橋本治 『双調 平家物語 7 保元の巻』 (中公文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


 2009年10月発行の中公文庫。

 保元の乱といえば、武士の時代の到来を印象付けた最初の争乱であるわけだが、いよいよこの長い物語も、源氏や平家が表舞台に登場しようかというところまで辿り着いてきた。と言って、この第7巻はまだ保元の乱には至らず、その前夜の、複雑に絡み合った人々の思惑を実に丁寧に解明しようとしているに過ぎない。通史などの歴史書を読んでも、乱勃発に至る経緯がイマイチ不透明な思いを抱いていたのだが、この巻を読んで、なるほどこれだけの人々が栄華を巡って結託し離反し、謀事を巡らし、世の乱れを誘発していったということが、とてもよくわかるのである。その意味で、この巻は自分にとってとりわけ有意義な一冊となった。

 ことの起こりは、やはり白河帝から始まったのである。白河ー堀河ー鳥羽と帝位に変遷はあっても、その間、院政を恣にして、全ての権力は白河院のものであった。白河院は荒淫とも言われた人で、ことに自分の寵愛する藤原璋子を養女として鳥羽帝の中宮としたことには、酷い話だと思わざるを得ない。璋子は白河院の胤を受けて子を産み、しかしその子は形式的には鳥羽帝の皇子であって、譲位後は崇徳帝となるのである。崇徳帝は誕生したときから鳥羽帝の愛情を得られない存在であった。

 白河院が亡くなってみれば、今度は鳥羽院に権力が移ってゆく。鳥羽院は崇徳帝に譲位を迫り、しかし崇徳帝の子ではなく、自分の子を帝位につけ、近衛帝の御世となる。崇徳帝は新院と呼ばれはするものの、何の権限もないのだ。しかも、鳥羽院は待賢門院の院号を得た璋子から距離を置き、藤原得子を寵愛することになる。得子は後に美福門院となる女性で、待賢門院の凋落と美福門院の隆盛という図式ができることになるのである。

 一方、摂関家では、白河院から遠ざけられた忠実から氏の長者を受け継いだ忠通と、忠実に溺愛される頼長(忠実の養子となっている)とが、次第に対立するようになってゆく。忠通に男子が生まれてからは、頼長に氏の長者を譲る気持ちはないのだ。忠通は先を見通し、美福門院との連携に動き出す。一方の頼長は、自分が摂関家の長になることを信じて疑わない。彼は鳥羽院の次は崇徳院であるとして、崇徳院への接近を試みる。そして、忠通と美福門院に見事に裏をかかれるのである。

 武家に目を移すと、東国平定で武家の棟梁として頭角を現した源義家の一族を、白河院はその名声ゆえに遠ざけていて、院の守護は平家が多く登用されていた。後に平家がわが世を謳うことになる萌芽も、やはり白河院の御世にあったのである。

 こうして概略すれば、どうしても重い存在だけを点描することになってしまうけれど、この巻には、藤原家の亜流の人々も動きを見せ、娘を差し出したり、婿養子を迎えたりと、それぞれの思惑が絡み合っていて、非常に面白い。また、この時代は男色もごく普通のことであったらしく、その結びつきが政治にも反映されたりして、それも面白いと思う。気になるのは、頼長の先を読めない身勝手さであろう。彼こそは、保元の乱の一方の立役者となるはずなのだが、これでは、戦いに勝てるはずがないではないか。なお、この第7巻で描かれるのは、近衛帝の突然の死までである。後白河帝の即位とその後の乱の勃発は、第8巻を待たねばならない。

 個人的には、この時代に生きた歌人の西行が好きで、わずかとは言えこの巻にもフォローされているのがうれしかったし、西行の生涯を辿れば必ず待賢門院璋子への思慕に言及されるわけで、彼女こそ美の象徴のような気がしていたのだが、その璋子像がしっかりと描かれて、イメージを結ぶことができるのも、良かったと思う。

 歴史好きには堪えられない作品で、毎巻を楽しく読んできたけれど、この第7巻は特筆ものの面白さであったと言い添えておきたい。

  2009年11月7日  読了