井上ひさし 『下駄の上の卵』 (岩波書店) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

下駄の上の卵 /井上 ひさし

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 1980年11月発行の岩波書店版。先日来、著者に哀悼の意を表して蔵書から順次読み直しているうちの1冊。清貧さんから「氏の長編でお薦めは『下駄の上の卵』」とコメントをいただいていて、なおさら再読の意欲が湧いてきた。(画像がなかったので、自分で表紙を撮影してみました。)

 新刊時、岩波書店が文芸書の単行本を発行したことが、一部で話題になったことを覚えている。その後も積極性は窺えないようなので、やはり同社としては異例のことであったのかも知れない。それにしても、本の内容よりそういう話題の方をよく覚えているというのも、不思議な気がする。

 終戦直後の昭和21年を時代背景に、山形県南部の小さな古い宿場町の国民学校6年生が、大好きな野球のために軟式ボールを手に入れようと、大冒険を敢行するというのが、この物語の骨子である。彼らはまず地元の収蔵家のところからボールを入手しようとして失敗し、ついに、闇屋のマネとキセル乗車によって東京のゴムメーカーの元へ訪れることを計画・実行してしまうのだ。かくして、波乱万丈の珍道中が展開することになる。彼らは自宅から米5升(極端に貧しい一人は1升)ずつを抜き取って寄せ集め、それを東京で換金し、ボールを買い、あわせて後楽園でせネターズの試合までも観戦してこようというのだ。

 途中の車内でも、東京に着いてからも、トラブルの連続である。子供なりの機転を効かせてみるものの、大人たちは容赦しないし、東京では同じような子供に簡単に騙されてしまう。小さな幸運もあって、ようやく東京駅で集合でき、帰途につくことができたときは、読者としては心底ホッとするのである。そして、たった1個の軟式ボールがここではどれほど貴重であることか!

 だが、井上ひさしは少年たちの冒険物語のなかに、戦後の世相・風俗の全てを盛り込もうとしたのではないかと思われる。しかも、山形と東京都の対比をも絡めて。少年たちの見るもの聞くものがそのまま時代を表現しているのはもちろんだが、著者はここでも言葉遊びや話題の積み重ねの得意技を駆使して、戦争というものが残した爪痕を細大漏らさず書き連ねようとしているのだ。しかも、天皇であれマッカーサーであれ、ユーモアにまぶして語っている。そして、大人も子供も、食べるものさえ無くて苦労していたはずなのに、妙に逞しく元気である。少々のワルに知恵を凝らさなければ生きてゆけない時代の、その猥雑さまでが生々しく描かれているのだ。

 少年たちの一挙手一投足にハラハラしながらも、一定年代より上の人ならば、「ああ、あの頃はこうだったな」と思い出すシーンが満載である。自分は昭和20年の生まれであるが、物心ついた頃の縁日の思い出には、ここで描かれる浅草の賑わいと重なる部分があった。

 物語としての面白さにも溢れているが、もしかしたら、戦争直後の世相を示す一級の史料となっているのではないか。鉄道オタクの孝が語るウンチクも含めて、占領下の日本はこのようなものであったろうと思うのだ。

 井上ひさしらしく、権力・強者に対する皮肉もまぶしてあり、一筋縄とはゆかないけれど、相当に面白い。新潮文庫に収録されていて、そちらは入手可能と思われるので、広い世代に読み継がれることを期待したい。

 これだけの作家なのだから、文庫各社で追悼特集が組まれればいいのだが。

  2010年7月7日  読了