(308)旅の平穏 | 江戸老人のブログ

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この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。




(308)旅の平穏

 

 江戸時代の旅といえば、山賊、雲助、ゴマのハイ、枕探し、などの犯罪者を連想する方が多いが、実はとても安全だった事実を指摘すると驚く方が多い。犯罪のない社会はないので、旅人を狙う犯罪者がいたことは否定できないが、そうはいっても江戸時代の日本は、驚異的に犯罪が少ない国だった。
 
 これを具体的に示しているのが警官の数である。[捕物帳]のなかの江戸はちょっとした犯罪都市のようだが、実際は百万都市の江戸には定町回同心(じょうまちまわりどうしん)という正規の巡査が、12人、四十万都市の大阪には、わずか4人という驚くべき少なさだった。現実として事務や記録に手間が掛かるから、俗に岡っ引きという手下をつかったが、それでも非常に少なかった。

 

 ニュー・スコットランドヤード、いわゆるロンドン警視庁が設立されたのは、江戸時代の最盛期に相当する文政十二年(1829)で、当時のロンドンの人口は、およそ九十万人だったが、設立当時の警官は3235人だったそうだ。これは事務官や調査官をのぞいた巡査のみの人数だから、イギリスは同時代の日本と比べようがないほど犯罪が多かったとしか考えようがない。

 

 江戸時代の日本は、嘘のように平穏な国だったのである。
 今の日本人は、かなり旅行好きだが、われわれ日本人の「お出かけ好き」は、今に始まったことではないということだ。やたらと出歩くことが好きな人は昔から大勢いて、自分の足がほとんど唯一の交通手段だった不便な時代でさえ、びっくりするほど大勢の人が日本中を歩き回っていたのだ。

 

 伊勢参りの絶頂期には、日本人の五から六人に一人が全国各地から伊勢をめざした。金をもっていなくても旅を続けられる不思議な世の中だったから、本当に旅に出たいと思えば、子供でさえも家を飛び出して歩いていった。この人たちが、いやいやながら旅に出たとは信じられないから、ご先祖様も子孫に引けをとらないお出かけ好きだったとしか思えない。

 

 だが、どんなに旅が好きだったとしても、大勢の人が出歩くための絶対条件は、安全に旅ができるということだ。
 今となっては、実際に江戸時代の日本国内を歩き回ることはできないので、本当に安全だったかどうかを直接確かめる手段はない。だが、犯罪の記録だけをせっせと集めて昔の旅の危険さを証明する代わりに常識を働かせれば、あの不便な時代に信じられないほど大勢の人が旅に出たこと自体が、江戸時代は安全に旅ができたことの、何よりの証拠だといっていいのではないか。

 

 大勢の旅人の中には、旅日記を書き残した人もいるが、たとえ肉体的には辛いことがあったにせよ、旅人自身が犯罪に遭遇した記録はほとんどなく、平穏な旅が多い。
 日向(ひゅうが)佐土原(さどわら)の“野田泉光院”(せんこういん)という山伏も、文化から文政にかけて、六年三ヶ月(1812~18)という長期間の托鉢の旅を全国にしながら、毎日くわしい日記を書き続けた。

 旅のあいだに出会った最大の事件は、泊めて貰った農家が近所の火事で類焼しかけたので、食べかけていた夕食を裏の畑へ持ち出してから、家財道具の運び出しを手伝ったことだった。われわれが想像するような旅人に対する犯罪については、何ひとつ書いていないどころか、犯罪の危険性を感じた様子さえない。

 江戸時代の日本は、対外的な戦争をしないという意味での平和国家だったばかりでなく、国内も実に平穏だった。この時期にこれほど安全に自国内を自由に旅行できた国は、世界中にほとんどなかったといっていいだろう。



現代との比較は禁物
 犯罪が少なかったという点では平穏だったとしても、荷物を担いで歩く旅は、肉体的には決して安楽ではなかった。特に、真夏や真冬、梅雨期などに急ぎの旅をしなくてはならない人は、今のわれわれには創造もできないような辛い思いをしたに違いない。
 

 不完全な雨具しかなかったから、できることなら雨の日は歩きたくなかったろうが、少しでも早くもう敵地へつく必要のある場合は、大雨でも出て行かなくてはならないし、予算が少なければ、一ヶ所に滞在し続けられない。また、ゴム長靴も地下足袋もない時代は、雪の峠も、足袋の上に草鞋という足ごしらえで越えるほかなかった。

 

 現在の電車や自動車による旅に比べれば、天国と地獄といっていいほどの違いだと思う。しかし、勘違いしてはいけないのは、昔の人にとっての旅とは、それが普通の状態であり、特別に辛いと感じていたわけではないということだ。というより、ほんの百年ばかり前に始まったばかりの飛行機や鉄道による旅の方が、人類としては普通でない移動手段なのだ。

 

 旅に限らず、江戸時代のさまざまな記録を見ると、「昔は大変だったことも、今では楽にできるようになった」という書き方をしている場合が多い。考えてみれば当たり前であって、それぞれの時代の人は、時代の先頭に立っている、つまり、今のわれわれと同じようにいつも最新の時代を生きているのだから、より不便だった過去より便利だと思って当然で、今が不便だと思って不平たらたらだった人がいたとしても、ごく少数派だったに違いない。

 

 こうしてご先祖様は元気よく旅に出たが、何をするにも大量の化石燃料を燃やして大気汚染の原因を作っているわれわれ子孫と違い、ご先祖があるきながら吐き出した二酸化炭素はごくわずかだった。また行く先々で、大量のプラスチックごみを出しながら進んで行くわれわれの旅と違って、ご先祖はほとんどごみの出ない旅をした。また、たとえごみが出たとしても紙屑か包装材の竹の皮くらいで、紙は再生業者が喜んで回収したし、竹の皮は燃やしても捨てても二酸化炭素と水に分解して、いずれまた竹の皮として再生した。江戸時代までのご先祖は、当時としてはかなりの消費と伴った旅をしても、ほとんど周囲を汚すことはなかったのである。
 
 当時は今と人口が違うから、と、反論する方がおられると思うが、今現在のように、一日に百億円分の化石燃料を燃焼させて、その結果、日本国内でも過激気象での犠牲者を出しながら、不安だ、不安だと原子力発電所を稼動させない。貿易収支は赤字が続く。フランスと核融合炉の実験に取り掛かる時期なのに、これではご先祖様に申し訳が立たないと思っているのだが如何だろうか。



引用本:『ニッポンの旅』 石川英輔著 淡交社刊 平成19年