このブログでは同じ内容が何度も出てきます。何度も同じ所を巡りますが、視点が変わればみえるものも変わります。今回は神様の御存在について考えてみましょう。
〜2つの質問〜
『あなたは神を信じますか?』
この様な質問をされれば、少し胡散臭いなと思ってしまう人も多いのではないでしょうか?また、質問してきた相手によって対象も変わってきます。キリスト教の方からの質問か、イスラム教の方からの質問かで「どの神様の事だろう?」と考えてしまう。自分の神様は信じるが、他の神様は信じないなどもあり得ます。日本だと八百万の神様が有名ですが、「八百万の神様を信じますか?」と聞かれる事は殆どないですよね?
中には「神様の御存在は疑わないけれど、いまいち確信が持てない」という人も多いのではないでしょうか。今回は決して「神様がいると確信する」ための記事ではなく、「少し一緒に考えてみよう」という趣旨の内容です。
夢でも現実でも構いません。もしあなたの目の前に神様が現れたとして、一番最初に思う事は
『証拠を見せて欲しい』
ではないでしょうか。そこで、2つの質問があります。是非自問してみてください。
★神様が全知全能だとして、どの様な"証拠"を見せればあなたは納得しますか?また、納得して確信出来たとして、まわりの人にも教えたくなるでしょう。どの様にしてまわりを納得させますか?
★相手が神様だと確信して、あなたはその神様の御言葉に無条件に従いますか?
この2つを考えた時、自然と答えは出る気がします。神様という名前に抵抗があるのなら"すべて"と表現しても構いません。神様は全知全能、どんな御姿にもなる事が出来るとしましょう。どんな御存在にもなる事が出来るとしましょう。そんな神様が一番"なるのが難しい"ものがあります。それは
『あなたの友達』
です。あなたの側にいつも一緒にいる友達。目をつぶればその姿が見えます。一緒に笑い、一緒に悲しみ、一緒に怒り、一緒に考え、一緒に馬鹿をやってくれる存在。あなたは受け入れる事が出来ますか?上記の2つの質問の答えがあなたの中で出たのなら、その時にもしかしたら「いてもいなくても同じ」だという事に気付くかもしれません。
〜すでに与えられている〜
このブログで何度もこの言葉が出てきます。『答えはすでにある』という事。この事を考えていくと、面白い事に気付きます。すでに与えられているというのは抽象的な意味ではなく、物質的な意味でもあります。例えばあなたがあるものを欲しがっているとしましょう。
あなたはあるもの、例えば「A」が欲しいとします。あなたは「A」を手に入れるため、ネットで注文しました。その商品が届くまで1週間かかります。ところが、当日にたまたまあなたは留守をしていました。「A」は郵便局が預かっています。あなたは身近な人に引き取りに行って欲しいとお願いします。手続きをし、その人が取りに行ってくれました。そしてあなたは「A」を受け取ります。
よくある話ですよね。あなたが「A」を欲しがった時、すでに「A」は与えられていると考えると、次の様な疑問が浮かんできます。
どこから自分のものなのか
注文が確定した時ですか?発送された時ですか?あなたの身近な人が受け取った時ですか?あなたが手にした時ですか?それともあなたの手元にくる運命も含めて、「A」が作られた時からですか?その様に考えていくと1つの答えが出てきます。
この宇宙すべてが、あなたに与えられたものなのです。また、私達すべてに与えられたものなのです。
所有物という考え方をすれば少し意味が変わってきますが、大きな視点でみればこの世界自体が答えなのだと気付きます。それを分けているのは他でもない私達です。私達が勝手に境界線を創っています。すべてがあなたのものであり、同時に皆のものです。一でありながら全、全でありながら一。難しく考えずにこの様に受け入れると世界は一変します。
食糧難、資源不足は一瞬で解決出来る
「自問自答」とは言いますが、心の答えはいつだって大きな所から来ています。"答え"ではなく"応え"かもしれません。自分はその様なメッセージを受け取れる人間ではないと思っていても、すべてがすでに与えられているのならばどうなるか。今パスタが食べたいな、今度の週末は海に行こう、あの人と過ごそうかな、誰かを好きになる、嫌いになる、自分で考えているようで、実は大きな存在からの"応え"なのかも。そう考えてみると、人生ってとても面白くなりませんか?"応え"を受け取れる人間になるのではなく、すでに受け取っていると考えてみて下さい。霊感がなくても、スピリチュアルな体験をしていなくても、あなたは完全な存在。「出来ない」のではなく、「気付いていない」だけかもしれません。
仕事などで考え抜いた結果、良いアイデアが浮かぶ事がありますよね?考えているうちは絞り出すようにしていたのに、最後の最後でフッと"答え"に辿り着きますよね?その最後の"答え"はどこから来たのでしょうか。神様は私達に干渉しませんが、いつだって手を差し伸べていて下さいます。あなたは手を取りながら、自分の力で立ち上がったと思うのか、偉大なる存在のおかげで立ち上がる事が出来たと思うかは自由です。
そうなると、神様がいるかいないかはあまり問題ではなくなります。重要なのは
神様がいると思うか、いないと思うか。
ね?少し楽になりませんか?
今回の記事を書くにあたり、インスピレーションを頂きました。あいひんさんのブログです。少しくすぐったいですが笑