前回、前々回と言葉に対してのこだわりや、
自分自身のなかでの観念的な話を書きましたが、
今日は、じゃあどうやって、言葉を磨いていくのか?という話を。
前々回投稿記事→「人」に“力”を与える〇〇力って?
前回投稿記事 →毎日、磨くもの。
というより、自分自身はどういう風に磨いてきたのか。
これを機会に振り返ってみようと思います。
〇〇を磨くための△△の方法、だったり、
何日間で〇〇をマスターする!なんて本とかを、
よく本屋で見かけますが、
ああいう類の本は、購入して読んだだけでノウハウを習得した気になってしまう。
ぎくっ。
経験ある人、きっと多いはずです。
読みながら、「なるほどね、ほな明日から!」と行動できる人ばかりではない。
無論、私もその一人で、続いていないことの方が圧倒的に多い。
読者が読んだあとに簡単に実践できてしまっても、困るけどね。
本売れなくなってまうやろうし。
だから似たような本が出回るっていう現実があるんかな。
良い本に出会えたことは確かかもしれない。
でも、本当にその本の価値を高めるのは、その後の行動の質を高めることにある。
冊数より、良き本に出会い、
自分自身の価値基準を上質なものに変化させられるか、が大切なわけです。
書いてあることはほとんど同じでも、読みやすく体系化されているものが売れる。
でも、本の内容も大事だけど、読んだ人の“実行力”に懸かっている。
と、くどいぐらい念を押したうえで始めます。
言葉の磨き方、ゴリゴリの自論、スタート。
1.世の中への疑問
まだまだ発展途上の自分の言葉力ですが、
しっかりとこだわりを持てるようになるまで、どうやって言葉を磨いてきたのだろう。
そう自問自答したのは、前回のブログを書き終わったときでした。
今から書く文章は、
ある種、無意識的に磨いてきた言葉力を意識的に解明していくという、
なんとも滑稽で生産性のあるような、ないような話です。
意識的に「よし、磨こう!」と磨いたことは、ない。
誰かにアドバイスを受けたことも、そういやない。
“好きこそ物の上手なれ”で、気づけば今の自分が出来上がっただけ。
荒削りの我流でしたが、気づけば文章を書く仕事や
講演などの依頼もありがたいことに受けるようになりました。
自分自身の言葉で、自分自身の経験を語る。
それが誰かの背中を押すことにつながるのはとっても幸せなこと。
その楽しい扉を開けるに至ったのは“世の中への疑問”があったからでした。
辞書的に解釈できることばかりじゃない。
「これか、こう。あれは、こう。」と、あたかも誰もが持っている共通認識のように、
自分の観念を押しつけてくる大人、いるでしょう。
心底納得いくように説明してくれたならいい。
でも、だいたいが“押しつけ”で終わってしまう。
世の中は意外とシンプルだけど、
はっきりと答えが用意されているものばかりではないし、
グレーゾーンのなかにあるものほど、大事なものがあると気づいた。
グレーゾーンってなんや…?
人によって異なる“価値観”そのものです。
子供だった頃に、大人はなんでも必要な答えを持っていると思っていた。
自分のなかで好き嫌いはあっても、
小学生の頃から、こう生きていこうっていう“価値観”とかはなかったし、
まわりで支えてくれる人、指南してくれる人がいたからこそ、
ここまで生きてくることができた。
それは紛れもない事実です。
今年で28歳、この年になって思う。
何かに迷っている大人も大勢いるし、必要な答えを持っている人ばかりでない。
自分自身がどこから来てどこに向かっているのか、わかっている人ばかりではないし、
そう、世の中は、はっきりしていないことの方が多かった。
学校で教わらなかったことは、そのまま生きていくうちに見つけてこいと、
“社会”という名のジャングルに放り出される。
それでいいと思う。
でも、そのせいで迷っている人は、本当に多い。
それが理由になっているかは断言できないけど、
多くの大人は、大人になっても(大人になったからこそ?)いろんな問題に悩まされて、
病気に罹ってしまう。
答えの見出し方を、大人になった途端に、ゆだねられるわけですよね。
「自分で考えなさい。」と。
学校で教わった方程式や四字熟語じゃ解決できないことを知る。
ここで、初めて、自分と向き合うことを知るのでしょうか。
まわりの大人が答えを教えてくれないから、
「仕方ない。自分で答えを見出すことにするか」と、幼少期に割り切ったわけでは決してありません。
そこまでませてないです。笑
でも、自分と徹底的に向き合わざるを得ない時間を神様がプレゼントしてくれた。
世の中に対する疑問や自分自身の人生に対し、自分自身で答えを見出して、
納得のいくものにたどり着くまでのプロセスを、楽しみ始めたのが、すべての始まりだった。
あらゆる疑問に対する自分なりの”解”をもとに自分の人生をデザインしていこうと思った。
そうすれば、ストレスなく都合のいい世界のなかで呼吸ができると、直感した。
それが高校2年生の頃。
世の中は不条理なことや納得のいかないことだらけ、という人も多い。
確かにそういうこともあるかもしれない。
でも、思考を放棄し、受け身に走った人ほど、そう言う。
本当に不満があって、真剣に変えたいことがあるなら、
人は考え、“行動”するはずだから。
(だから、歴史の教科書には偉人がたくさんいるんだなと納得できる。)
世の中に対して、また自分自身の人生に対して、“考え始めた”ことが、
後々言葉で表現する上での論理的思考を養ってくれたと思う。
だから、講演でも学生に伝えます。
「疑問に思ったことをそのままにせず、掘り下げてください。」と。
「その力が、事実がいつか人生の糧になる。」と。
高校生相手なら、高校生時代の自分が欲しかった言葉を、
大学生相手なら、大学生時代の自分が欲しかった言葉を、伝えるようにしています。
高校2年生のボクは、静かに考え始めました。
今から約10年前の17歳の冬でした。
2.自分自身の言葉で表現する
本を読んで影響を受けた。もちろんアホほどあります。
誰かの一言に魂を揺さぶられた。数え切れないほどあります。
人は、意識下に行ったか、無意識下に行ったか別して、
互いが互いに影響を与え合っている生き物です。
社会的な生物というか、関係のなかに自我を見出すこともきっとあるでしょう。
言葉が持つ影響力は、凄まじい。
だからこそ、一度腑に落ちた言葉は2度と体から離れない。
しっかりと染みついて、血や肉となり自分自身を支えてくれる。
その想いがあったからこそ、
世の中に対して、また自分自身の人生に対して、“考え始めた”ことは、
次の段階へと向かった。
あらゆる疑問に対し、自分の”解”を与える作業は、
世界で1つだけの都合のいい辞書を、脳内に創造していく作業に他ありません。
時間はかかる、でもこんなに価値のあることはない、と
当時の足りない脳みそではそう考えていた。
その道の途中で、新たに生まれた問いは、
「自分自身の言葉で表現するにはどうしたらいいのだろう?」
付け焼き刃ではなく、内側から生まれた言葉でないと、
本当に骨の髄まで、“自分色”に染めることは難しい。
かと言って、赤子が政治討論を始めることはありえなく、
誰もが始まりは“言葉を借りる”わけです。
誰かを真似る。
誰かの受け売りで「〇〇が言うには~。」みたいな言い回しを使うこともあるでしょう。
簡単です。ググってパクればいいわけだ。
でも、実体験でない限り、説得力は弱まります。
だって、その人の内側の芯から染み出た言葉でないと、なんか薄く思える。
実際にこう言われたら、どうでしょう。
「かの有名な野球選手、イチローもこのように言いました。持続力が大切ですと。
明日からも一丸となって頑張りましょう!」
そう発言した上司が、
誰よりも早く出社することを持続している姿勢を部下に見せているならいい。
でも、発言者が何を持続しているかわからないフワフワしている人なら、
馬耳東風。「また、なんか言ってんなぁ~。」って、なる。
そのへんにある自己啓発本の表現を真似たような言葉は、
誰にでも言える。
でも、言葉の裏にある実体験や温度までは、真似できない。
これです。
Q.「自分自身の言葉で表現するにはどうしたらいいのだろう?」
A.「実体験」があれば、自分自身の言葉で表現できる可能性が高まる。
間違いない。
経験ベースであれば、当事者でない限り、当時の想いってやつを再現できないわけだから。
今度は、「実体験」をよりリアルに再現する語彙力と感性の出番なわけです。
3.“伝える”と“伝わる”の違い
誰かの話を聞いていて、感動する。
もしくは、誰かの文章を読んで共感するってことはよくありますよね。
人の共調意識に訴えかける話は、響きやすい。
でも、声高に叫ぶだけではダメ。
自分自身の話であるかのように、
置き換えられるように伝えることが大切だと感じる。
当事者意識をかき立てるような表現や臨場感のあるような話。
この人話うまいなぁ~と思った人の共通点を昔分析したことがあります。
総じて言えたのは、話を聞いている途中でも、
過去の自分の体験を振り返ってイメージし、重ねたくなるような、
比喩表現や言い回しが多かったことに気づきました。
その発見と同時に、
誰もが誰かに、自分ってやつを重ねたいんだ。
そう、思いました。
綺麗に重なることがあるのなら、
この人は自分をわかってくれるという想いがこみ上げてくるのでしょう。
発信者が発言する。
それに対して、
受信者は言葉を受信した際に、自己完結する対話(自問自答)を、
心のなかでしたかどうかです。
過去の自分を発信者の話の内容に重ねるように、
「自分はどうだろうか、できているだろか。」とか、
「今後も私はこうしたらいいだろうか。」と、
受信者が自然と“自分会議”を始めたくなるような話は、記憶に残りやすい。
実体験をただ伝えるだけなら、誰にでもできる。
「おもしろかった」
「やばかった」
「きれいだった」
小学生ばりの語彙力しか持たない大人も数多くいますが、この差は場数で決まる。
場数ってなによ?
インプットとアウトプットの総数です。
比率は、ぼくのなかでは4:6ぐらいでアウトプット優勢だろうか。
ある一定レベルを超えると、
インプットなしでも、好きな文章を好きなだけを書けるようになる。
ほんとです。
だから、表現力やコミュニケーション力にまつわる本を読んだところで、
結局なにも変わらないのは、場数不足(=アウトプット不足)。
そして、ポイントは詰め込めばいいわけじゃないってこと。
吐き出し方も訓練しないと、結局未消化でそれはただの排泄物です。
インプットとアウトプットで、語彙力を磨く。
これは、実際に本を読んで文章を書くのも、
人の話を聞き、人に話すのも同じ。
(適切な質問をぶつけてくれる人が近くにいたら、
その人と対話を重ねることをおすすめします。
脳フル回転させながら、言葉を選ぶ訓練になります。)
インプットの数をこなしていくうちに、本であれば自分好みの作家に出会うはずです。
生の対話であれ、この人との時間は面白いと思うようになるはずです。
本であれば、読み込んでその作風の背景にある想いや根源は何かを探ります。
それぐらいのインプットをこなした人は、
人にもよりますが、自分でも書きたくなってくるに違いない。笑
そして、
実体験と言っても、〇〇に行った、とか、△△をした、みたいな、
事実ばかりではないわけです。
人が知りたいのは、そういった事実を体に通した結果、
「あなたはどう感じたか」です。
受信者側は、「自分ならどう感じるだろう?」っていう自問自答をしたいわけです。
A:オーロラを見に行ってん!
B:へぇ~そうなんや!どうやった?
A:めっちゃきれいやったで!一生に一回は行くべき!
B:へぇ~ええな!
よくねえよ。笑
何がどう綺麗だったか、教えてくれよ。笑
ぼくはそういう人間なので、聞きたいことには、しつこく質問します。
適切な質問をすれば、人の言葉力を引き出すことも、きっと可能になる。
旅をしていても、上記のような表現しかできない旅人より、
スナフキンのように静かに自分のことを語ってくれる人の方が大好きでした。
そして、旅をし始めたときは、そういうオーラを放つ人たちに、
憧れていたものでした。
実体験を補強する「①語彙力」と「②感性」という話をしましたが、
感性の磨き方は、正直わかりません。笑
いい音楽聞いて、いい絵をたくさん見て、きれいな景色をたくさん見ることですかね。
右脳の鍛え方は、専門家ではないので、ここでは下手に説明できませんが、
自分の幼少期を掘り返すと、この経験が感性を育てだんだろうな、と思うことはあります。
音楽に触れたこと。
たくさん本を読んだこと。
大自然のなかで、遊んだこと。
親に、感謝です。
「実体験」をよりリアルに再現するには、
インプットとアウトプットを積み重ね、語彙力を磨き、感性を育てていく。
お話しは、出口へと向かい始める。
4.自分自身を知るということ。
実体験、それを補強する語彙力と感性。
これがあれば、言葉が磨けるのか!よし!
でも、…あれ?
となるでしょう。
人に話すような経験ねえよ!!!!!
心の中で、「ほんまそう!」と手を打った人、いますか?
それ、間違っています。
対話の相手が自分自身では不十分ですか?
ぼくはそうは思いません。
むしろ、入口も出口もそこにあると思っています。
どういうことか?
無意識に楽しんでいたとは言え、言葉を磨いてきて本当によかったなと思うこと。
人前で講演できるようになったから?
違います。
ライターとして仕事の依頼が来るようになったから?
違います。
フォトエッセイブックを4冊も発行したから?
違います。
もちろん、それらもとっても喜ばしいこと。
でもなによりよかったなと思ったことは、
「川崎芳勲という一人の男の味方になることができた。」と、いうことです。
言葉を磨いてきたから、考えるようになった。
言葉を磨いてきたから、迷わなくなった。
言葉を磨いてきたから、解を自ら創造する楽しさを知った。
言葉を磨いてきたから、自分と向き合うようになった。
言葉を磨いてきたから、自分という一人の生き物を知ることができた。
言葉に真摯に磨き、こだわることは、
自分自身との対話を楽しむことに直結します。
人は、どこから来て、どこに向かうか、決まっています。
でも、その道中がどうなるかなんて、誰も知りません。
靄がかかっていて、よく見えないこともあるでしょう。
そんな靄を吹き飛ばしてくれたのが、ぼくの場合、「言葉」でした。
それだけの話です。
文章を書くことは大好きですが、本業はPhotographerです。
これを機会に一端の表現者として、言葉の磨き方に対する想いが整理できて、
よかった。
最後まで読んでくれたあなたに、一礼。
~まとめ~
① 世の中に疑問を持つ
② 自分自身の言葉で掘り下げていく
③ インプットとアウトプットを積み重ねる
④ 自分のスタイルが見つかる
⑤ 自分自身の言葉で、”私”と向き合う