佐々木譲 『夜を急ぐ者よ』 (ポプラ文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 2009年12月発行のポプラ文庫。

 文庫新刊コーナーで佐々木譲の名を見かけ、躊躇わず購入してきたのだが、池上冬樹氏の解説によれば1986年の発表とあり、この作家の最初のブレイクがその2年後の『ベルリン飛行指令』ということだから、初期も初期、いわゆる助走時代の作品のようである。そう思うからか、最近の著者の充実した仕事を見慣れた者としては、ストーリーが単調で、やや物足りない。ハードボイルドの体裁をとっているけれど、著者の主眼は短くも密度の濃い恋愛の記憶を描くことにあったのだろうか? 

 この作品の不思議なところは、主人公の原口泰三が追手から逃げ回ることになった背景の説明がないことである。冒頭、東京で裏社会のトラブルが発生し、泰三の雇い主も襲われ、泰三は彼の指示により機密書類を持って身を隠すのであるが、そのトラブルの内容については最後まで明かされることはない。相手組織から追手がかかり、泰三が那覇へ着いたときには、その刺客もほぼ同時に那覇へ入ったことが暗示されるだけである。物語の本線は、折しも大型台風が近づいている那覇市内から、泰三が無事に逃亡できるか、の一点なのだ。

 そして、泰三がたまたま選んだホテルに、10年前に濃密な1週間を過ごした順子がいた。順子は留学直前の1週間を泰三と熱く過ごし、出発前に空港で父親に紹介するつもりであったが、泰三は空港へ出かけることができなかった。彼はその日刑事事件の有罪判決を受け、すぐに収監されてしまったからだ。無罪判決であったならば、その後の人生も異なったものとなったに違いないのだが。順子は泰三を恨み、しかし心の傷は簡単には癒えず、5年前にようやく那覇のホテルの御曹司と結婚したのであった。その彼が交通事故で死亡後も、ホテルの専務として経営を支えていたのである。

 というわけで、物語の別線として、10年前の濃密な1週間が描かれることになる。1976年7月、二人は毎日会い、東京生活を満喫するのだ。これはちょうど自分の青春時代とも重なり、流れている音楽など、郷愁を誘うシーンでもある。

 順子は泰三の胸の中に自分が存在し続けていることを知り、改めて泰三への想いを募らせることになる。彼女は泰三の逃亡の手助けをしようと、上原日米康という混血の男を紹介する。泰三は自分の危険な領域に順子を引き込みたくはないのだが、東京の連絡先も襲われたらしく、動きが取れないのだ。日米康と泰三は、国外逃亡を念頭に、嵐の那覇市内を動き回ることになる。

 果たして泰三は追手から逃げ切れるのか? サスペンス劇でもあるので、結末を記すのは避けたいと思うが、最後は悲劇的である、とだけは書いておこう。

 台風の接近と猛威が効果的に挿入され、緊迫感の高揚を演出していて、単純なストーリーながらも、佐々木譲らしい巧みさはその片鱗を見せている。洒落た会話や痛快なカーチェイスなど、ハードボイルドの要所を押さえて、好感も持てるのである。佐々木譲の原点を探るという意味では、格好の作品であったのかも知れない。

  2009年12月31日  読了