コピーと工業化 | 日々是好日
ヨガ教室にいくと、みんな

自然なものがいい。
真似はよくない、オリジナルのほうがいい、商業主義はキライだ。

とかいうです。

ぼくは多少の違和感があったですけど、やっとわかったね。
なんで不自然が悪いのか、商業主義が悪いのか。

まず、「自然」という概念について、みんな、こう思っとるです。

「正しいものである」

そして、商業主義については、こう思っとる。

「利益至上主義だ」

・・・・・・たしかに、そうかもしれん。

でもな、ぼくは激怒しとるです。

両方間違っとるよ!


実直な、まじめな農家のひとが、無農薬で丁寧に作ったお米は、確かに「いいお米」です。
無農薬の、完全なる、すばらしい、おいしいお米です。

これについて、異論は全くありません。

でもな!

肝心なことが、完全に、抜け落ちておるです。

「どうしたら、全員が、それを食えるのか」

正しいお米、正しいごはん。
それはとっても、ステキなことです。

でも、もっと大事なことがあるですよね。
それを、どうしたら、みんなが食えるのか?

どうしたら、「全員が食えるのか」?

大事なのは、みんながそれを「享受する」仕組みだ。

職人すげーなー、やっぱ日本人すげーっすなー!

・・・・・・・じゃ、ねーよ!!!!

「選ばれた誰か」だけが食う一流の米など、もう意味がないっすわ。


ぼくたち日本人は、中国人と韓国人を、悪しざまにいうです。

あいつらは、まねっこだ。
ずるい、うそつきだ!
そういって、ばかにするです。


世界をナメんな、歴史をナメんな!

確かに、中国人と韓国人は、まねっこです。

でもな、ぼくたち日本人じたいが、「世界のまねっこ」なんですからね。
何千年も昔から、日本人は、世界をパクってきたのです。

もし誇りを持つとすれば、「本家よりも、立派にした」ということです。
そこだけは、だれにも恥じ入ることがないです。
ほんとに、すごいです。

でも、だからといって、なにをエラそうに、誰かよりも「ウエの人」気取りをしてますか。
なにもオリジナルは、ないんです。

もし日本人に「誇り」があるのだとしたら、それは、技術だ。
それも、かなり高度な。

だったら、今からは、「コピー」と「大量生産」です。

日本人が持つ、高度な技術の「完璧なコピー」を、世界につくるです。

それで、世界を、うつくしくするです。

「この手先の、ビミョーなアレが、ミソですたい・・・」みたいな、むずかしい、微妙なことを、機械化しよう。
高度な技術で、機械化しよう。

日本人の高度な技術は、データ化して、機械化して、工業化しよう。
そして、それを、その技を、せかいじゅうの人に使ってもらうのだ。

日本の職人の技は、世界一です。
しかし、その技を「秘密」にして、ウチワで儲ける時代など、もう終わった。

ただしい、すばらしい技は、いまからはどんどん「公開」するべきだ。

得意な技術をつかって、それを汎用化するです。
けちくさいことは言わずに、それをみんなに「与える」です。

そうすれば、弟子は無限に増えるだろう。
弟子が、世界じゅうに増えるのだ。
そうすれば、世界はもっと進化できる。
逆に、そうしないと、その技はいずれ滅んで、世界は損失をすると思う。

技の公開と、データ化と、汎用化と、工業化。
2段階目の「開国」が迫っているです。


「信用のおける農家からお米を買う」

それは確かに正しいけど、だれの役に立つんだ。

「みんなが幸せに」
のコンセプトからは、外れているだろう?


正しいお米を作るのは、むずかしい。

その「むずかしい」ことを、平準化して、かんたんにすることが「努力」なんだ。

「それは、むずかしいんだ」

そういって、何もしなければ、もったいない。

難しいことを、意地でも平準化する。
それも、高度なレベルで平準化する。

日本人がエラそうな顔をできるのは、ここだと思うんです。
むずかしいことを、むずかしーっすねー、少量生産っすねー、で終わらせてたら、何が先進国か。
「世界中に恩恵を提供できる」のが、先進国です。
みんなを幸せにできる確率を高めるのが、先進国です。
それができなければ、ただの田舎者だろ。

思い出せ、不可能を、可能にするです。
それが、進化だ。

国のことだけではなくて、ぼくもそうだ。

できません、だめです、そいうときも、ある。
でも絶対に、這い上がるのだ。

不可能を、可能にするために、生まれてきたのだから。
人間は、全員そうなんだ。

断じて、不幸を受け入れるために、生まれてきたのではない。
また、幸福になるために生まれてきたのでもない。

人間はただ、不可能を、可能にするために、生まれてきたのだ。

誰かが、できないことをひとつでもできれば、それはとてもつまらないことだとしても、人類にとっては確かにじゅうぶんに、大いなる進化です。


どのような経緯を経てでも、いくら時間がかかっても、いずれは絶対に、不可能は可能にするのです。

不可能を可能にするために生まれてきたのだから、不可能はかならず、可能になる。

人間は、そのようにできているから、つい、がんばってしまうのだ。

がんばるのは、正しいことだ。人間の、本能だ。

でも、たまには休もう。
休むからこそ、また新しいものが見える場合が、ありますもんね。