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実は、私はロスジェネなんて呼ばれるのはまっぴらです。

拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる (文春新書)/関岡 英之
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 アメリカの年次改革要望書を巡っての議論は、実につまらない。
 
 この本の概要を見て、ああ、新書戦記バブルが弾けてビジネス新書バブルになったんだなの意を強くした。

 啓蒙関係の新書はヤバイと思っていたけど、ビジネス新書も、昔私が岩波新書を読んでいた中高生の時代が懐かしくなるほど、バブリーな状態になっていると思う。柳の下のドジョウ本おおすぎ。


 
 現実に我々の直面している問題は、別にアメリカが要求しなければ、ほかのどこかの国が絶対に要求してくるし、来なかったとしても、もうこのGPSやガリレオといった氾地球座標システムがあって、衛星通信から海底ケーブルがあるこの情報化社会の中で、日本だけにしか通用しないモノを、反構造改革として、反新自由主義や反資本主義を唱えて鎖国のように守り続けて、何か解決するのだろうかと思う。
 
 そんなに構造改革をしなかったら日本は幸せか?
 
 じゃあNTTも、JTも、JRも、JPも、全部国有だった方がいいのか?
 
 まして、その年次改革要望書の話なんて、そもそも偉そうな人々が「馬鹿が見るもの」ときめつけたTVで、すでにやり玉に挙げられていた程度のモノだ。
 
 ほとんど放送もされず知らされておらず?
 
 私自身、あることは知っていたし、TVでも時々やっていた。


 
 でも、それさえなければ日本はハッピーなのか?
 
 それがなければ、日本は今も穏やかで平和な国だったのか?
 
 それさえなければ害がないのか?


 
 もう、「ALWAYS 三丁目の夕日」の作った郷愁世界を真に受けて適用する愚にしか思えない。
 
 一方的にルールを押しつけられたと言うが、じゃあ日本が作ったルールはないのか?
 
 日本がルールを作ったことがないかのような意見というのは、それこそ一方的ではないか。
 
 少なくとも家電や自動車のインジェクション、携帯電話などにはITRONが組み込まれているし、組込型コンピュータのOSとしてはTRONは世界最大の市場占有率を持っているのだが、それは計算に入らないのか。
 
 ビデオテープも、VHSもベータも日本製の規格で、日本国内の争いが世界を左右したし、DVDだってフィリップス・ソニーと国際共同だし、DVDメディアもプレイヤーも日本が最も早く商品化したし、その開発も日本の家電メーカーとアメリカの映画業界が共同して行ったものだが、それもアメリカの外圧なのか。
 
 要するに、年次改革報告書なんて、もともと昔から言われた「外圧」「国際化の波」があった中で、たまたま文書的にやり玉に挙げやすいモノだっただけで、その外圧自身UNICODE問題にしろB-TRONがITRONのようにならなかったことを、ものづくり日本の終わりとかさんざん終末論のように言ったけれど、今でもブルーレイだの液晶だのハイビジョンだのといったものを日本が作っているのもそれも「外圧」だの「年次……」の差し金なのか?
 
 経済のダイナミズムはもっと大きなものだし、また外圧で象徴的なFSXの国際共同開発だって、結局F-16Jなんて言われながら、現実にはF-16の姿勢制御プログラムのソースよりもT-2CCVの技術のほうを三菱は使ったし、海外では同じ姿勢制御プログラムの開発は死屍累々で、おおもとのF-16は地上滑走時に勝手に離陸してしまったし、グリペンも同じように勝手に離陸しようとしてそれを押さえようとして機首下げして地面に激突する事故を起こしているが、日本ではそんなこともなかった。
 
 でもマスコミはFSXの開発自身、たたきがデフォルトだったので、単なるレーダーの初期不調などを東京新聞は嬉々として大欠陥のように報道したし、その後も強度試験で見つかった不具合もたたきまくった。最後には要求仕様の対艦ミサイル4発+燃料タンクを積むと旋回できないなんてデマまで使って叩いた。
 
 もともと航空機開発でその程度の不具合は当然だし、しかもすべて解決している。レーダーも所定の能力を発揮しているし、それでも日本のマスコミは今度は設計時に形のなかった国産の新しいミサイルが積めないとさらに難癖をつける。でもべつにそれも小改修で対応可能な問題にすぎない。

 ちゃんと要求仕様も発揮している。基地祭に行けば、ちゃんと対艦ミサイル4発+燃料タンクで旋回を見せつけている。
 
 むしろFSX、現F-2はF-22を売らないアメリカに圧力をかけるために、あえて現在すさまじい改造をして使っているF-4EJ改の耐久限度をカバーするための戦闘機に当ててもいいのではないかという声もあるぐらいだ。
 
 喫緊の問題のF-4EJ改の更新はF-2で行い、老朽化したF-15の代わりを考えるときにはF-22だろうが日本国産だろうが選択肢は増えるばかりで有利、という話なのだが。
 
 外圧の問題はすでにあったけれど、十分押し返してきたというのが現実ではないか。
 
 一方的に受け入れ、とはどの分野だろうか。はっきりさせてほしい。それがそれほど致命的な敗戦だったのだろうか。
 
 すべて一方的に受け入れていないとは言い切れないが、逆に日本が主導権を握った分野もあり、それにそんなに日本が負け続けだったら、なぜトヨタがプリウスでエコカーブームを作れて、GMが再生法適用になるのかもおかしくなる。
 
 それこそ外圧があるのなら、プリウスは封じ込められるはずでは?
 
 一部分野だけを取り上げてアメリカ憎しを訴えても、それは人の心に届かない。特にマスコミとかウヨだのサヨだのは小泉ポチなどと言ったが、じゃあそれを押し返して、アメリカにノーを言うだけで、日本はハッピーになれたのか?

 車を輸出する代わりに米を買えと言ったって、タイ米とアメリカ米のその後はどうなったのだ?
 
 食糧自給率も、資源海外依存度も、外需主導の経済も、ずっと昔からであるが、それがなぜ今アメリカの一方的なルール押しつけにだけフォーカスを当てるのか。
 
 それはなんだか周回遅れの議論に思える。
 
 マネー敗戦と言うが、じゃあ繰り返すがトヨタが、ソニーが、パナソニックが、三菱が、いつアメリカに買いたたかれて大損扱いたのか、骨抜きになったのか。

 第一、そんなにアメリカが勝っているのか。
 
 勝っているのなら、もっと日本は悲惨なはずなのだが。なぜ「勝者」のはずのアメリカのリーマンブラザーズが潰れて、負けた日の丸証券会社の野村証券が残っているのか。
 
 マクドナルドにしろセブンイレブンにしろ、結局日本の会社として日本で生きているではないか。
 
 カルフールが日本全国にできたか? ウォルマートが全国を食い荒らしたか?


ウォルマートがアメリカをそして世界を破壊する/ビル クィン
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 確かに損はした。しかし、アメリカはもっと大損したではないか。あれほどMBAだのの資格を持った経営学の結果が、経済的に効率を求めると、便利に工夫した商品を作るより、便利を省き、工夫を省いたもの、不便で何の工夫もないものを数売れた方が利益率が高い、その程度の判断しかできなかったではないか。
 
 それに、ルール運用でそういうものを制御できると言うのはそれこそアメリカンな傲慢でおおざっぱな考えではないか。
 
 ゲームをするのにルールで勝てるようにしようと言うのはアメリカの考えで、ではというと日本はアメリカがルールを変えたらそのゲームにあわせて商品を開発したが、GMにしろアメリカ企業のほとんどは、ルールを変えることをどんどん押し進めた結果、日本はどんどんルールに合わせて工夫したけど、彼らは工夫をさぼりつつけ、結果自分の首が絞まった。
 
 だからマネーゲームをしたわけだが、結局それだってはじけたではないか。
 
 それに、何があっても、損をする人と特をする人がいるのは世の中の常で、それはべつに外圧に限った話ではない。何かの制度、何かの規制は必ずそういうモノを生む。
 
 それは別にアメリカによらずとも、国際社会というものはあのころすでに標準化をすすめているのだし、そこでの戦いはマネー敗戦などと言っている生ぬるいモノとは次元が違うほど大変ではないか。
 
 まして、日本の経営者の関心は、アメリカの外圧よりも、中国市場でやっている中国政府のばかげた知的財産権の公開義務づけ・ただ乗り政策とどうつきあうかに向かっている。中国でのこの知的所有権の問題は、もっととんでもなく根が深く、場合によっては中国が壊れるか、日米欧がそろって大損扱くかの瀬戸際なのだ。


 
 アメリカをフェアでないと憎むのは勝手だが、今の社会のすべてを、すべてでなくても、ロスジェネの問題とか日本社会の問題をアメリカのせいにするのは、陰謀論にしてもあまりにもチャチすぎる。
 
 我々の本当の問題は少子高齢化、それが最大の問題なのだが。子供が減り、高齢者が増えたことで社会保障やコミュニティの維持が難しくなったのは、別にアメリカに子供を産むなとか言われたわけでは少なくともないはずだ。
 
 むしろ我々の世代が、当時アメリカよりももっと問題にすべきさまざまな問題に取り組んでいて、忙しくて結婚も子育ても遅れただけであり、それもまたアメリカのせいだけではない。
 
 我々が成長の過程で世界標準の恩恵を得て自由に発想し、自由に夢を描き、逆に苦しんでも、親の世代が円高不況だのバブル崩壊だので踏ん張った成果で、ちょうど余裕があったから、夢を描いて、ニートみたいになって考えたり悩んだりできたことであって、それは我々自身が選択したことだ。
 
 我々は、自身でこれを選んだのであって、竹中平蔵にだまされただの、小泉改革にだまされだののと言っても始まらないし、それを言っても何も解決しないし、逆に、我々はもう、そういう人々のせいにする無責任から脱却するべきステージにいる自覚を持つべきではないか。
 
 経済学だの国際政治だのと言っても、もともと、自分の苦境は誰それのせいだ、と発言することは恥ずかしいことではないのか?
 
 自分は自分でこれを選んだ。だから、自分で変えていこう。それが大人ではないのか。
 
 我々は碇司令に「僕はいらない子供なんだ」とすねるには、もう恥ずかしい歳ではないか。
 
 歳相応に、主張するなら、応分の負担を負うべきではないのか。
 
 それを、主張未満の「だれそれのせい」にするのは、恥ずかしいことではないのか。
 
 外圧が年次改革要望書になったといったところで、それが何か変化だろうか。

 むしろ、そういう一部鉛筆職人の煽りを真に受ける自分を恥じるべきではないのか。
 
 我々は、自分の決断に責任を持たねば、未来になっても誰かのせいにしながら不平だけを言う馬鹿のままである。
 
 自分が選んだことに責任を持ち、それを負うなかで、全力でそれを果たしながら、少しずつ自分を充実させ、そして少しずつ、放っておけないと言う自発的な行動でまわりとつきあい、自分の大事な人を守ることがまず第一ではないのか。
 
 世の中なんて移り気で無責任なものを変えるなんて誇大妄想したり、世の中が閉塞しているなどと、自分で勝手に悲壮感に酔っている場合では、もうないのではないか。

スタバではグランデを買え! ―価格と生活の経済学/吉本 佳生
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 それに、スタバではグランデを買え、と言われても、私はグランデを買うことがすべて正解とは思わない。当然である。
 
 グランデを飲んだらおなかがいっぱいになってトイレに行くことになり、その間に将来を添い遂げる誰かとの出会いを失っているかもしれない。
 
 ショートを飲んでいれば、飲み終わったところで運命の誰かが、それこそラブコメのように現れてしまうかもしれない。
 
 それに声をかけることができるか、それは自己決定の問題であり、それは我々の大事な自由だ。
 
 グランデを飲むことがいくら経済学的には正しくても、人生において正しいとは限らない。それは限定された経済という尺度で測っただけのことであって、それはそういうトリビアになっても、それが生きることの本質にどう反映させるかは、一人一人の責任を伴う決断である。
 
 また、ゲーム理論で説明したり、数学で説明したりしても、数学は自身で万能ではないし、またゲーム理論は想定しているのは限られた空間だが、現実の社会はもっとベラボーでコンチクショーで、空間の外はいくらでもあるし、外を含めたってルールは徹底しない。
 
 ゲーム理論を使ってシミュレートしようにも、オートマトンが恐ろしく馬鹿で誤解しやすくて自分勝手で、戦略がなかったり、あってもそれをしばしば忘れたり、あきれるほど不条理な行動をすることまで、理論に組み込めるのか。
 
 「夏が暑かったから、カッとして人を刺した、今は反省している」なんて馬鹿を、ゲーム理論でシミュレートするなんて、私としては22世紀にタカムスビ犯罪予測システムができる前にできるかもしれないけれど、でもそれだって予測にすぎないので適用はできないと思っている。
 
 適用とは違うというのなら、やっぱり馬鹿が人を刺すことは止められない。馬鹿は馬鹿なのだから、しかたがない。それぐらい世の中は不条理だ。
 
 ただ、われわれがよけいな知識で、頭からそういう馬鹿によけいな反社会的思想背景を求めるために、「心の闇」だの、「社会の閉塞」だのと小難しいように言うことが流行っただけで、べつにそれは調書を書く警察官の趣味にすぎないし、「殺せば死刑になって死ねる」、なんてのも、要約すれば、自分は馬鹿で、死にたくなってカッとして人を刺しました、死刑にしてください、というだけで、それもまたメディアがつけた流行に乗った言い訳にすぎない。
 
 本質は、何も変わらない。本質は太平洋戦争に負けたからでもなく、GHQや日教組のせいでもなく、社会そのもの、我々が生きていること根本の不条理があるだけで、それに沿って、同じ辻斬りとか通り魔とか馬鹿を、その時々の流行の表現で修飾しただけにすぎないことに、そろそろ気づいてもいいのではないか。
 
 そして、その解決は、訪れないとしても、自分の子供や、他人の子供を見て、かわいいと思って、なんとか働こう、なんとか食わせていこうとがんばるお父さんの母さんのがんばりもまた、連綿と続いてきたのだし、それが変わらないから我々は今ここにいるのだということを、もう一度自覚すべきではないのか。
 
 何度も債権も紙幣も紙切れになり、国が焼き尽くされ、理不尽な制度が作られても、我々の親と祖父母と先祖は、負けずに子供を産み、育ててきたのだ。これは揺るがない。

 封建社会だろうが、軍国主義だろうが、新自由主義だろうが、それは経済や歴史の好きな人はそれぞれに調べてネタにするけど、それは所詮ネタにすぎないではないか。
 
 我々は、職業的に分析をする仕事をしていても、その分析の楽しさのあまりに、本質を見失ってはいけない。
 
 子育ても、嫁も、前払いの現金一回払いではない。ともに暮らし、共に生きるなかで、少しずつ払っていけばいいことなのだ。それだって、突然馬鹿な車に轢かれて失われる可能性だってある理不尽な世の中なのだが、そういう不条理にだけフォーカスを当てて不安ばかりを高速増殖させるのは、それはもう病気である。
 
 現実は、これでいいのかなあと思いつつ、いつの間にか好きな人ができたりするし、またその中で遺伝子やジェンダーの意味を自分で学ぶこともできる、フィールドでもある。
 
 フィールドワークの裏付けのない理論が空疎なように、誰かのせいにするだけの人生もまた空疎である。
 
 アメリカがどうなろうと、政治がどうなろうと、生きていく。それも自分の意志で。
 
 自分の人生を決めるのは自分だし、また、その人生を決める中でこそ、失敗したり成功したりするが、それは当事者にしかわからないことも多いし、またその当事者に取材して応援を呼ぼうとしても、犯人探しごっこに興じる馬鹿なインタビュアーがやった取材を真に受けていたら、応援しようにも、どんどん話がおかしくなるだけだ。

ロスジェネはこう生きてきた (平凡社新書 465)/雨宮 処凛
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 この雨宮処凛についてはみなさんのほうがよくご存じでしょう。ろくでもないの極み。


自動車絶望工場―ある季節工の手記 (講談社文庫)/鎌田 慧
¥580
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 私はこっちのほうをかなり昔に読んだ。高校の頃。




 
 そして、そういうインタビュアーや取材をする記者の中には、政治的な意図、卑怯な後ろ暗い目的を持っているもの、それにだまされても気づかない馬鹿者もいる。それもまた、メディアのできた時代から連綿と続く本質である。
 
 別に、嘘を嘘と見抜く能力がないと、の時代は今だけではない。昔からそうだったのだ。
 
 だから、どんな嘘を付かれても、我々の前の世代は、自己を充実させ、私たちを生んだのだ。




 
 衆議院が解散となった。これが政権選択選挙になると言う。
 
 でも、我々は生きていくのだ。そこで、自分の運命を他人に無抵抗で預けてはいけない。

 政治家に意見を言っても、彼らに依存してはいけない。
 
 彼らは彼らで、「社会不安の解消」をマニュフェストにしながら、本当は自分自身が選挙に落ちるかもと一番不安なのだ。
 
 そんな人々に不安を解消してもらおうとグダグダ言うより、「えばんげりおん・破」でも見て、アクションを楽しんで、そのあと、楽しく食事をして、さあがんばるぞと自分の仕事を、人生を充実させる何かをした方がずっといい。
 
 そしてその中で、自分で政治家にメールを送ったりしてもいい。私は単なる有権者として小倉にいるときに政治家にメールを送ったが、ちゃんと返事も来たし、彼(とはいってもずいぶん年上だけど)は私の意見を聞いてくれたし、一部は反映してくれた。

 我々は、本質を見抜くこと、そして自分の責任を果たすこと、そして自分の権利も能力も正しく行使することを、一人の人間として意識すべきである。その個人の充実なしに、社会も世界もあり得ない。

「NO(ノー)」と言える日本―新日米関係の方策(カード) (カッパ・ホームス)/盛田 昭夫
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 だいたいに置いて、「拒否できない日本」よりずっと前に「NOといえる日本」という本が出ているし、その本の内容はずいぶんお粗末だったが、でも我々の先輩は、我々よりもずっと責任感もあったし、生きることに誠実だったし、そしてなによりもしたたかであった。そうでなければ、我々を育てられなかったのだ。

 ウヨ的に言えば、自分の祖父の世代を軍国主義、侵略者として批判できるのかと言う言い方もできるのだが、さらにサヨクは自分の親まで自分をロスジェネにしたと批判せよというのか。


 それは子供のわがままというのだ。恥を知るべきである。

 
 我々は、とぎれることのない歴史の中を生き、世代を継いで行く義務がある。


 
 婚活だの草食系男子だのと言った馬鹿な分析だの馬鹿なおしゃべりがあっても、我々はフィールドに立って、自分の信じるものを充実させ、それを理解してくれる人を探せる環境にあることを、ありがたく利用させてもらえばいいではないか。
 
もてない男―恋愛論を超えて (ちくま新書)/小谷野 敦
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 自分には相手がいない、自分なんて見向きもされない、自分はもてない。
 
 すべて、それは自分を卑下しているようで、実は「自分は特別で、一般の異性の中には理解できる人間はいない」という傲慢であり、それこそ異性に対して大変失礼というものだ。
 
 一般の異性など幻想とおおざっぱなくくりにすぎない。異性は一人一人それぞれに生きているし、逆に彼ら・彼女らにくらべれば、ずっと自分は傲慢な凡人でしかない。東大卒であってもオックスフォード卒の才媛に比べればたいしたことはない。東大生は1年で3000人も生まれ、卒業する。たった3000分の1でしかない。
 
 ましてや名門大学なんて日本では有名でも、国際的に見れば「どんな田舎大学?」である。国際的に見れば、たいして差などないのだ。学歴なんてそんなモノである。
 
 弁護士だって日本にはウジャウジャいるし、アメリカでは米軍人、米軍の参謀総長から一兵卒までのすべての数よりも弁護士の数のほうが多い。珍しくとも何ともない。
 
 自分を評価できないのもまた本質を見失っていることであり、そんな人間がいくら仕事で吠えたところで、それもまたよくいる「若者」にすぎない。
 
 よくいる若者なんだから、相手がいないなんて言ったところで、自分で本気でアプローチもしないでグダグダ言うのは、よくあるエッチマンガ誌の包茎手術の広告を真に受けている中学生と同じである。包茎かどうかが第一印象でわかる女性は透視の超能力者だけではないか。そんな女性がすべてなどというのもまた極端で、中学生レベルである。
 
 自分はブサイク、などと言っても、一番不細工なのは、そういうことで自分自身を女性の前に立たせて、本当の気持ちを話す勇気を持たず、勇気を出す場からひたすら自分を遠ざけて安心しようとしながら、その結果不安を自分の中で増殖させているだけの、いじけた精神が、一番ブサイクなのだ。


 
 何度も言う。本質を見抜くことが何よりもの経営学であり、すべての学問にとって大事なことである。


 
 いくら学問をしていると言っても、その本質を見抜くことから逃げる限り、そのせっかくの学問は、がんばって修めても、結局中学生のトンチやトリビアと同じ段階なのである。
 
 学ぶこと、生きることは、フィールドに立たない限り、血も通わないし、単なる一時的な情報として消えていくだけだ。


 
 今こそ、フィールドに立ち、本質を見抜き、権限を行使すべき時がきたのだ。
 
 
 


 
 私はこれまで、正義も、進歩も、相対化してきた。
 
 国策捜査とはなにか、満州国がなぜうまくいかなかったか、戦争になぜ負けたか、考えると、すべての価値は相対的なものにすぎないと考えるに至った。

反転―闇社会の守護神と呼ばれて (幻冬舎アウトロー文庫)/田中 森一
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国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)/佐藤 優
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 この本に出てくる参考書。

スパイのためのハンドブック (ハヤカワ文庫 NF 79)/ウォルフガング・ロッツ
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 この本は外交官という仕事をよく表しているそうです。佐藤優が捕まったとき、検事が外交というものの機微を理解する参考書はないかという問いに答えた本の1冊。ほかの本はこのブログシステムではノーマッチでした。





正義の正体/田中 森一
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 その価値を絶対的なモノであるかのように言うのが、メディアであり、極端な右左であり、イデオロギーだののよけいなものなのだ、とよくわかった。


 
 でも、嫁との家庭を持ち、そのこれからを考えるフィールドの中で、遺伝子も、ゲーム理論も、脳科学も、ジェンダーも、再理解することができた。

 もちろん、それが覆ることはしばしばある。私自身も不条理を抱えた存在だし、嫁もそうだし、社会もそうだからだ。
 
 それでも、また再理解をすることができる。人間の知性とは、その迷いと再理解を繰り返しながら鍛えられるものなのだと本当に思う。


 私は、視野が狭かったのだなと、今思う。


 
 そして、そのフィールドをともに作ってくれた妻・粉雪に、今、深く感謝している。
 



 今、本当に守るべきは、その妻・粉雪だと決意を新たにした次第。



 ちなみに、地方行政、まちづくりなどに関連しそうなところ、構想日本にリンクしておく。



 構想日本 <http://www.kosonippon.org/ >



 もう行政に文句を言うだけの時代は終わったのだ。



 ちなみにこれを書きながらレンダリングした図版。これまでの続き。


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090719けしからん女の子9poly4uv4gun1_image4 posted by (C)YONEDEN


 あんまり大きな変更はないです。微調整したぐらい。



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