怪しいブログを徘徊していたところ
時間の流れが早くなっているという記述に出会いました。

時間の流れ、やっぱり速まっていたのか!っと
激しく頷いてしまう天豆です。
どうも老化が早くなってる、と思ってましたが
宇宙のどこかで誰かが加速装置を発動させた模様。


世界をみれば闇が噴出、ネットのおかげで
今まで一般大衆には知らされなかったことが
次々明るみにでてきて。


なんだか、この時代に生まれ合わせた私達は
大しけの海に漂っているのかも知れません。


荒れ狂う波にもてあそばれて
途方にくれたり
恐怖にふるえたり
方向を失って
もう岸にはたどり着けないと絶望したり


嵐の夜、船乗りは灯台の灯りに励まされる。


灯台といえば
武蔵新城のコミュニティ&レンタルスペース「灯台屋」

 

「灯台屋」の丸岡先生はNLPとコーチング、そして占星術も
使ってセッションをされています。
その8月2日のブログでご自身のセッションに向かう姿勢について
書いてある部分、ぐぐっと胸に迫るものがあり、許可を得て転載させて
もらいました。

以下転載(途中からですみません)

 

 

自分が悔いなく納得がいくのは

相手を最初から最後まで大切にできたときです。

1ミリもぶらさず一緒にいられたときも自分ではほんとうにほっとします。

 

そのとき一度しか会わないかもしれないのだけれども、

人と人とが境界を重ね合わせて

ある一人の心の中のことについて話し合うのだから、

その時間と空間こそがつくりたいものなのだと私はよく思います。

 

私は、その人の隣にいながら、

その人の長い長い人生の道の傍にいて

10キロ前から10キロ後もたぶん眺めていると思います。

そして、会う前から、帰ったあとはもっと、

その人とその人生をいったりきたりしています。

自分ですらよくわからないのだから

他人はもっとわからないものなのだけれど

ずっと考え続けてあるときはっと腑に落ちる気がすることがあります。

そのときに私は相手をまた一段深く理解し、信頼します。

 

「これでもういい、あなたのことはすべて理解した」とか

「二人の関係は落ち着いた」

そういうことはありません。

「わかった」と思ったらそのときあなたはもうはるか向こうに行ってしまっています。

 

だから理解しようとしつづけるし言葉をかけつづける

 

それがわたしだと思います。

 

あなたの側からどうなのか、

わたしは鏡であり、道標であり、どこかの目印なのだと思います。

ときどきは振りきれるほど手を振っているかもしれない。

振り返ったときキラッと光ることもあるかもしれない。

 

転載おわり

ずっと時間が経って、色々忘れてしまっても
ふっと振り返った時、遠くでちぎれるほどに
手を振ってくれる人がいたら
ここにいるよ、大丈夫だよと
なんにも言わず笑顔でうなずいてくれたら
(ああ、こう書いているだけで涙がでそうですぅ)
大げさに言うと、生きていけるぞ、と。
顔を上げてみよう、と思えるのではないか。


占い師もカウンセラーもヒーラーも
人の人生を観させていただく仕事を
する人のあるべき姿勢。
「灯台屋」のネーミングに込められた思いが
じわじわっと伝わってきました。


心に刻んでおきます。
そういう大きな心で人を見守ることができるように
なれるのか、天豆・・・(まだ、無理


この記事にちなんで思いだした曲
どちらもベット・ミドラーの曲で
「From the distance」と「Wind beneath the wing」
遠くから見守る
あなたが飛翔する時、それを助ける風になる
丸岡先生の姿勢とリンクする気がしました。