佐々木譲 『警官の血(下)』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

還暦過ぎの文庫三昧

 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 

 今週は飲み会やゴルフが集中して、ほとんど本を読めなかった。本を読んでブログを更新するのは趣味の領域であって、決して義務ではないはずなのに、あまり間隔が開くと追い込まれたような気分になってくる。

 さて、本書は2010年1月発行の新潮文庫の下巻。さすがに佐々木譲の警察小説だけあって、いざ読み始めたら、一気であった。物語の展開は文句なしに面白いし、警官三代の血脈が胸に迫り、感動的であると同時に、ある種の痛快さも得られる。よくできた小説の見本のような作品だと思う。

 上巻の最後で予測できたように、民雄は希望する駐在所巡査となることができた。しかも、父・清二と同じ天王寺駐在所の勤務である。父は同駐在所にわずか3カ月の勤務で不慮の死を遂げた。その父の死からおよそ30年、しかし父を記憶している人々も残っていて、民雄は周囲に暖かく迎えられたのであった。

 ここからはまた駐在勤務のエピソードが積み上げられてゆく。過激派学生に交じって潜入捜査をしていた頃とは、同じ民雄の物語であるのに、まるで別の味わいとなってゆく。彼は町に溶け込もうとし、心配された神経の病も影を潜めてゆくのだ。そして、暇を見つけては、父の死の真相と、父が気にしていた2件の迷宮入り事件を調べてゆく。ともに時効を迎えており、真実を知ったところで何かが変わるわけではないけれど。

 この民雄の章の最後部分で、父の死に関わったであろう人物の名が暗示される。それは民雄に近しい人物であり、あまりに思いがけない名であった。民雄は激しいショックを受けたようである。そしてその同じ日、駐在所近隣で拳銃を持った男が少女を人質に取って立て篭もるという事件が発生し、民雄は冷静さを欠いたまま男に接近し、少女の解放は得たものの、自らは男の銃弾に命を落としてしまうのだ。この時、民雄の息子の和也はまだ高校生であった。

 「第三部 和也」は、また異なるテイストを持っている。和也は大学卒業後警察官となり、警察学校での研修後、卒業配備で交番勤務も経験するのだが、突然警務部に呼び出され、特命を受けることになるのだ。それは捜査四課のうちの一人の素行を探るというもので、平たく言えば、問題のある警察官をスパイせよ、ということであった。

 和也は捜査四課に配属され、加賀谷係長の直属部下となって、行動をともにすることになる。加賀谷の担当は四課関連の情報の収集であり、ネットワーク作りとその維持、補修であるという。彼は上質のスーツを着て、高級外車を乗り回す。接触するのは、裏社会でしのぎをけずる暴力団関係者などだ。和也は加賀谷の言うままに連れ回され、少しずつ彼の秘密に食い込んでゆく。その間には、恋人を加賀谷に奪われるという非情な現実にも遭遇した。そしてついに、加賀谷が麻薬密売に協力して利益を得ようとするところを押さえ、ようやく特命を果たすのだ。

 最後は、いよいよ祖父の死と2件の未解決事件の真相である。和也はこの3つの事件が1本の糸で繋がっているのを確信する。彼は、父・民雄も気付いたあの人物に行きあたり、介護施設へその老人を訪ねてゆく。ここで全ては明らかにされるのである。

 だが、佐々木譲のうまさは、過去の真相を明らかにしただけでは終わらない。和也はこの経験をもとに、自分の警察官としての立場を強化してゆくのである。和也はその後捜査二課に転じ、大きな経済事件の捜索に関して違法すれすれのリスクも犯してきた。そこを突かれて、今度は和也自身が警務部の尋問を受けることになったとき、和也はそれを切り札として使用し、難を逃れるのだ。

 「親父さんを越えてるな。ふてぶてしい警官になった」

 「光栄です」

 この2行が、何ともスカッとさせてくれて、ここまでこの長編を読んできてよかったと、しみじみと思わせるのである。

 この物語は、終戦後2年半の頃から始まり、平成19年までが描かれる年代記でもある。これはそのまま自分が生きてきた時代に重なる。数々の挿話の中には、実際に起きた社会的な事件なども散り嵌められていて、記憶を辿りながら読み進めることになり、それも感慨深いものがあった。親子3代の経糸と、それぞれの世代が時代に合った活躍する横糸とが絡み合って、絶妙のハーモニーである。読後、久々に充足感に浸ることができ、満足の1作であった。

  2010年1月30日  読了