ロードバイクという世界 | 日々是好日
電車に乗れないので、近所をほっつき歩くしか能がなくなってしまったぼくですが、すばらしいものを発見しました。

ロードバイク、という自転車です。
競輪選手が乗っているような、ハンドルがぐるんと丸まったやつですね。

じつはぼくは、小学生のころからロードバイクにあこがれてました。

でも1回も乗れませんでした。
理由は、「むちゃくちゃお高い」からです。

安い初心者用のものでも10万円弱、上はもう100万円近いものもあります。

「たかが自転車に、10万円て・・・」

という気持ちもあって、購入しようとも思いませんでした。

しかし、最近は「安いロードバイク」もあるのですね。



例によって近所を徘徊していると、自転車屋さんに飾っていました。
金額は「3万4000円」とあります。

え? さんまんえん?

んなわけあるか、と思わず「二度見」をしてしまいましたよ。
34万円の、間違いじゃなかろうか?

ぼくは自転車屋さんに飛び込んで、どういうことか聞きました。
中古なんですか?

すると新品だそうで、聞けば最近は格安のモデルもあるそうです。

ただ、本格的なロードバイクに比べればかなり重いし、競技に出ようというならオススメしません。
ということでした。

健康のためとか、ちょっとツーリングに行って見ようっていう乗り方なら、充分です。
国産だし、パーツもそれなりな物を使っているので、初心者の練習用みたいなことなら、結構いい自転車です。
ママチャリに比べれば、ずいぶん楽に長距離を走れますよ。

ということでした。

「自転車、という手があったか」
ぼくははっとしました。

・・・電車に乗れないのなら、自転車で実家へ帰れるかもしれない。
ママチャリで70km走るのは、やっぱりちょっと、無理があるんですよね。
むかし、阪神大震災のときにママチャリで走ったことがあるんですけど、りっぱな「痔」になりましたよ。
自転車も壊れてしまうし。

ぼくは購入を決めました。
子どもの頃からあこがれていたものだし、安いし、目的はピッタリです。
レースなんか、一切出る気はありませんしね。

しかし、ロードバイクって、買うのに時間がかかりますね。

サドルとかハンドルの位置を、けっこう細かく設定してくれるのです。
ママチャリなら、はいどうぞ、で売ってくれるのに。
(店主は女性なのですが、ロードバイクが趣味なのだそうなので、余計そうなったのかもしれませんが)

自転車屋さんの前で、生まれてはじめてロードバイクにまたがりました。
そして、ペダルを踏んでみました。
この瞬間は、かなり感慨深いものがありましたねえ。
30年以上の時を経て、夢が叶ったのです。

ぼくは・・・・・・感動をしてしまいました!

ハンドルのカタチもヘンだし、サドルも異様に高いから、絶対に運転難しいぞ、と思っていたのですが・・・

まさに「イメージ通りに」自転車が動くのです。
ペダルを踏んだ力とスピードが、びしゃあっと合っている。
足の力が、ものすごく効率的に、推進力に変わっている。

安物とはいえ、ママチャリに比べれば相当軽いからでしょう。
また、お姉さんがきっちり調整をしてくれたこともあるかもしれません。

もはやこれは「自転車」ではないな!
そんな感じもしました(じゃあ、一体なんだというのだ)
とにかく、気持ちがいい!

久々に、興奮をしてしまいました。

思えば、ぼくはタイミングもよかった。
ここ2週間ほど、毎朝近所の河川敷でスクワットをはじめ、筋トレをしていました。

ロードバイクって、最初ちょっと乗りにくい感じがすることもあるそうですが、足腰がすこし筋力を取り戻していたので一発ですんなり乗れたのかもしれません。

ママチャリに乗って走る町の景色と、ロードバイクに乗って走るそれは、ぜんぜん違う。
自転車で走ることが、こんなにも「気持ちいい」ことだなんて、知りませんでした。

これなら、いくらでも、どこまででも走れる。
そんな感じがしました。

(ま、実際のところは、ケツと手の平が痛くなって、そんなには走れないですけどね)

ぼくは毎朝健康のために、河川敷で筋トレをやっていました。
そうすることで、病気がすこし、マシになるかもしれない。
そう思って(願って)、つらい日でも頑張って、気合いを入れてやっていました。

毎朝からだを動かすことは、確かによいことです。
でも、ぼくの毎朝の筋トレには、決定的に欠けていたものがあります。

「それを、楽しむ」という気持ちです。

ぼくの悪いくせで、まず「しなければならない」という義務感が第一に来てしまう。

それをしたいからする、のではなく、しなければならないから、する。
そういう堅苦しい、あたまのわるい、依怙地な「ぼく」がまた、前面に出てしまっていました。
そもそも、こういう考え方をしているから、神経症なんかになってしまうのでしょう。

「ここで踏ん張らないと、がんばらないと、また悪くなってしまう」
そんな「危機感」をベースに、ぼくは行動をしていました。

カラダを鍛えることなんて、よく考えればただの「余暇のつかい道」です。
スポーツ選手でもあるまいに、悲壮な面持ちで、追い詰められた心境でスクワットをして、いったいなにがしあわせでしょうか、どこに病気を治すトリガーがあるでしょうか。

ロードバイクは、いい。

走ることじたいが、楽しいからです。
カラダを使うことが、ほんとうに気持ちがいい。

これなら「決心」なんかいらない。
つらい今こそ、ここで一歩踏み出さなければ、なにも変わらない、強くなれない!
なんて、クサい青春映画みたいな気合いは、まったくいらない。

気持ちのいいことは、楽しいことは、やめようと思ってもやめられない。

自分に合ったトレーニングを見つけること。
それは、努力をする以上に、重要なことかもしれません。

あしたは、どの道を走ろうか!
そんなことを考えていると、生きているのが楽しいです。

こいつに乗って、いつか実家に帰って、オトンとオカンに会いにいこう。
愛犬に会いに行こう。
別居中の娘ところに走っていって、元気なオトンを見せてあげよう。

そのために、練習をしよう、カラダを鍛えよう。

考えれば考えるほど、明日が楽しみになっていく。