(275)嘉祥(かしょう)五節句 | 江戸老人のブログ

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この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。




(275)嘉祥(かしょう)五節句


 6月16日は和菓子の日だ。

 和菓子とはあれ、そう、洋菓子の反対というか伝統的な和菓子です。水菓子と言うのは果物のことだけど、ま、果物は入れない和菓子の日です。
 

 じゃなぜこの日か? 怖れ多くもこの日、京都では天皇 から臣下へ一升六合(16合でしょ?)の米が下賜(かし)される。すると頂戴した米は、虎屋(とらや)か二口屋という菓子屋で菓子にされる。「虎屋」はとても古くて、明治維新のとき天皇 家にくっついて東京へ出てまだくっついている。だから公文書館なみの文献をもっている。16種類の菓子をたべることが大事だったとか。
 
 なぜ6月16日かというと、旧暦のこの日は嘉祥(かしょう:陰暦6月16日に厄除けのため16個の菓子や餅を食べる行事。「かぞう」とも読む。嘉定とも書く)と新潮社の「日本語漢字字典」にあります。これはとても使い易い。今まで『字源』は高校漢文のときから触ったこともない。まったく役に立たぬ代物だけど、こっちはバッチリ使える。
 

えーと菓子の話でしたが、江戸では「嘉祥」がもっと派手だった。この日、江戸に在府の大名と旗本は、江戸城に総登城し、将軍から菓子を賜る。凄いんだねこの総登城というやつ。ラッシュアワーなみに混む。見物人が多くますます混雑するから、城近くからでも二時間は早く出たという。二代将軍「秀忠」の頃までは将軍自ら手渡したから、二、三日は将軍も「肩と腕」が痛くてしょうがなかった(『徳川実記』)。
 
 菓子の種類と数は、饅頭588個、羊羹970切れ、鶉焼き(うずらやき:餅菓子の名)140個、あこや(阿古屋貝に見立てた小さな団子)2496個、きんとん3120個、寄水(?)6240個、平麩970個、熨斗(のし:熨斗あわび・ノシイカ?))4900筋など、総数で二万三百二十四にも及んだとか。
 

これらの菓子を500畳の大広間にズラリとならべた。これは壮観だろう。糖尿病の方は想像するだけで病状が悪化しそう。そうはいっても幕末には特別な人だけとし、数人ずつ菓子を頂き、将軍もさっさと消えた。合理化というか簡素化された。
 
 大名たちは菓子をいただき、台に用意された「そうめん」を食べ、屋敷に戻る。

 今度は屋敷で家臣を集めて「嘉祥」を行う。大名家出入りの菓子屋はもちろん、江戸中の菓子屋は目の回るような忙しさだったという。また頂いた菓子を遠くの東北や九州に送る大名もいた(これ景気対策にいいなぁ)。

 この幕府「嘉祥」の由来はハッキリしない。よくわかりません。家康に関するとの伝説もありますが、室町時代から続くものが、明治維新で幻となった。そこで近年だけど、全国の和菓子業者が「嘉祥」を現代によみがえらせた、とこういうわけです。



七夕のそうめん

 幕府は24節気のうち、以下を五節気と定め、総登城の日としていた。一月七日以外は数字が重なる日(奇数だけに注意)で、覚えやすい1月7日 3月3日 5月5日 7月7日 9月9日 で、この日、大名は江戸城へ向かう。そしてラッシュアワーに。
 七夕の日はたいてい素麺をゆでて食べた。『東都歳時記』にも「貴賎にかかわらず『冷そうめん』を食べた」とある。まあ、昔の七夕は暑いですからゲン ナリした食欲となり、冷たいのを食べたのでしょう。味噌汁などへ入れ暖かいのが入麺(にゅうめん)というものだ。何となく頼りない食感を楽しむロリータ趣味みたいな食べ物だ。
 ちなみに7月7日はそうめん業者による、「素麺の日」であります。

 幕末だからチャンと素麺を折り、短くしてうでていたのでしょう。北斎漫画の『長い素麺を食べる江戸っ子』は以前ご覧に入れています。



月見団子
 8月15日はお月見、もちろん月見団子を頂きます。白玉粉(もち米の粉)で作る。旧暦だと月の運行で一ヶ月を決めており、毎月15日は満月となる。この時代最も明るかったのが月の光とされる。行灯(あんどん)じゃあ本も読めない。しかし月見団子はただ真っ白の球体、あまり旨そうではないけど、砂糖くらいは入っていたのか?
 旧暦の秋だと7,8,9月が秋でして、8月は、この「秋のど真ん中」だから中秋(ちゅうしゅう)という。ウソじゃないって! 仲秋と書いてもいい。この日はサトイモを一緒に食べたとか。江戸時代に芋といったらサトイモのこと。サツマイモもジャガイモもずっと遅れた。

 十五夜だから、供える団子も15個だ。庶民も小さな団子を作り、15個をワンセットにして家族や奉公人に配る。この団子は形から「鉄砲玉」といった。【大家から鉄砲玉が十五来る】なんて川柳が残ってます。ちなみに月見団子は江戸では球体、上方だと小芋のかたちに尖らせた。大きさは6センチほどで、そうとう大きい。

 

幕府五節句の食べ物は
1月7日の人日(じんじつ)には七草がゆ、3月3日の上巳(じょうし:ひな祭り)は、草もち、ひし餅、ハマグリなど 5月5日の端午は柏餅、ちまき、7月7日は七夕で、ソウメンを。9月9日は重陽(ちょうよう)で栗や「菊酒(たぶん、酒に菊でもいれた?菊正宗ってのがあるけど・・・)」などと楽しんでいる。また一日、十五日、30日(29日)などは、簡単な酒肴を用意する日と定めた。武士だけではなく商家も同じで、みなさん季節感豊かな食生活を楽しんでいたようだ。


引用本:幕末単身赴任・下級武士の食日記 青木直己著 NHK出版