西山家 家訓
今の自分。
人生はゲームだと思っている。
このゲームを自由自在に遊びたいと思っている。
「自由自在に遊べない瞬間」があるからこそ
「自由自在に遊ぶ」という感覚を味わう事が出来る。
だから
「自由自在に遊べていない瞬間」と
「自由自在に遊べている瞬間」
両方ひっくるめて
「自由自在に遊ぶ」という体験。
「ない」も「ある」も両方受け入れている状態の時は、
人生をゲーム感覚で俯瞰出来る。
その上で
自由自在に遊ぶには
「自己責任」という感覚が外せないと感じている。
子どもを授かり
子どもを育てる
という事に対して
どう責任を取るか。
これは人生の中で
トップレベルに
大きな責任だと思っている。
子ども達のせいで
自由自在に遊べない人生。
子ども達のおかげで
自由自在に遊べる人生。
どちらの人生になるかは
自分次第だと思っている。
このゲームの中で
どうしても
観てみたい景色がある。
どうしても
逢ってみたい自分がいる。
その景色を観れない事
その自分に逢えない事を
子ども達のせい
家族のせいに
したくない。
子ども達のおかげ
家族のおかげで
観れた。
逢えた。
そんな生き方がいい。
そんな在り方がいい。
そんな自分で
今を思い切り生き切りたい。
今を存分に味わい尽くしたい。
だから
ゲームの中にルールをつくってみた。
『家訓』という名のルール。
自分と
自分の家族でいてくれる人達への
ルール。
このルールの中で
思いっ切り
遊んでみよう。
2017/11/8(水)
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そう思ったら
今夜のひよりの夜泣きも
氣持ちよく受け入れて
味わえた。
さぁ、おやすみ。。。