宇宙人はいるか-周辺領域とされたSF作家としての見解 | モデラー推理・SF作家米田淳一の公式サイト・なければ作ればいいじゃん

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 いないというほうが難しい。
 だって宇宙だもの。ものすごい分母になってしまう。
 いないと証明する為には、その全てを調べつくさなければ、いないと言い切れないのだ。
 特に昨今はさまざまな恒星に惑星があることが発見されている。

 そして、地球でも海底の熱水鉱床で熱水をエネルギー源とした生態系があるという。
 我々の太陽の光をエネルギー源として植物が生え、草食動物が育ち、肉食動物が育ちの生態系とは別個に存在しているという。
 つまり、海底に生命があるように、宇宙にも地球の他に生命はあっても不思議ではないと思う。
 それを否定する方がかえって難しいのではないか。
 その生命が文明を築くかどうか、その文明が滅亡せずに発展するかというと、地球でも何度も核戦争の危機があったのに無事だったのだから、なんとかなると思う。
 なにしろソ連はもう少しで核兵器自動反撃システムというモノスゴク危険な物を作ろうとしていたのだ。
 
 それが、SFの好きな人でファーストコンタクトという、地球以外からの生命との初めての対話をシミュレートする人がいるけど、でも私はそれもいずれあると思う。
 というか、私の書いているプリンセスプラスティックという未来小説は、リサイクルビンや架空戦記のある現代・近未来から、プリンセスプラスティック本編の22世紀、そしてその先に実はギャラクシー編という大宇宙を書いた話を準備しているのです。
 その先にはエターナル編という、汎時間執行部隊の話もある。
 逆に平安時代の話もある。
 その背骨がアメノミナカの話。


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 この図版の樹の一つの葉が一つの世界を現している。
 そして、その世界で死んだ人々は、その向こうの水色の湖に戻っていく。
 その湖は、究極の理想世界であり、また33世紀以降の未来でもある。
 33世紀、タイムマシンの誕生とともに、パラドックスを防止すべく、時間管理機構が生まれる。
 タイムマシンはパラドックスの生じない33世紀以降には移動できるので、33世紀は時間方向に自由に動ける世界になる。
 唯一、33世紀までの歴史が保護され、その歴史を体験する為に時間共有システムが存在し、歴史上の出来事はデータベースになっている33世紀までの出来事に限り、その時代に生きていた人々の感覚を共有し、疑似体験することは出来るが、パラドックス回避のために33世紀以前への時間遡行は禁止される。
 禁止というが、それはアメノミナカの中に納まった世界では外部対称性で強固に連結されている過去にアクセスする時、対称性を乱す時間遡行は即座に探知され、排除されることがアメノミナカの中のNexzipという座標空間の物理として存在している。
 そして、その33世紀以前に、人類は外宇宙からの生命と出会う。それが私の世界だったりする。
 案外マジで信じている。だってイスラム原理主義とか、キリスト教原理主義なんて人類がこれまで積み上げてきた知の蓄積を爆破テロだのデモで吹っ飛ばしてしまう連中がこう世の中を騒がせるなんて、つい20年前まではあってもそれほどでもないだろうと思っていた。
 それよりも赤色帝国であるソ連との核戦争が怖かった。
 だから、未来なんてわからない。
 わからないものは、あるんだろうなぐらいに思っていたほうが対応しやすいと思う。
 
 現代では、まだまだ宇宙は過酷で、人類は適応できるかどうか実験段階にある。
 だが、いずれ出来ると思う。
 ジュール・ヴェルヌは、人類は考え付く全ての可能性をすべていずれ実現すると書いていたと思う。
 私も、SF作家として、それを踏襲していこうと思っている。
 
 私がSFが好きで、でもSFの世界から追い出されたっぽいなあと思っているけれど(早川の「このSFが読みたい」では周辺書籍扱い)、でもSFは好きだし、SFに入れてもらえないならプログレSFと勝手に作ってでもSFを書こうと思っているのは、実は昔廃れたらしいけど、サイエンスとスペースのS、そしてフィクションとファンタジーのFの範囲の広さが、知的冒険のフィールドとして一番だと思うからだ。
 確かに戦国武将にも関心はあるし、日本を含め城郭の類は小学時代からマニアだった。
 艦艇や航空機、鉄道も好きだけど、それをすべて形作る科学が好き。
 
 その科学の考え方を自分なりに思うと、夢が膨らむし、そのなかに宇宙人も自然に入ってくる。
 だから、スタートレックも好きだし、スターウォーズも好き。
 ジュラシックパークは不満だけど、でもトムクランシーも好きだし、パトリシア・コーンウェルも好きだったりする。
 SFである思考実験の一人しか乗せられない宇宙船で発見された密航者の話とか、タイムスリップパラドックスとかは小学時代夢中になって読みまくった。
 そのSFに、ソーシャルとかのSを入れてみたい、それが私の考えでもある。
 
 果たして、いつこの世界を書くという渇望は収まるか解らない。たぶん、死ぬまで書き続けるだろう。
 もう商業出版だの作家だのというものがいかにどうしようもないか、新風舎と草志社が年初でいきなりつぶれてもう明らかだろう。
 もう既存の出版ビジネスに未来は無い。

 私はそんなビジネスの話よりも、夢の話、楽しい物語の話がしたい。

 そう思うと、宇宙人はいると思っていた方が、夢もあるし、いつか人類がバカをやって滅びたとしても、それはそれで人類の夢を継いでくれる宇宙人がいると思えて、また夢があるし、いつかその夢を理解できる宇宙人と仲間になれたらとも思うのです。

 そして、そのメッセンジャーとして、自分の小説に書いた人間型人間サイズ戦艦シファとミスフィが活躍する、なんて話も考えているのです。
 
 UFOで既に来ているとか、捕まえられて何かを埋め込まれたとか、そういう話はそれはそれで独特の怖さがあるけれど、でもそれとは別でも、宇宙人の存在を否定するのは、人類として傲慢だと思うのです。
 そこからはサミシイ話しか生まれないと思うのです。
 
 さみしくなんかない。人はさみしくなるけど、魂はいずれ永遠の世界でまた分かり合える。
 そう思っています。