「GDPで日本を超える」に中国が持つ疑問 | 知財業界で仕事スル

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最近は、仕事に直結することをあまり書かなくなってしまいました。

本人は、関連していると思って書いている場合がほとんどなんですが…

「GDPで日本を超える」への安易な喜びに疑問
(人民網日本語版2009年5月19日)
http://j.peopledaily.com.cn/94476/6661180.html

今年の年末には、中国のGDPがとうとう日本を追い越すときがやってくるらしい。
それがメインテーマのこの記事を読んで、中国が真の“大国”になりつつあるのを強く感じた。

どういうことかというと…



記者は問う:
>「住宅・医療・教育などを含む中国の生活レベルも世界で2番目だと言えるのか」と。福祉国家で知られるスイスはGDPでは中国の比較にもならないだろう。だが人々の生活レベルでは中国はスイスの比較になると言えるだろうか。

もちろん答えは否である。
単純なGDP計算で日本を越えるのは、重要なベンチマークであることは間違い。その上でなされたこの問いの意味は大きいと思う。


記事によると、日本の一人当たりのGDPが4万2480ドルなのに対して、中国の一人当たりのGDPは3260ドル。その差は13倍以上だ。
しかも、中国内での所得格差は広がるばかり。中国のジニ係数は警戒ラインとされる0.4を1994年に超え、07年には0.48に達した。
GDPが世界第2位となっても、中国国民の大多数は貧困である。


「中国のGDPが日本を超え」ても個人個人の幸福はまた別物だ。依然として、中国は貧しいといってよいだろう。

しかし、私は思う。
「中国のGDPが日本を超える」というだけで安易に喜ぶことは決してできない、とする視点が、中国が真の“大国”になる途についた証拠であると。

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この視点は、私が知る限りでは、今まで中国にはなく日本にあった視点だ。

世界第2の経済大国と言われながら、実際の日本での生活は欧米に比べて貧しい。それを表現するのにスイスと比較するのも、日本でしょっちゅうなされてきた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%86%85%E7%B7%8F%E7%94%9F%E7%94%A3%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
ここを参考にすると、一人当たりのGDPで、日本は世界第23位で、3万8千ドル。スイスは4位で、6万7千ドル。(中国は104位で、3千3百ドル。)

日本がスイスの豊かさを手に入れるにはどうしたらよいのだろう?
GDPを今の倍に引き揚げるのは、すでに経済的先進国の先頭を走っている状態の日本ではほぼ不可能だろう。
となると、人口を減らすのが手段となる。

スイスの人口は約750万人。この人数で、効率よく稼ぎ出しているから豊かなのだ。
人口密度でみてみると、スイスの人口密度が約180人/km2なのに対して、日本が約330人/km2。人口密度で倍ほど違うところで、一人当たりGDPで倍ほど負けているのだから、単純に考えると、人口を半分ほどに減らしてもなお今の経済活動を続けられれば、日本はスイス並みに豊かになれる。
これは、現実にスイスで実現されている状況である。

幸い、日本では自然に人口は減っている。もっと減らすように努力した方がよい。少ない人数で効率よく稼ぎ出す工夫をする。これに、すでに築き上げられてきた環境保全への高い意識が組み合わされば、経済的にも精神的にも豊かな国に日本はなれるのだと思う。

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これに似た視点を、中国も持つようになってきた。

記者は言う:
>高い経済成長率は、労働力を安価で売り、環境破壊を犠牲にして手に入れたものだ。肥大化のために払った代価は数知れない。環境の深刻な汚染、奇病の多発、商品の安全問題。国は富みても民は富まず。弱者たちは生存のための苦しみにうめいている。


統計的経済指標から、環境破壊と格差拡大に関心が移りつつある中国。
中国が真の“大国”になりつつある。…まだ途についたばかりだとは思うが、中国の時代は次に移ったと思う。