黒岩重吾 『斑鳩王の慟哭』 (中公文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


 1998年9月発行の中公文庫。先日読んだ梅原猛の『隠された十字架―法隆寺論 』からの連想で、読み直してみたくなった。

 標題の斑鳩王とは、もちろん聖徳太子を指している。著者には『聖徳太子―日と影の王子 』という大作が別にあり、この作品はそれを受けたものである。太子の晩年、政治の表舞台からは一線を引き、斑鳩宮の経営に専心しつつ、理想と現実のギャップに苦しむ姿が描かれ、太子の死後、山背大兄王をはじめ一族すべてが滅亡するところまでを綴って完結している。

 「あとがき」によると、この作品の執筆の動機となったのは、平成4年に、丸山古墳の石室内が写真に撮られ、一般に公開されたことであったという。丸山古墳は、『日本書紀』に記述されている欽明帝を葬った檜隈大陵であり、推古女帝が母・堅塩姫を合葬したことも記されている。果たして石室内にも石棺は二つあったが、欽明帝の石棺が前に出され、堅塩姫の石棺が奥の間におさまっているという異常な様子であることが判明した。著者はこのことから、推古朝の政治は太子と蘇我馬子とが執っていたという従来の見方に疑問を抱き、推古女帝の権力や権威が太子や馬子を上回っていたのではないかと考えて、それをこの作品に反映しているのである。

 と言って、推古女帝が政治に目を向けているわけではない。この作品は推古19年の莵田野の薬猟から始まるが、それも、女帝の健康と長寿が目的である。そして、母・堅塩姫への偏愛と、堅塩姫の同母妹である小姉君への憎しみだ。欽明帝の寵愛を母から奪ったという理由で、女帝は小姉君を許せないのである。前記の欽明陵へ合葬もその表れであり、馬子も厩戸皇太子(この作品では聖徳太子を厩戸皇太子で通している)も、その異常さに気づいていても誰も彼女を止められないのである。

 厩戸自身は、堅塩姫が生んだ用明帝と、小姉君が生んだ穴穂部間人王女との間で生まれており、どちらの血も引いているのだが、用明帝が早没したためか、推古帝の憎しみは厩戸にも向けられているようである。加えて、馬子が次第に老い、代わって台頭する蝦夷が山背大兄王とそりが合わないこともあって、斑鳩宮は政治の中枢から疎外されてゆく。

 斑鳩宮の統治・経営についても、官人は必ずしも厩戸の理想を理解しないし、現実との間には矛盾も生じて、悩みは尽きない。山背大兄王の器量に失望し、母・穴穂部間人王女の愚痴に閉口しと、この作品で描かれる厩戸は極めて人間くさく、聖人のイメージとはかけ離れている。結局、推古女帝が長命であり、厩戸は大王位に就かぬまま失意のうちに死んでゆくことになるのだ。

 女帝が没し、後継争いが勃発し、山背大兄王は自分の正当性を強行に主張するものの、敗れてしまう。蘇我蝦夷とその子の入鹿にしてみれば、山背大兄王の政権に批判的な態度は、やがては排斥すべきものとなってゆく。入鹿はついに兵を起こして、斑鳩宮を攻撃するに至り、ここで厩戸の血筋はすべて途絶えることになるのだ。入鹿側の突然の武装攻撃に理不尽さも感じるが、山背大兄王の配慮不足も指摘せざるを得ないのであろう。

 推古女帝がイヤな女性として描かれているのが不思議に面白いし、人間・聖徳太子が活写されているのも新鮮な感じがした。再読であったが、初読時には気づかなかった楽しさがあったような気がする。

  2014年4月12日  読了