ヴァージン・アトランティックの飛行機には一機ごとに名前 がついています。
これは確か「Mustang Sally」とかいう名前だったと思います。
他にはとなりに「Lady in Red」がいたし、帰りは「Madam Butterfly」でした。
で、さらに感動したのが、搭乗時の音楽が、行きの「Mustang Sally」では、オアシスとかのブリティッシュロック、帰りは機にちなんで、オペラの「マダム・バタフライ」がかかっていました。
なんとオシャレ。
・・・続き。
病院から帰った翌日からほぼ2日、ジュースくらいしか受け付けず、クランベリージュースと水のみでなんとか生きてました。
ホストマザーがオレンジジュースを勧めてくれたんだけど、
日本人の感覚だと、Vomittig及びdiarrheaした後に、グビグビとオレンジジュースなんか飲めないよね??
っていうか、オレンジジュースって結構胃にハードな感じよね??
で、ようやく3日目に、ふらつくけど、学校に行けなくもない感じだったので、
学校に行って、まずオフィスで話をしました。
スタッフに「まだフラフラするんです・・・」と言ったら、
チョコレートを食べると治るよ。」というんです。
・・・・オレンジジュースといい、チョコレートといい、あんた達にはセンシティビティってものはないのかい?
で、その後、校長先生と喋ったら、「あなたはもう学校の有名人よ。」というではありませんか。
軽く食中毒になっただけだと思っていたんですけど、校長先生の説明だと、
どうも感染性の髄膜炎だと疑われていたようで、その場合、学校を閉鎖しなければいけない事態になるんだそうで・・・・・・。??
その後、いろんな先生に会うごとに「身体はもう大丈夫なの?」と聞かれ放題。
校長先生の話を聞いて、病院での扱いに合点が行きました。
周りの患者が病気な割りに元気にしゃべってて、
眠れないので、看護婦さんに「うるさくて眠れない」と訴えた後、
周りからすべての患者さんが移動させられていて、ワタクシ的に「よしよし、なかなかアイルランドの病院もやるじゃないの」と思っていたのです。
しかしながら、自分の居るベットのカーテンに
「Isolated」
と張り紙がしてあったことと、学校での校長先生の説明から、
事の全容を理解するに至りました。
どうも感染性の病原菌の保菌者であると思われたようです。
というのも、私は食べ過ぎると背中が痛くなるので、背中が痛いと訴えていたのと、
そのころたまたま湿疹が出ていたところから、
インド人の見習い医者がそう判断したようです。
血液検査の結果はシロだったので、おうちに帰らせてもらえましたけど、
保菌者だと思われていたなんてーーー。
しかもみなさん、私の症状を知っていらっしゃるわけでして。
うあー、子々孫々、末代までの恥だぁ
先週の土曜日にゴルウェイに着いて、おひさしぶりのホストファミリーのパパさん、ママさん宅でくつろいでいたのもつかの間、日曜にえらい吐き気と××(自主規制)で、えらく前後不覚になり、しんどすぎて階下に降りれそうもないので、2階から携帯で、1階にいるパパさん、ママさんに電話しました。
そのうちほぼ意識がなくなり始めて、こらもうあかんで、という状態になってきたので、
おとっつあんの運転で近所のホームドクターに行ったのでした。
で、そこで、これはアヤシイ・・・、ということで急遽、救急車に乗って、深夜の病院へ。
感染症の疑いが強かったみたいで、血液検査やら、問診やらいろいろ受け、結局、ただの食あたりだろう、ということで、一晩点滴を受け、朝方タクシーで帰宅しました。
いやー、気絶しないようにがんばるって難しいね。
ホームドクターへ行く途中、まじで気絶しそうだったんだけど、
おとっつあんが、
「寝るんじゃないぞ、起きてんだぞ」
とやたら叫んでるので、一生懸命目を開けようとするんだけど、
目蓋が自然に落ちてくるんですよ。
で、病院に行っても意識朦朧としてるなかで、英語で具合を説明しないといけなかったし、
看護婦が入れ替わり来るので、一人一人に病状を説明していたので、
「意識朦朧としてる患者に繰り返し聞くんじゃねえよ、あんたたちでシェアしなよ」
と、気を失いながらもキレそうになりました。
そのうえ、深夜の病院はやたら混んでて、アイルランド人の患者(20代・オトコ)は、
隣のブースで5秒ごとに「ファッキン」を挟んでしゃべってるし、
そんなことを言うお前がファッキンだ、そんな十分元気ならオマエ帰れよ、と思いつつも、
おとなしいアジア人(あ、ワタシです。)は、医者(アイルランドは医者の数が足りないらしく、インドとフィリピンにお金を出して、医学部卒業したての研修医が夜勤に当たっているらしい)が来るまで大人しくしていました。
また、医者が来ないったら。体感時間3時間くらいに感じました。
たぶん、実質1-2時間といったところでしょうか。
その上、夜なのにえらいヴォリュームでラジオがかかってるし、電気は明々とついてるし、
寒いのに窓は開いてるし、上掛け毛布を頼んでも持ってくるのを忘れてるし、
もー、治るものもなおらなさげな環境でした。
さらに看護婦さんたちは、
「はー、夜勤とかって、萎えるわよねー。」
だの、
「ふああああ」
と大声であくびするわ、
「お茶飲もう、お茶!」
あんたたち、こっちにもかなりツツヌケ的に聞こえてるんですけどー。
まぁ、まったく患者のQOLなんか考えてない感じ。
ドアもバタンバタン音を立てて閉めてるし。
はー、ちみたち、もうちっとプロフェッショナル意識ってものがないのかね。
その後も様子を見にきたかと思いきや、アジア人が珍しいのか雑談にやってくるし。
こちとら、そんな元気ないっちゅうねん。そっとしといてくれよ。
もぅ「こんなところじゃ、死ねねえーーー」と、萎えた気力を奮い立たせてくれたと思うしかありません。
とりあえず、やたら低い血圧にびっくりされながらも、点滴を受け(点滴って血圧低いと時間が長くかかるんだね。知らなかった。)、あまりにも終わらないので、
「あのー、これ飲んじゃダメすか?そのほうが早いと思うんですけど」
と主張してみるものの、
あっさり却下。
結局6-7時間ほど点滴を受けて、9時ごろにタクシーで帰宅しました。
・・・・続く。