日本でいちばん大切にしたい会社 アールエフ | yosikuri2000のブログ

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長野県長野市、長野県庁のすぐ隣に株式会社アールエフの本社がある。

丸山社長は三人兄弟の末っ子として、上田市に生まれた。お父さんは小さな鉄工所を経営していたが、職人気質で商売はうまくいかず、家計はくるしかったそうだ。そんなこともあって丸山社長のお母さんは家計を助けるため、舵のほかにも鉄工所の仕事やない職もしていた。そんな苦労がたたったのか、丸山社長が小学校にあがる頃には、お母さんは体を壊し、寝たり起きたりの状態だった。ある冬の寒い日、お母さんはいつになく激しい発作に見舞われた。お父さんは遠くへ出が瀬木に出ており、息もできずに苦しんでいるお母さんの横には三人の子供だけだった。兄弟は苦しそうなお母さんのそばにただいるだけだった。病院に往診してくれるように頼み行きましたが専門外ということで断れたりした。そんな経験があったから、カプセルの内視鏡のアイデアが出てきたのでないか。

アールエフの主な商品はデジタルレントゲン、口腔内カメラ、工業用内視鏡、使い捨て内視鏡。平成5年創業以来、業績も好調で、創業初年度の売上高は二人で4,000万円という企業だったが、その後、5、6年間は研究開発などにお金をかけ、7年後の平成12年に売上高は7億2,000蔓延になった。創業以来ずっと増収で、特にここ10年は倍々ゲームのような形で成長した。


アールエフの商品には「NAOMI」というものがある。実は副社長の名前を冠している。彼女は、この商品を研究開発していたわけでなく、丸山社長と会社のほぼ草創期から一緒にやってきた、苦楽を共にした方だ。

彼女に訪れ、決行することになった。その際、丸山社長は「彼女にどんなプレゼントをすればいいだろう?」と考えた。長年の功労者だから、「今度出す、世界を席巻するようなすごいレントゲン機器の名前を彼女の名前にするのはどうだろう。とひらめいた。「会社をこれだけよくしてくれてありがとうございました」という感謝の意を込めて商品に命名した。結婚式のときに、初めてそのことを知らされた直美さんは、その思いもかけないプレゼントに涙ぐんだ。


丸山社長は後進の育成にも力を入れており、医療の大学院を設立したいという夢をもっていった。四年生大学で電子工学などを修めた学生のための大学院大学。定員は一学年15~20人ほどの少数精鋭。授業料は全額無料で、あらに付き20万円程度の生活補助費を支給し、卒業生には、一年以内の企業を目的に1億円まで5年間の無担保、無利息で融資をする驚くような支援をする。

丸山社長は大学院大学の設立した動機は、現在アールエフで働いている社員に学歴をプレゼントしたいということだそうだ。アールエフで身を粉にしている社員の中には最終学歴が高校卒業、高校中退という人もあいるからだ。彼らが他社や医師などから学歴について尋ねられたとき、肩身の狭い思いをしたとことがあると言うため社員に学歴をプレゼントしたいと考えたという。