食うもの | 日々是好日
知り合いの飼い犬が、ヘルニアになったそうです。

胴体が長い種類のイヌなので、腰を痛めやすいそうで。
いぬも、ヘルニアになるんだなあ。

ぼくの家では、「わるくなったところを食う」という習慣があります。

腰とか肘とか手首がが痛くなったら、トリの軟骨を食え。
魚を、骨ごと、頭ごと食え。

風邪をひいたら、トリの肝臓を食え、生卵を食え、などなど。

おんなじ生き物なのだから、
病気になったところを食えば、治るだろ!!
っていう考え方ですね。

まさに「食肉系治癒法」ですね。

ぼくは、それで確かに腰痛が治りました。

というのを思い出して、ともだちに
「トリの軟骨食わせてあげれば?」
っていって、食わせたら、元気になったそうです。


食うことって、薬です。

草ばっかり食ってたら健康になります!
なんて、やっぱりウソですわ。

正確には、

「草を食うタイミングと、肉を食うタイミングがある」

のだと思います。

つまり、本能にまかせておけば、いいのです。

すげえ肉くいてえなあ、っていうときもあるけれど、
すげえ野菜をくいたいぞ、っていうときもあります。

それにすなおに従えば、病気は治る。

いちばんの問題は、
「それが食えない」
っていうことですね。

いまの日本は、食うことに関してはいちおう「選ぶことができる」ので、とってもしあわせです。

食いたいものを、食いたいときに食えるのは、いちばんのしあわせで、健康の秘訣。

なのに、ダイエットだの、肥満だの、病気になるだの、なんだかんだの理屈をこねて、結局は
「それを食うな、あれを食え」
っていう。

ばかいうなよなあ。

食うってことは、生きることです。
そこに制限をかけて、どうしますか。

つまり「いっぱい動いて、いっぱい食え!」

で、いいんじゃないかな。

ハラペコで食うメシと、微妙に胃にメシが残った感じで食うメシは、うまさがちがいます。

おなかがすいて、たまりません!
っていうぐらいエネルギーを浪費すると、メシがうまいよね。

エネルギーを使って、使い切ったときに感じるメシのうまさと、
エネルギーを使わずに、断食して疲弊したときに味わうメシのうまさは、ちがう。
似ているけれど、まったくちがう。

運動をせずに食事制限をして痩せるのと、動き回って食事制限をせずに痩せるのと、どっちが好きか、っていうことですね。

ぼくは、好きなものを、好きなように食いたいです。
その代償として、いっぱい働くのです。
肉体的にも、精神的にも、働こう。

いっぱい動くと、腹が減るだろう?

いっぱい働いたことで得た金銭で、うまいものを食う。
そのことの、なにが悪いですか。

なんにもしていないくせに、あほみてえに食うから、罪悪感がある。
自分自身を、醜いものだと思ってしまう。
じぶんのことを、まるで豚のようだと思ってしまう。

うまいメシを食うために、いい店を見つけるんじゃないです。
俺自身が、はらぺこになっていることが、まず最初の要件です。

もっともっと動こう、もっともっと、働こう。
じぶんのエネルギーを枯渇させてしまおう、ぜんぶ振り絞ってしまおう。

そうしたら、世界はうつくして、かわいくて、愛おしくて、おいしくて、すてきな、すばらしいものに見えます。