「昭和天皇を処刑するのはキリストを十字架にかけるのと同じ」マッカーサー。 | yosia621のブログ

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「愛天愛国愛人」の下、日本人として日本の誇るべき一つに、万世一系125代続く天皇家があります。太平洋戦争終結の英断を下し、その慈愛と勇気によって日本国と国民の繁栄と安寧の為に祭祀を行っています。

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マッカーサーはその『回想記』の中で、こんなことを述べている。彼は天皇が「戦犯」として起訴されないよう命乞いに来たのかと思っていたが、その口から出た言葉はまったく意外なものだった。
「私(昭和天皇)は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国家の議決にゆだねるためおたずねした」

昭和天皇の発言に接して、マッカーサーは衝撃を受けたという。「死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事情に照らして、明らかに天皇に帰するべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。私はその瞬間、私の目の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取った」

(中略)

副官だったパワーズの証言がある。彼によれば、マッカーサーは「天皇を(処刑して)殺すことは、イエス・キリストを十字架にかけることと同じだ」とまで言ったようだ。

歴史人別冊(高森明勅:文)
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<昭和天皇は名実ともに側室を廃止>
明治の皇室典範では「男系の男子」の跡継ぎ確保のため、正妻である皇后以外の側室が生んだ「庶出」による皇位を継承を認めていた。大正天皇は、事実上の一夫一妻を貫き、昭和天皇はさらに抵抗を排して女官制度の改革を断行し側室制度を廃止した。

<戦争終結、ポツダム宣言の受諾の聖断をした昭和天皇>
明治憲法下の天皇は、政府の決定や議会の議決を認め、それを正当なものとして権威づける立場であって、本来、天皇自らの判断を示し、政治を一定の方向に導くことはありえなかった。それによって天皇の「法的無答責」(第3条)も担保されていた。

鈴木内閣はポツダム宣言受諾の方向であったが、反対していた陸軍の暴走(クーデター)も恐れていた。そこで鈴木貫太郎首相は禁じ手とも言うべき天皇の判断を示していただくことにした。いわゆる「聖断」である。

第2回の御前会議が開かれ再び天皇の聖断が下る。「自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい」これによって国体保持に拘っていた陸軍も終戦を整然と迎え入れることができた。

<日本の最後の良心>
「ごーまんかましてもよかですか」のフレーズで執筆活動をしている「小林よしのり氏(代表作:東大一直線)」はこのように述べています。

「天皇陛下はお金持ちですか?違います。税金の予算の範囲でしか暮らせず、職業選択、婚姻、住居の自由もなく、参政権や社会保障ない、国民に与えられている自由や権利を奪われている身分でありながら、私利私欲に走ることなく、国民の安寧の為に祈っておられる。俗にまみれた日本における最後の良心だと感ずる」と。
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権力は世襲出来ます、しかし世襲しても、いずれその権力の衰退とともにその地位を奪われるでしょう。
そして、権力の世襲より難しい、権威を125代に渡り世襲し、護りとおしてきた天皇とその天皇家を保持してきた日本国と日本国民の精神性はとてもすばらしい事だと世界に誇れると思います。



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