2015年08月05日 大阪プチ旅行
3月に決定していた、今回のプチ旅行。
長女のライブ参戦ついでに家族旅行、だったのですが、
直前までノープラン。
忙しすぎだよ(笑)
とりあえず、長女と大阪ドームでお別れ。
今回は城の南側の駐車場に停め、玉造口から登城。
内堀は水がなかったです。
豊国神社により、秀吉公に挨拶。
桜門の桝形、巨石
そして、天守!!!どーーん!!!
3代目らしいです(笑)
もちろん、最上階まであがりました。
残念ながら、のんびり見ている間に西の丸庭園が閉園。
茶室を見に行けなかった(^^;)
そして、反対側の大手門から外に出ました。
この日の大阪は最高気温37℃ですが、暑かった(^^;)
そんな中、2時間半ほど歩き回って、次女も嫁もお疲れさまでしたw
大阪城(大坂城)(Wikiより・・・)
別名:金城、錦城
摂津国東成郡大坂(現在の大阪市中央区大阪城の大阪城公園)にあった安土桃山時代から江戸時代の日本の城。
大坂城は、上町台地の北端に位置する。かつて、この地のすぐ北の台地下には淀川の本流が流れる天然の要害であり、またこの淀川を上ると京都に繋がる交通の要衝でもあった。元々古墳時代の古墳があったと言われ、戦国時代末期から安土桃山時代初期には石山本願寺があったが、1580年に石山合戦で焼失した。石山合戦終了後、織田信長の命令で丹羽長秀に預けられ、後に四国攻めを準備していた津田信澄が布陣したこともあったが、信澄は本能寺の変の際に、丹羽長秀に討たれた。その後、清州会議で池田恒興に与えられるも、ただちに美濃へ国替えとなり、秀吉によって領有された。そして秀吉によって大坂城が築かれ、豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となったが、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失した。徳川政権は豊臣氏築造のものに高さ数メートルの盛り土をして縄張を改め再建した。その後、江戸幕府が大坂城代を置くなど近畿地方、および西日本支配の拠点となった。