橋本治 『双調 平家物語 4 奈良の巻』 (中公文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


 
 
 2009年7月発行の中公文庫。早くもこの長大作の4巻目を迎えたわけだが、全16巻であるから、道は遠い。我々がイメージする平家物語の世界にはいまだ至らず、この『奈良の巻』は聖武天皇の時代が中心である。つい先日読んだ松本清張の『火の路』が斉明朝を論じていたから、このところはすっかり古代史漬けという感じがしないでもない。
 天武天皇・持統天皇一草壁皇子一文武天皇一聖武天皇、という系譜である。聖武天皇の母は藤原不比等の娘の宮子、そして夫人は後に光明皇后となる安宿媛で、これも不比等の娘である。天武・持統直系の血脈を持ち、ときの権力者・不比等の孫として生まれた聖武天皇こそは、生まれたときから天皇になることが宿命づけられていたお方であった。だが、父は早くに死に、母は出産後正気を失い幽閉の身となって、聖武天皇は父母の愛を知らずに育ったのである。この時代、天皇の権威はピークを迎えたとも指摘できるのだが、聖武天皇の心は常に何かを怖れていた。著者は聖武の内面を推察し、遷都流浪や大仏建立に至る経緯を説明してゆくのだ。
 一方、新興ではあっても既に大きく根を張ったかに見えた藤原の一族にとっても、不比等の死後は不遇の時代が続く。長屋王が宮中で権勢を誇り、しかし謀反の咎で自死したのも束の間、都に蔓延した疫病により、藤原四家を立てた不比等の息子たちは相次いで世を去ってしまうのである。宮中では、県犬養橘三千代から橘の姓を受け継いだ光明皇后の異父兄・橘諸兄が実権を握る。藤と橘は同じ花を咲かせることができないのである。式家を継いだ藤原広嗣が任地の太宰府で乱を起こしたこともあり、その罪が一族に及ぶことを避けるためにも、藤氏は隠忍自重を余儀なくされた。藤原の娘であることを誇りとする光明皇后としても、黙って聖武天皇に寄り添うしか方法はなかったのだ。
 だが、時は流れる。藤原氏は待つことも得意なのだ。聖武天皇の濫費を厭わぬ放蕩に似た施策にただ従うだけの橘諸兄には、その息子の奈良麻呂でさえも危惧を抱くほどである。聖武が大仏建立を機に考謙女帝に譲位するころには、南家の武智麻呂の次男である仲麻呂がようやく頭角を現してきた。実は、天皇家の血筋ではない藤原の娘が皇后に立ち、その娘の内親王が東宮に立てられたことは、天皇家の歴史においても例のないことであり、宮中に異論も多く、それも聖武天皇の心の葛藤を生んだに相違ないのだが、ことは藤原の一族の願望通りに推移したのである。
 この巻では、考謙天皇の治世が端緒につき、やがて聖武天皇が世を去るまでを描いている。いつものように、著者の関心は天皇家に纏わり付いて栄華を求める藤原氏に置かれており、そこに蠢く人間模様を追うことに終始しているようだ。そのため、大仏建立の大事業などもさらりと流してしまうのが寂しい気もするが、政敵あるいは同族間の利害確執の人間ドラマとしては非常にわかりやすく、また面白い。歴史家がこの時代を描こうとすれば、どうしても総花的にあれもこれも言及することになるのだろうけれど、小説家なら取捨選択は自由であり、テーマを絞り込めるというものである。人物造型に想像力を働かせるのも自由なのだ。
 個人的にも、歴史上の女性のなかでも橘三千代と光明皇后の母娘には特に魅力を感じており、そういう意味でも、この巻は特に楽しめたように思う。
  2009年8月11日  読了