plane

ヴァージン・アトランティックの飛行機には一機ごとに名前 がついています。
これは確か「Mustang Sally」とかいう名前だったと思います。
他にはとなりに「Lady in Red」がいたし、帰りは「Madam Butterfly」でした。
で、さらに感動したのが、搭乗時の音楽が、行きの「Mustang Sally」では、オアシスとかのブリティッシュロック、帰りは機にちなんで、オペラの「マダム・バタフライ」がかかっていました。
なんとオシャレ。サンダル


今回はいつか使って見たかったヴァージン・アトランティック航空で行きました。
どうも評判がいいらしい、と前からニラんで飛行機おったのですが、イギリスに行く機会もなく、関西在住だったので、乗る機会がなかったのです。

乗ってみたら、今まででベストかも、という感じの接客、絶対顔で選んでるCAさん(美形男子ばかり。)、チャンネル数の豊富なエンターテイメント、でした。

たとえば、機内ショッピングの雑誌。↓
Retail Therapy


雑誌のタイトル、「Retail Therapy」ですよ?
なんだか茶目っ気のあるネーミングじゃないですか。

page

この雑誌には「機内でお祝いしよう!」みたいなページがあって、シャンパンとグラスセットとか、
ウィスキーとか売っているのです。こんなの他の航空会社で見たことないよ。

特にワタシが感動したのがこれ。↓

cake

絶対においしくないだろうけど、機内でお祝い用のケーキケーキをオーダーできるなんて!


これは配られたアメニティ(帰り)。

アメニティ



・靴下
・耳栓
・歯ブラシセット
・アイマスク
・ボールペン
・余った硬貨を途上国の子どもへの寄付にする封筒

が入っていました。


Pardon?

これは、配られたアメニティの中の「耳栓」
見えにくいかもしれないけど(クリックすると画像が大きくなります)、「Pardon?」と書かれています。

このヴァージンの言葉のセンスにKOされてしまいました。



・・・続きヒツジ


病院から帰った翌日からほぼ2日、ジュースくらいしか受け付けず、クランベリージュースと水のみでなんとか生きてました。

ホストマザーがオレンジジュースを勧めてくれたんだけど、

日本人の感覚だと、Vomittig及びdiarrheaした後に、グビグビとオレンジジュースなんか飲めないよね??ビール

っていうか、オレンジジュースって結構胃にハードな感じよね??グー


で、ようやく3日目に、ふらつくけど、学校に行けなくもない感じだったので、

学校に行って、まずオフィスで話をしました。


スタッフに「まだフラフラするんです・・・」と言ったら、

チョコレートチョコレートを食べると治るよ。」というんです。


・・・・オレンジジュースといい、チョコレートといい、あんた達にはセンシティビティってものはないのかい?ガーン


で、その後、校長先生と喋ったら、「あなたはもう学校の有名人よ。」というではありませんか。


軽く食中毒になっただけだと思っていたんですけど、校長先生の説明だと、

どうも感染性の髄膜炎だと疑われていたようで、その場合、学校を閉鎖しなければいけない事態になるんだそうで・・・・・・。えっ??

その後、いろんな先生に会うごとに「身体はもう大丈夫なの?」と聞かれ放題。


校長先生の話を聞いて、病院での扱いに合点が行きました。

周りの患者が病気な割りに元気にしゃべってて、

眠れないので、看護婦さんに「うるさくて眠れない」と訴えた後、

周りからすべての患者さんが移動させられていて、ワタクシ的に「よしよし、なかなかアイルランドの病院もやるじゃないのニコニコ」と思っていたのです。


しかしながら、自分の居るベットのカーテンに


「Isolated」


と張り紙がしてあったことと、学校での校長先生の説明から、

事の全容を理解するに至りました。


どうも感染性の病原菌の保菌者であると思われたようです。ドクロ


というのも、私は食べ過ぎると背中が痛くなるので、背中が痛いと訴えていたのと、

そのころたまたま湿疹が出ていたところから、

インド人の見習い医者がそう判断したようです。


血液検査の結果はシロだったので、おうちに帰らせてもらえましたけど、

保菌者だと思われていたなんてロケットーーー。

しかもみなさん、私の症状を知っていらっしゃるわけでして。


うあー、子々孫々、末代までの恥だぁ走る人





先週の土曜日にゴルウェイに着いて、おひさしぶりのホストファミリーのパパさん、ママさん宅でくつろいでいたのもつかの間、日曜にえらい吐き気と××(自主規制)パーで、えらく前後不覚になり、しんどすぎて階下に降りれそうもないのでショック!、2階から携帯で、1階にいるパパさん、ママさんに電話しました。


そのうちほぼ意識がなくなり始めて、こらもうあかんでガーン、という状態になってきたので、

おとっつあんの運転で近所のホームドクターに行ったのでした。


で、そこで、これはアヤシイナゾの人・・・、ということで急遽、救急車に乗って、深夜の病院へ。


感染症の疑いが強かったみたいで、血液検査やら、問診やらいろいろ受け、結局、ただの食あたりだろう、ということで、一晩点滴を受け、朝方タクシーで帰宅しました。


いやー、気絶しないようにがんばるって難しいね。


ホームドクターへ行く途中、まじで気絶しそうだったんだけど、

おとっつあんが、


「寝るんじゃないぞ、起きてんだぞ」


とやたら叫んでるので、一生懸命目を開けようとするんだけど、

目蓋が自然に落ちてくるんですよ。


で、病院に行っても意識朦朧としてるなかで、英語で具合を説明しないといけなかったし、

看護婦が入れ替わり来るので、一人一人に病状を説明していたので、


「意識朦朧としてる患者に繰り返し聞くんじゃねえよ、あんたたちでシェアしなよ」


と、気を失いながらもキレそうになりました。プンプン


そのうえ、深夜の病院はやたら混んでて、アイルランド人の患者(20代・オトコ)は、

隣のブースで5秒ごとに「ファッキン」を挟んでしゃべってるし、

そんなことを言うお前がファッキンだ、そんな十分元気ならオマエ帰れよ、と思いつつも、

おとなしいアジア人(あ、ワタシです。女の子)は、医者(アイルランドは医者の数が足りないらしく、インドとフィリピンにお金を出して、医学部卒業したての研修医が夜勤に当たっているらしい)が来るまで大人しくしていました。

また、医者が来ないったら。体感時間3時間くらいに感じました。

たぶん、実質1-2時間といったところでしょうか。


その上、夜なのにえらいヴォリュームでラジオ音譜がかかってるし、電気は明々とついてるし、

寒いのに窓は開いてるし、上掛け毛布を頼んでも持ってくるのを忘れてるし、

もー、治るものもなおらなさげな環境でした。



さらに看護婦さんたちは、


「はー、夜勤とかって、萎えるわよねー。むっ



だの、



「ふああああぐぅぐぅ



と大声であくびするわ、



「お茶飲もう、お茶!」



あんたたち、こっちにもかなりツツヌケ的に聞こえてるんですけどー。


まぁ、まったく患者のQOLなんか考えてない感じ。

ドアもバタンバタン音を立てて閉めてるし。

はー、ちみたち、もうちっとプロフェッショナル意識ってものがないのかね。


その後も様子を見にきたかと思いきや、アジア人が珍しいのか雑談にやってくるし。

こちとら、そんな元気ないっちゅうねん。そっとしといてくれよ。カエル


もぅ「こんなところじゃ、死ねねえーーー走る人」と、萎えた気力を奮い立たせてくれたと思うしかありません。


とりあえず、やたら低い血圧にびっくりされながらも、点滴を受け(点滴って血圧低いと時間が長くかかるんだね。知らなかった。)、あまりにも終わらないので、


「あのー、これ飲んじゃダメすか?そのほうが早いと思うんですけど」


と主張してみるものの、

あっさり却下パー


結局6-7時間ほど点滴を受けて、9時ごろにタクシーで帰宅しました。


・・・・続くぶーぶー














おやすみなさい。

明日は聖人でも学者でもありませんが、いよいよ「聖人と学者の島」へ行ってきます。