松本清張 『彩り河(下)』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


 2009年10月発行の文春文庫の下巻。

 上巻で昭明相互銀行・下田社長のダーティな一面を突き止めた山越貞一は、それを原稿にまとめ、取材契約先である「ファイナンシャル・プレス」社を通さずに、直接同相銀を訪れて社長に面談を求めた。そして、社長には会えなかったものの、600万円の大金を得ることとなった。しかし、個人で大組織を恐喝するという行為は、余程に慎重に構えなければならない。ましてや、相手は寿永開発といういかがわしい企業を傘下に持つ下田社長なのである。報復への備えもないまま接近した彼は、やはり軽率であったのだ。

 山越は、妻に300万円を渡し、残りの現金を手に、山梨へ向かう。前回、東洋商産が所有する広大な土地の調査に出かけたときに知り合った梅野ヤス子に会うためだ。大金を得て、美人のヤス子と甘いひと時を夢想する山越であったが、彼女こそは相手が仕掛けた罠であったのだ。山越は薬を飲まされ、山中の採石場へ運ばれて、あたかも事故であるかのように転落死させられてしまうのである。

 山越の事故死の報道に不審を感じたのが、井川正治郎だ。井川は山越の足跡を追い、山梨で調査にあたり、山越を乗せたタクシー運転手の聞き込みなどから、次第に事件の核心に辿りついてゆく。東洋商産の土地が寿永開発名義に変更されていることを知り、寿永開発の背後には昭明相互銀行の下田社長がいることも把握するところとなってゆくのだ。

 しかし、確たる証拠がない。折しも、下田は自らが会長を務める全相銀蓮の会館を東京に建設し、その24階に「マスタートン」というレストランを設置した。レストランとは名ばかりで、実質はナイトクラブであり、下田の愛人の増田ふみ子がママである。井川は、「ファイナンシャル・プレス」で山越の同僚の取材記者であった木村秀子の紹介により、山越の妻の静子を「マスタートン」の掃除婦として送り込み、下田とその周囲の情報を得ようとする。

 だが、木村秀子の紹介も、敵が仕掛けた罠であったのかもしれない。少しずつ情報を得られるようになった矢先に、今度は静子が殺害されてしまうのである。しかも、「マスタートン」に勤務するために、静子が山越の妻であることを隠すため、井川が静子の偽名で用意したアパートの一室で。やはり薬を飲まされたのか、静子は無抵抗のまま絞殺されていた。

 しかし、静子はヒントを残していた。井川はそのヒントを解いて、ジョーに辿りつく。ジョーとは、物語の最初から登場していた人物で、「ムアン」の客の乗る車を整理誘導していた男である。彼の本名は田中譲二。彼の父親はかつて下田の策謀により自殺に追いこまれていた。ジョーも下田の内偵を進めていたのである。

 井川はジョーと組んで事件のケリをつけることになる。しかし、ここまでですでにミステリーの大筋を書き過ぎているのだから、結末に触れることは避けるべきであろう。言えることは、社会派といわれる松本清張作品において、このような事件解決が果たして許されるのだろうか?、と疑問に思うほどの、意外な大団円が用意されているということだ。実に、驚愕のラストである。

 「ムアン」のママの山口和子の殺害事件は、もちろん警察が捜査に当たったが、迷宮入りの様相であった。山越貞一は事故死として処理されたとしても、静子の殺害も当然に警察は動いたはずである。しかし、この作品では警察は全く無力であり、事件に迫るのは、捜査には素人の井川でありジョーであった。このあたりに不自然さを感じないでもないけれど、それがこのミステリー大作の面白さを損なっているわけでもなく、全編に松本清張の力技が横溢しているのであり、読み終えての満足感もひとしおであった。

 このブログ、松本清張を好んで読んで、今回が記念の50冊目である。それでも、まだまだ読みたい作品が控えていて、さらにこの記録は伸びてゆきそうである。

  2009年11月19日  読了