テロリスト図鑑(1) 安重根 | 郵便学者・内藤陽介のブログ

 テロリスト図鑑(1) 安重根

 その昔、芥川龍之介は「善は悪の異名である」と書き記しましたが(猿蟹合戦)、ある現象に対して、立場が変わると正反対の評価が下されるということは、しばしばあります。


 たとえば、アメリカの建国の父とされ、日本でも道徳の教科書の定番ネタとなっているジョージ・ワシントンは、(少なくとも当時の)イギリス人にいわせれば、“盗人の頭目”でしかありませんでした。


 社会の秩序を脅かすテロリストたちを鎮圧するのは、国民の声明・財産を守る国家の側からすれば当然のことですが、一方、そうした既存の体制そのものに異議を唱え、その解体を主張する人たちからすれば、体制側が“テロリスト”と認定した人こそ、“英雄”ということになります。たとえば、植民地時代に民族解放闘争に従事していた“テロリスト”の中には、独立後、“民族の英雄”に祭り上げられ、国家のお墨付きを得て切手にまで取り上げられるようになる人物も少なくありません。


 そこで、どれだけ実例を挙げられるかわかりませんが、これから、このブログでは切手になった“(元)テロリスト”たちを不定期連載のかたちで紹介していきたいと思います。


 もちろん、僕は、これからご紹介していく“テロリスト”たちの主義主張に賛同しているというわけではありません。ただ、同じ事柄でも我々とは反対側から見たらどう見えるか、という視点の切り替えないしは頭の体操の材料を皆さんに提供できたら、と考えているだけなのです。この点については、くれぐれも誤解なきよう。


 さて、前置きが長くなりましたが、記念すべき第1回目の今日は、日本人にとっても超メジャーなこの人に登場してもらいましょう。


 安重根  


 切手に描かれているのは、皆さんもよく御存知の伊藤博文暗殺犯、安重根です。


 念のため、彼の個人データをまとめておくと、安重根は、1879年、黄海道の海州出身。1894年の甲午農民戦争(日本では、“東学党の乱”といったほうが通りが良いかもしれません)の際には父親と共に政府側の義兵を起こして農民軍と戦っています。その後、カトリックに入信し、日露戦争後、日本による韓国の植民地化が進む中で、これに反対する義兵闘争を展開。1909年、ハルビン駅頭で、前韓国統監の伊藤博文を暗殺しました。事件後、安は直ちに逮捕されて死刑判決を受け、1910年3月、旅順監獄で処刑されました。日本では国家の元勲を暗殺したテロリストですが、韓国では、独立運動の義士として、現在でも広く社会的な尊敬を集めています。


 さて、安重根が切手に取り上げられたのは、全斗煥政権下の1982年のことでした。当時、日韓両国の間では、日本の高校歴史教科書が、文部省の検定圧力によって日本の大陸“侵略”が“進出”にあらためられたという報道(後に誤報であったことが明らかになりましたが)をめぐって、いわゆる教科書問題が持ち上がっていました。これが、現代まで続く教科書問題のルーツとなります。

 

 こうした背景の下、当時の韓国政府としては、現在の大韓民国が日本による植民地支配とそれに対する抵抗運動を経て成立したという主張を、内外に広くアピールするため、このような切手を発行したものと思われます。その意味では、一昨日、7日の日記でも中国を例にとって少し書いたように、安の肖像は現代韓国の“建国神話”にとってきわめて重要なイコンとして、現在なお機能しているといってよいでしょう。


 なお、現在、韓国出身の芸能人たちが日本でも人気を集めていますが、彼らの中にも安重根への尊敬の念を堂々と表明している人たちは少なくありません。このため、“安重根は単なるテロリスト”という認識をもつ人たちの中には、そうした芸能人をCMに起用している企業の商品の不買運動を呼びかけるグループもあるようで、“テロリスト”と“義士”をめぐる歴史認識の溝は、思った以上に根が深いのだということを再認識させられます。


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