吉村昭 『桜田門外ノ変(上)(下)』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


 

 1995年4月発行の新潮文庫。

 思い起こせば、自分が吉村昭を最初に読んだのが、およそ20年前、この作品であった。迂闊なことに、それまでは吉村昭を戦記物の作家であろうと思い込んでいて、歴史小説を記録文学の手法・形式で発表していることに気づかずにいたのだ。認識を改め、その後も著作を読むようになった最初の作品を、もう一度読み直してみたくなった。

 タイトルからわかるように、井伊大老暗殺事件を描いている。と言って、桜田門外での襲撃シーンが中心とはなっておらず、その場面はこの長編のワンカットに過ぎない。物語は、井伊襲撃の現場で指揮を執った水戸藩の関鉄之助を主人公として進行し、水戸藩内の抗争や、大老就任後の井伊による水戸藩弾圧などが時代の空気を滲ませて描かれ、彼らが無謀と思われるような襲撃に至るまでの経緯をつまびらかにしてゆく。さらに襲撃成功後の逃亡劇も執拗といえるほどの筆致で綴られ、幕府はもちろん水戸藩からも狩りたてられ追い詰められて、最後は捕えられて江戸で斬首されるまで、さながら関鉄之助の一代記の様相なのだ。

 したがって、この作品にはヒーローは存在しない。大改編してゆく時代そのものを見つめようという姿勢があるだけで、関鉄之助はその切り口として選ばれたということなのだろう。水戸学に根差した尊王攘夷思想からは、京都朝廷の意思を無視して日米通商条約を結ぶ井伊大老は許せない存在であっただろうし、一方の幕府としても、強大な武力を背景に開国を迫るアメリカに対し、打つべき方策は限られていた。朝廷からの信頼が厚い水戸藩は、幕府には御三家という親藩であったにもかかわらず、最大の対抗勢力となっていたのだ。そうした軋轢が続き、ついには桜田門外での事件が勃発したのである。

 鉄之助たちの誤算は、この計画のもう一方の立案・推進者であった薩摩藩が、事変後、動かなかったことであった。また、水戸藩としても、藩主以下の総意で襲撃がなされたとあっては、藩の存立が危うくなる。幕府の強い意向を受けて、襲撃の指導者も含めメンバーの捕獲に動かざるを得ないのだ。鉄之助はいわば全国指名手配となり、厳しい逃亡生活を強いられることになる。

 著者は「あとがき」で、「可能な限り史料を収集し、史実を探りだすことにつとめ、この長編を書きあげた。」と記し、桜田門外での変から明治維新までがわずかに八年であることに感慨を覚えつつ、2.26事件から大東亜戦争への年月を連想し、その類似に思いを馳せている。ともに雪の降る朝のできごとであった。

 小説の体裁であるからには、著者の想像力も働いて作品化されているに違いないのだが、それでも、史実を丹念に淡々と積み重ねてゆくような記述は、作り物にはない信頼感がある。そしてまた、それが逆に感動を誘うという体験もしばしばだ。吉村昭の歴史小説は、例えば司馬遼太郎とは対極にあるとも思えるのだが、その魅力の輝きにおいては、どちらも遜色がないような気がする。

 繰り返すみたいだけれど、再読して最も驚いたのは、井伊襲撃シーンが意外に短いということであった。それに比して、その後の逃亡の長さ! やや暗いトーンの作品であることは否定のしようがないだろう。

  2014年9月20日  読了



 閑話休題。

 競馬ファンなら誰もが知っていることだが、中央競馬が開催される競馬場は全国10カ所である。北から、札幌、函館、新潟、福島、中山、東京、中京、京都、阪神、小倉の各競馬場だ。自分はその内の8カ所を訪れたことがあったが、新潟と福島の地は未踏であった。中京圏にいる身としては、距離と開催時期の都合で、出掛けづらい競馬場だったのである。

 今年は、中山競馬場の工事のため、9月開催が新潟競馬場となり、自分としては千載一遇のチャンスであり、先日の3連休を利用して、ついに足を運ぶことができた。日本一長い直線コースを有する新潟競馬場である。うれしかったね。(もっとも、直線が長過ぎて、スタンドにいても、肉眼ではほとんど見えず、ターフビジョンを頼ることになるのですが。)

 残すは福島競馬場のみ。元気なうちに、なるべく早く、全場制覇を成し遂げたいと思います。

 以上、どうでもいいようなことですが、ご報告します。