照國神社
社格・別各官幣社
鎮座地・鹿児島県鹿児島市照国町19−35
御祭神
照國大明神(てるくにだいみょうじん)
◎島津家28代当主 11代藩主 島津齊彬(しまづなりあきら)


御祭神の島津齊彬公は文化6年(1809)御出生、嘉永4年(1851)43歳で薩摩藩・藩主を襲封され、安政5年(1858)薨去されるまで僅か7ヶ年間の治世であったが、その間の御事績は藩内のみならず日本国にとっても広く大きく数々のものを残された。生前の御遺徳を慕い崇敬の念を寄せる万民の願いにより神社設立の運動が起り、文久2年(1862)鶴丸城の西域である南泉院の郭内に社地を選定し、仝3年(1863)5月11日勅命によって照國大明神の神号を授けられ一社を創建した。
翌元治元年(1864)社殿竣工、照國神社と称し、明治6年(1873)県社に、仝15年(1882)別格官幣社に列格し、仝34年(1901)正一位を賜り、今日では、鹿児島の総氏神様として、多くの人々に崇敬されています。





当神社が鎮座している照国町は鹿児島の観光地の一角にあり、近隣には西郷隆盛像や私立美術館、裏手には城山などがあり、週末などは観光客で賑わっている。と、いう自分も「篤姫」ブームの時に観光で鹿児島に訪れています。





一際目立つ大鳥居を抜けると正面に見えるのは献木の「斎鶴」
この照國神社の一氏子の方が神恩に感謝し奉納したと献木なんだそうで、島津斉彬公(1809~1858)時代に植栽された「イヌマキ」です。







献木の右手にある建物は休憩所になっており自販などが置いてあります。





休憩所の横に手水があり、身を清めて神門に向かいます。





神門を抜けると正面に拝殿。




創建時は権現造りの社殿だったが、明治10年(1877)西南の役の兵火に罹り焼失、その後再建も昭和20年に戦災で焼失。再建、改築を重ね現在の社殿に至っている。





回廊の外から見た社殿





御本殿






回廊右側の門から外へ出ると石碑と島津齊彬像が建立されています。





斉彬公は中々の男前と見た(*^^)v





境内の右奥に建てられているのは護国神社の屯宮。




建築様式が照國神社の社殿とは違うので、少し違和感を感じた。(^_^;)





御朱印

御朱印は拝殿向かって左手の授与所で拝受することができます。
初穂料は300円也




神門前にあった石灯篭




10月3日・新田神社冠嶽神社→徳重神社


10月4日・枚聞神社→指宿神社→荒田八幡宮→鹿児島神社→照国神社花尾神社






それでは良い休日をお過ごし下さいまし(^-^)/

仕事の方は、今日も元気にいってらっしゃいまし(^_^;)