「開運!なんでも鑑定団」を私が観る理由 | 知財業界で仕事スル

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知財業界の片隅で特許事務所経営を担当する弁理士のブログ。

最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

2015年の年明けから後、「開運!なんでも鑑定団」にはまっている。米国に住んでいるので、普通に視聴することはできない。しかし、YouTubeにたくさんアップされているので、画質に問題ありとは言え、いつでも観ることができる。著作権的に違法性があるのかないのかは定かではないけれども、YouTubeでそのままになっているということは、たぶん大丈夫なのだろうと思う。


有名かつ長寿の番組なので、「なんでも鑑定団」がどのような番組であるかをここで改めて説明する必要は無いだろうが、一応これを引用しておく。

http://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E9%81%8B!%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%82%E9%91%91%E5%AE%9A%E5%9B%A3


「なんでも鑑定団」は、在米20年にしてなお、「この番組は機会があったら観よう」と思えてしまう番組の一つだ。全部観てきているといってよい「探偵!ナイトスクープ」に次ぐ、私にとってはとても大切な日本のテレビ番組だ。

上記Wikipediaの解説によると、1994年4月19日からの放送だそうだ。私は、1995年1月に渡米しているので、日本で観ていた期間は、今思えば実はわずかなのだ。日本で観ていた期間は1年に満たないのに、その後20年を経ても、今なお興味がある。

なぜ観たくなるのだろうかと考えてみた。


無価値にみえるものが高価な鑑定結果を得たり、高価だと思われていたものが偽物などで安価になってしまうという意外性や、鑑定物に対する蘊蓄が堪能できるのが特徴、とWikipediaの解説にある。私もそれには同意する。

また、依頼品にまつわる人々の熱かったり切なかったりする思い入れや、鑑定結果に一喜一憂する依頼人の表情などは人間味にあふれ、鑑定を単なる金銭的評価に終わらせていない、とも解説にある。これにも私は同意する。

確かに、そのような面白みが、私をこの番組に誘っているのは間違いないと思う。

しかし、コアの部分で、ちょっと違うと思えるのだ。

自分には、骨董を集めるといった収集の趣味は無い。したがって、この番組を観たからといって、それが欲しいとか、そのようなものを集めてみたい、といった気持ちにはまったくならない。また、私には骨董収集の趣味がないので、“依頼人”の思い入れは、面白いとは思うけれども、そこに強い興味はおこらない。


私は、なぜ観たくなるのだろう?


つらつらと考えていて、これを思い出した。

内村鑑三の「後世への最大遺物」に次のようにある。

>われわれに後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。

内村鑑三の言う「後世への最大遺物」は“真面目なる生涯を送る”ということに尽きる。

「なんでも鑑定団」で鑑定対象になるのは、万人が知る著名な芸術家の作品だけではない。また、縄文時代の土器など、作者が誰かがまったくわからないものもある。しかし、そこに共通しているのは、その作品を作るにあたっては、作者は“真面目なる生涯を送る”状態であったことだと思う。

作者によっては、普段は放蕩の限りを尽くしていたり、酒乱だったりした場合もあるに違いない。しかし、そのような人であっても、鑑定対象になっている作品を作っているときの作者は“真面目なる生涯を送る”状態であった。

私は、それに強く興味を惹かれる。興味というより、憧れを感じるといった方がより適切かもしれない。そして、自分もそうありたいと思う。私は芸術家ではないので、「なんでも鑑定団」で扱われるような作品を残すことはできない。しかし、その人達に負けないよう“真面目なる生涯を送る”ことに努力することは可能だ。

繰り返すが、「なんでも鑑定団」で鑑定対象になるのは、著名な芸術家の作品だけではないし、作者がまったくわからないものもある。しかし、そこに共通しているのはその作品を作るにあたって、作者は“真面目なる生涯を送る”状態であったことだ。

それは、内村鑑三の言う「後世への最大遺物」なのだ。私は、それに触れたくて「なんでも鑑定団」を観るのだ。