伊集院静 『受け月』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 明けましておめでとうございます。本が読めなくなって、記事を書くのも面倒になって、これすなわち老化現象であろうと認めざるを得ない現状ですが、ぼつぼつと、未練たらしく更新を続けたいという意欲も少しは残っているようですので、本年もおつきあい願えれば幸甚です。

 さて、本書は1995年6月発行の文春文庫。カバー裏面に「野球に関わる人びとを通じて人生の機微を描いた連作短篇集。感動の直木賞受賞作。」と書かれていて、まったくその通りだと思う。これ以上何を付け足しする必要があるのかと、年初から悩みますね。

 しかしそれでは読後感を書いたことにならない。気を取り直して、蛇足を承知で何かを綴らねばならない。

 思えば、伊集院静という作家を知る上で、自伝的長編である『海峡 』三部作を早くに読んだことが大きく役立っているようである。『春雷―海峡・少年篇 』では、著者の分身ともいうべき主人公の高木英雄が中学校で野球に明け暮れる姿が描かれていた。彼はエースであったが、転校生にその座を奪われて、挫折も味わっている。著者のそうした体験が野球というスポーツに対する思い入れとなっているはずであり、この『受け月』において、それが見事に結実していると思うのだ。

 冒頭の『夕空晴れて』は、かつて野球選手であった父親が早くに病死し、残された母子の物語である。少年も野球チームに入っているが、レギュラーになれない。それを知った母は、野球を辞めさせようと監督に会いにゆくが、彼は夫の後輩で、直接の指導も受けていた。野球を楽しめれば、必ずしも名選手になれなくてもいいではないかと、それが夫の考えであったようだ。こう書いてくると、平凡に感じてしまうけれど、そこが巧みな著者の手にかかると、思わず涙が滲んでしまう好短編になっている。

 以下、『切子皿』『冬の鐘』『苺の葉』『ナイス・キャッチ』『菓子の家』『受け月』と、計7篇が収録されている。多くは、野球を直接には描かず、しかしどこかに印象的な相貌で野球の姿が浮き上がってくるという構成である。

 ただ、最後に置かれ、表題作でもある『受け月』だけは、社会人野球の監督の晩年を描いていて、野球小説そのものだ。しかし、チームは企業のものでもあって、グラウンドだけで終始するものではない。監督の信条は選手とも会社重役とも対立含みであるが、しかし、引退の日を迎えて、その先にほのかな明るさのようなものが見えてくる。この作品でも、自分はつい涙ぐんでしまっていた。

 『受け月』で、老監督の奥さんが「(主人は)ただ野球が好きなだけなんです」と言うように、この連作集には野球への愛が溢れているようだ。きっと著者は、プレーを楽しむことも、観戦することも、好きで好きでならないのだろう。そして、それを小説の中にきちんと埋め込むのは、物語作者としての冴えがあるからだ。直木賞に相応しく、心に沁みて、読後には爽やかさを感じられる一冊である。

 少し野球を強調し過ぎたかも知れないので、野球を知らない人あるいは好まない人でも感動を得ることができる短編集であることも言い添えておきたい。かく言う自分も、古い阪神ファンではあるが、最近はナイター中継を見ることもなく、興味を持てなくなっていて、しかしこの作品からは深い味わいを得たのである。

  2012年1月4日  読了