『甘糟春女塵塚日記』 その25

 四、五日前の事なり。うつう峠のはたご屋にて上の山のさむらひとか腹を切
り死したるよしいかなるわけかしらず。にもつにても開き見なばわかるかも知
れねども、先づけんしをうけざるうちは、それも出来ずと小国のさもいり話せ
し由。
 又最上(もがみ)のはなしを書く。四月中最上の谷地千軒あるところ七、八
百軒焼ける。こればかりでもなく、大風の吹度(たび)ごとにふくしき内より
いつにても屋根よりもえたち、ふしんなしおりし事なるよし。しかるに同もが
みにて夫婦の火つけ、不思議なることよりあらはれたる話をきゝぬ。
 最上のいづれの地ばにやありけん。虚無(こむ)僧の夫婦、馬かたに尋ぬけ
るは、米沢へ行く道はいづれぞとたずねしに、馬子答へて、われは米沢へ行く
なり、ひとつに行き給へと云ひぬ。こむ憎大きに喜びさらば連れ行き給へと共
に行き、ひる飯の時ある茶屋へあがり、馬子こむ憎にむかひて酒をのみ給はず
やと問へば、ひとつも用ひ申さずとて奥座敷へ行く。
 奥に行きて酒をとりよせて夫婦にてさいつおさいつ大きにのみ、じうぶんに
酔いたるところ馬子にかまわず行かんとす。馬子先程よりこむ僧の酒をのまず
と云ひながら酒をのみ、又われに連れ行きくれろと云ひながらだまりて行くと
は腹立たし。さってもにっくきぼろんじかなといかりおるところへ、あい手の
馬子二、三人来りしかば、此事如何にすべきと相談す。

 <超訳>

 四、五日前のこと、宇津峠の旅籠で、上山の侍が切腹して死んだ、理由は分
からないとのこと。荷物を開いて見ればわかるかもしれないが、まず検死を受
けてからでないと、それも出来ないと小国の庄屋が話していたとのこと。
 また、最上での話を書いてみる。四月中ごろ、最上の谷地で、千軒あるとこ
ろで、七・八百軒焼ける火事があった。こればかりでなく、大風が吹く度に、
中から燃えるのでなく?、いつも屋根から燃え上がり、不審なしるし(支折)
があるとのこと。そんなときに、同じ最上で夫婦の火付けが、あやしいことか
ら現れた話を聞いた。

 最上地方のどこかでの話しである。虚無僧の夫婦が、馬方に米沢へ行くには
どの道を行けばいいですか?と尋ねた、馬子はそれに応えて、自分は米沢へ行
くところなので、一緒に行きませんかと言った。虚無僧は非常に喜んで、それ
なら一緒に連れて行ってと歩き、昼飯の時にある茶屋に入った。馬子が虚無僧
に酒を飲みませんかと云うと、少しも飲めないと奥座敷に行ってしまった。

 奥に行って酒を頼んで夫婦でさしつさされつ大いに飲んで、十分に酔ったう
えで、馬子にかまわずに行こうとした。馬子はさっきから、虚無僧が酒飲まな
いと言いながら酒を飲むし、連れて行ってくれと言っておきながら、黙ってい
くというのは面白くない。さてさてにくい梵論師(虚無僧)と怒っている所
へ、仲間の馬子がニ三人来たので、これについてどうすべきかを相談した。

 つづく