司法保護記念日 | 郵便学者・内藤陽介のブログ

 司法保護記念日

 今日(9月13日)は司法保護記念日です。司法保護記念日というのは、犯罪の予防と犯罪者の更正を見守る司法保護司や保護機関の働きを広く知ってもらう目的で、1933年、司法保護事業団が「司法保護デー」として制定したもので、1952年以降は、「少年保護デー」とともに11月27日の「更生保護記念日」に統合されています。


 地味なイベントで社会的な認知度も高くはないでしょうが、1947年に記念切手が発行されているため(下の画像は、その記念切手が2枚貼られたアメリカ宛のカバーです)、何の日だかはよく分からないまま、その存在は知っているという切手収集家は少なくないと思われます。


 司法保護記念日


 さて、司法保護記念日の切手は、切手に取り上げあられている手の小指が異常に大きく描かれているため、“おばけ小指”が収集家の間で話題になったことがあります。このため、収集家の中には、逓信省を訪れて、この原画のモデルになった女性職員をつかまえて彼女の手を確認するといった、現在ならセクハラまがいのことを行う者まで現れる始末でした。


 それはさておき、この司法保護記念日の切手は、戦後日本の記念切手史を考える上で非常に重要な存在です。


 戦前期の日本では、記念切手の発行件数はせいぜい年に1~2回、場合によっては発行のない年もあるのが普通でした。ところが、戦後のインフレの中で、新たな“増収策”を採用する必要に迫られた逓信省は、従来の消極的な切手発行政策を改め、記念切手を積極的に発行するよう、切手発行政策を根本的に転換します。(切手の売り上げを単純に“収入”とすることは、実は、会計上の処理として問題があるのですが、その辺については、とりあえず、ここではスルーして説明を続けます。)


 もっとも、新規に多くの記念切手を発行する方針を立てたとはいえ、実際に当時の逓信省関係者に十分な企画・立案能力があったわけではありません。このため、1947年6月10日、各省次官宛に逓信次官通牒が発せられ、逓信省は各省および関係諸機関から記念切手の題材としてふさわしいものを公募するということがはじめられます。そして、そうした逓信省からの呼びかけに応じて、司法省が司法保護記念日の切手発行を提案。これが最終的に受け入れられて、以後、日本の記念切手政策は、“国家のメディア”としての記念切手をどのように活用していくのかという枠組の議論がなされないまま、またほかならぬ郵政じしんが切手発行の主務責任者としての自覚を欠いたまま、各機関から出された申請を調整することで発行計画が決められ、記念切手を垂れ流すというモデルができあがっていくのです。


 この辺の事情については、以前、『解説・戦後記念切手  濫造・濫発の時代 1946‐1952 』の中で詳しく書いたので、ご興味をお持ちの方はご一読いただけると嬉しいのですが、日本の郵政に切手をメディアとして活用しようという意識が希薄なことの制度的なルーツは、この司法保護の記念切手が発行された時点にまでさかのぼることができるという点は、(記念切手の歴史に語興味がおありなら)頭の片隅に入れておいても損はないように思います。