博多総鎮守・櫛田神社
社格・旧県社

御鎮座・福岡県福岡市 博多区上川端町1-41

社務所・092-291-2951



*絵柄は博多祇園山笠をイメージした御朱印帳*


櫛田神社



*完成度の高い綺麗な出来栄えなので、*新御朱印帳*は当分出ないでしょうね*



【御朱印】




博多総鎮守





櫛田神社は、古くより博多の氏神・総鎮守として信仰・崇敬を集めている神社です。7月の博多祇園山笠や10月の博多おくんちなどの祭事をおこなう。5月の博多松囃子(博多どんたく)は厳密には櫛田神社の祭事ではないものの、松囃子一行は櫛田神社から出発するしきたりになっている。




博多総鎮守



*御由緒*

社伝では、天平宝字元年(757年)、松阪にあった櫛田神社を勧請したのに始まるとされ、松坂の櫛田神社の祭神の大幡主神が天照大神に仕える一族の神であったことから、天照大神も一緒に勧請されたと伝えられる。天慶4年(941年)、小野好古が藤原純友の乱を鎮めるために京都の八坂神社に祈願し、平定した後に当社に素盞嗚神を勧請したと伝えられる。




博多総鎮守




他に、平安時代末期、平清盛が所領の肥前国神埼の櫛田神社(櫛田宮)を、日宋貿易の拠点とした博多に勧請したものであるとする説があり、櫛田神社の宮司らが編纂し昭和40年(1965年)に文部省(当時)に提出した『博多山笠記録』や昭和54年(1979年)に福岡市が発行した『福岡の歴史』はこの説を取り上げている。しかし、それは同市早良区の櫛田神社のことであるという反論もある。








同神社も戦国時代に荒廃はしたが、天正15年(1587年)、豊臣秀吉によって博多が復興されるときに現在の社殿が造営された。










明治元年(1868年)の神仏分離令より前の江戸時代までは東長寺に属する神護寺が櫛田神社を管理していた。

明治24年(1891年)に県社に列した。





博多総鎮守





御祭神は大幡大神(櫛田大神)、天照皇大神、素盞嗚大神(祇園大神)の三神で、正殿に大幡主神、左殿に天照大神、右殿に素盞嗚神が祀られています。






博多総鎮守





*雲泉鶴の井戸*

不老長寿の御神水で、一口目は自分の為・二口目は家族の為・三口目は親類、縁者の為に念じて三口で飲み干すそうです。(しょっぱいそうです)





博多総鎮守




祇園山笠・山車のオブジェが境内横の駐車場付近に飾られていました。・・・音声案内付きです。





この日は、生憎の雨の上、飛行機の時間がギリでよく見て回る事が出来ず、無念を残し帰ったので、何とか機会を作り再訪したいと思っています。・・・と、言いつつ1年が過ぎてしまいましたが。(^_^;)


*何故だかワクワクした神社でした。(^.^/)))