正式名は金龍山 釈満院 円頓宝戒寺。天台宗の寺院で地蔵菩薩を本尊としています。
 
 

宝戒寺は鶴岡八幡宮三の鳥居前の道(横大路)を右に行った突き当りに位置する。寺域は北条義時以来の歴代の北条得宗家の屋敷地跡と伝える。

得宗家9代目当主で鎌倉幕府元執権(第14代)の北条高時は、元弘3年5月22日(ユリウス暦1333年7月4日)、新田義貞の軍に追い詰められて葛西ヶ谷(かさいがやつ、宝戒寺の裏山)の東勝寺で自害、一族郎党870余名も運命を共にし、鎌倉幕府は滅亡した。宝戒寺蔵の建武2年3月28日(同1335年4月22日)付の足利尊氏寄進状に、同寺は「北条高時の慰霊のため、その屋敷跡に後醍醐天皇が建立した」旨の記述があり、後醍醐天皇が天台宗の高僧・円観慧鎮を開山としてこの寺を造営しようとしていたことは事実と思われる。しかし、実際の造営は、後醍醐天皇による建武の新政が崩壊し、同天皇が没した後に足利尊氏らによって行なわれたと推定されている。

 

 
 

建武2年寄進状から17年後の1352年(観応3年)に作成された足利尊氏寄進状案には、宝戒寺の造営料として上総国武射郡小松村(現千葉県山武市)と、出羽国小田島庄(現山形県東北部)の土地を寄進するとあり、この頃ようやく宝戒寺の造営が本格化したことがわかる。「惟賢灌頂授与記」という文書によると、2世住持の惟賢によって灌頂が宝戒寺で初めて行われたのが1354年(文和3年)であり、この頃にようやく寺観が整ったものと思われる。

鎌倉幕府が滅亡した5月22日に、北条高時の慰霊のために徳崇大権現会・大般若経転読会が行われる。徳崇大権現として祀られている北条高時の御神像を権現堂から本堂に移して、大般若経を転読し、歌舞音曲を奉納する。大般若経の正式名称は大般若波羅蜜多経といい三蔵法師がインドから持ち帰った600巻に及ぶものである。(Wikipediaより)
 
 
 
 
参道を抜けて拝観所入り口を抜けると正面に本堂、右手には聖徳太子堂が建立されています。当然ですが聖徳太子がお祀りされています。(^_^;)
 
 
 
 
本堂への昇殿は可能で、御朱印は殿内右手の窓口で拝受することができます。・・・て言うか、自分が説明しなくても皆さんご存知ですわね(^_^;)
 
 
 
 
本堂前の梅はこんな感じです↓↓↓
 
 
 
 
聖徳太子堂の隣に祀られているのは德崇大権現堂。
北条高時公をお祀りしております。
 
 
 
 
隣に大聖歓喜天堂
秘仏と云われている大聖歓喜双身大王をお祀りしています。
 
 
 
大聖歓喜天堂から見えるのは紅白の梅
今は寂しい光景ですが、満開になるのが楽しみなロケーションかと思います(*^^)v
 
 
 
 
また、当寺院は「萩の寺」と云われており、秋の萩が有名なんだそうです。・・・萩の月ではないので食べられませんが。・・・多分(^_^;)
 
 
 
 
見慣れているとは思いますが、一応御朱印も添付しておきますm(_ _ )m
 
 
 
 
 
それでは、お休みなさいでございます。(^O^)/
 
 
 
 
宝戒寺
 神奈川県鎌倉市 小町3丁目5−22