるいのかな?
ま、いいか。
ぼくは、自分の能力をフルに使ってわるいことをして
「いつバレるかヒヤヒヤしながら生きていく」
っていう人生よりも、
「能力もないくせに、無謀にハイレベルなことを目指す」
っていう人生のほうが、楽しいと思うから。