五味康祐 『柳生武芸長(下)』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 1993年5月発行の新潮文庫。(アマゾンの検索では新潮文庫版の画像がなかったので、表紙写真は文春文庫のものを拝借しています。)
 この大作をようやく読み終えることができた。上下巻とも700ページ超の大部であり、しかも一世代か二世代前のやや小ぶりの文字でびっしり組まれているので、会社の昼休みに読み継いだのだが、えらく日数を要してしまったのだ。ただ、読み終えたといっても、この作品はそもそもが未完であり、武芸帳に秘められた謎はついに明らかにされないし、主な登場人物のその後についても知るすべがないままで、最後はどうにも釈然としないまま本を閉じなければならない。

 武芸帳を廻っての群像劇で、予期できない方向へ物語が縦横無尽に飛躍進展し、しかし決して荒唐無稽には陥らず、著者の博識に裏打ちされて、その時々で密度の濃い作品世界が構築されてきただけに、未完であることがいかにも惜しまれる。と言う一方で、ある意味、風呂敷を広げられるだけ広げてしまった印象もあり、ここから収束へと向かうのも困難であろうと愚考しないでもない。いずれにせよ、著者はすでに故人であり、完結を見ることはできないわけだが、それでも、凡百の時代小説からは屹立した作品であることに異議をはさむ評者はいないのではないだろうか。

 上巻で、武芸帳の行方を追って、江戸から尾張を経て京都へと移動してきた主要登場人物たちであるが、この下巻での最初のハイライトは、仙洞御所における十兵衛と霞多三郎との対決、そして宇治川観月橋における宗則と浮月斎とのともに高弟を交えた決闘であろう。意外なことに、圧倒的に強いはずの十兵衛は多三郎と相打ちで、ともに瀕死の重傷を負うし、宗矩は浮月斎の肩に傷を負わせるものの、自らの左足首から先を切り落とされてしまう。将軍指南役にして大目付の重責を担う宗矩がこの有り様では、柳生の危機と言わねばならないが、不思議なことに、江戸へ戻った宗矩は、精巧な義足を着用して、余人には左足がないことを悟らせない。優秀な医師・道安が付いているとはいえ、この辺りはさすがに眉唾ものだと思う。

 宗矩と十兵衛が傷つき、物語の表面から退いたとき、突然のように動き出すのが新免武蔵である。この下巻の中盤では、まるで武蔵が主人公の座を得たような活躍で、当初は武芸帳の存在すら知らなかったものの、柳生兵庫介を追い求めつつ宗則や浮月斎にも遭遇して、少しずつその機微に触れてゆくのだ。なお、武芸帳にかかわる者として、遠く仙台の伊達政宗までもが登場してくる。

 そして、武蔵が去った後は、幕府老中による柳生家の尋問へと移ってゆく。幕府にも武芸帳の存在が伝わり、しかもそれが禁中における柳生の隠密仕事を証拠立てるものらしいとあって、その理非を正そうというわけだ。尾張徳川家の邸における審理は厳しいものであり、宗則も危地を迎えるのだが、そこへ大久保彦左衛門が乗り込み、しかも天井裏には曲者も忍び込んでと、大騒ぎである。

 自分の癖として、ついストーリーを紹介したくなるのだが、上巻の記事で書いたように、ストーリーを追おうとすれば、むしろこの作品の壮大なスケールを見誤ることにもなりそうだ。それに、そもそもが未完なのだから、それは空しい作業となってしまう。それよりも、その場その場に立ち籠もる時代小説の真髄を楽しむべきだろうと思う。幾多の人物像と言い、剣戟シーンと言い、歴史・時代小説ファンとしてはこたえられない魅力に溢れているのだから。

 面白さを堪能したのだが、再読してみてこれほどに印象が異なるという経験も、あまりないことだ。ある程度の読書体験を踏まえてからのほうが、この作品は楽しめるということなのかも知れない。

  2014年7月11日  読了