俺が一番最初に大ホールワンマンライブを行ったのは
2001年日本青年館大ホール。
その頃の俺は、メジャーデビューをさせていただいた事務所に
まだ在籍していた。
といっても、レコード会社とは契約が切れ、仕事といえば
ラジオのパーソナリティーと執筆活動のみ。
そんな俺だが、新たに事務所にやってきた池永プロデューサーと
タッグを組み、社内インディーズレーベルを発足させたのだ。
なんたってスタッフは自分達しかいないので
営業マンさながらに、毎日CDサンプルを持って
CD屋さんをまわったよ。
そんな甲斐あってか
おかげさまでヨシケンを名乗って初のマキシ
「ラヴ★ジェッター」は
なかなかの好評をいただいた。
まあ、ここまではいい。
しかし、セカンドマキシ「ブリッジ」の発売の直前
俺の脳裏には
あるナイスなアイデアが浮かんだ。
そう、ストリートライブで手売りして
日本青年館第ホール(1300人収容)で単独公演をやってしまおうという
アイデア。
さすがに周りは反対するわな(笑)
でも俺には成功させられる確信があったので
周りを説得。最初にGO!サインをくれたのは池永さん。
有難し。
事務所の大谷社長、よく許してくれたと思う。
原宿で行っていたストリートライブも、どんどん加熱して
盛り上がりを見せたのもこの時期。
そうやって2001年5月6日にヨシケンとしての初ホールワンマン
を日本青年館大ホールで開催。
さらに、この日のステージで
半年後に渋谷公会堂(キャパ2200人)でワンマンライブをやることを
発表。これはまた次の更新にでも。
2001年日本青年館大ホール。
その頃の俺は、メジャーデビューをさせていただいた事務所に
まだ在籍していた。
といっても、レコード会社とは契約が切れ、仕事といえば
ラジオのパーソナリティーと執筆活動のみ。
そんな俺だが、新たに事務所にやってきた池永プロデューサーと
タッグを組み、社内インディーズレーベルを発足させたのだ。
なんたってスタッフは自分達しかいないので
営業マンさながらに、毎日CDサンプルを持って
CD屋さんをまわったよ。
そんな甲斐あってか
おかげさまでヨシケンを名乗って初のマキシ
「ラヴ★ジェッター」は
なかなかの好評をいただいた。
まあ、ここまではいい。
しかし、セカンドマキシ「ブリッジ」の発売の直前
俺の脳裏には
あるナイスなアイデアが浮かんだ。
そう、ストリートライブで手売りして
日本青年館第ホール(1300人収容)で単独公演をやってしまおうという
アイデア。
さすがに周りは反対するわな(笑)
でも俺には成功させられる確信があったので
周りを説得。最初にGO!サインをくれたのは池永さん。
有難し。
事務所の大谷社長、よく許してくれたと思う。
原宿で行っていたストリートライブも、どんどん加熱して
盛り上がりを見せたのもこの時期。
そうやって2001年5月6日にヨシケンとしての初ホールワンマン
を日本青年館大ホールで開催。
さらに、この日のステージで
半年後に渋谷公会堂(キャパ2200人)でワンマンライブをやることを
発表。これはまた次の更新にでも。