篠田節子 『女たちのジハード』 (集英社文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 2000年1月発行の集英社文庫。1997年の第117回直木賞の受賞作ということである。その回は、浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』とダブル受賞であったということだ。『鉄道員』が心に残る名作であり、映画化もされてそちらも感動的であったことは記憶に新しいが、この作品も、読む者に勇気を与える痛快な長編小説であった。1997年は文学的によほど充実した年であったらしい。

 中堅損保会社に勤務する5人のOLたちの物語である。男性優位のその職場で、彼女たちは会社に拘泥することなく、それぞれの方法で自分の人生を切り開いてゆこうとする。いみじくも主人公の一人・沙織が「男にうまれてこないでよかった」と思うように、女性ならばこそ、家族や会社に帰属することなく自由に羽ばたきやすいという部分はあるにしても、彼女たちの奮闘振りはジハードと言うにふさわしいように思う。実際、自分のような還暦過ぎの老人がOLたちの行動に鼓舞されるというのも妙な話なのだが、この作品にはそれだけの力があり、人生を前向きに捉えたくなってくるのである。

 康子は30歳を超えた地味なOLだ。普段はしとやかで目立たないのに、ここぞというときの集中力と行動力には目を見張るものがある。中古マンションを格安に入手しようと、やくざと対決する姿を描いた『シャトレーヌ(城主)』の章は、この物語の白眉といえるほどの面白さだ。彼女は最後の『三十四歳のせみしぐれ』でも、トマト生産農家の男性を救おうとして大車輪の活躍で、ついにはビジネスに目覚め、大きく飛翔しようとする。自分としては、ここに登場する女性たちのなかでは、この康子に最も思い入れが深かった。

 美人のリサは、途中から会社の広報へ回り、広告塔のような役割を担うのだが、総合職への道が開かれるわけでもなく、飽き足りなく思っていた。もともと結婚願望も強かった彼女が、東大卒の医者と知り合い、やがてプロポーズを受ける。だが、セレブな生活を夢見た彼女の期待は裏切られ、彼は冷蔵庫も洗濯機もなく、トイレさえもない発展途上国への医療支援を希望するのだ。悩んだ末、リサは男の夢に殉じ、飛び立ってゆく。

 沙織は会社でのやりがいを見つけられず、得意の英語で身を立てたいと念じている。翻訳家の下訳をしながら指導を仰ごうとするが、芽の出る兆しは見つけられず、ついに渡米を決断する。費用捻出のエピソードなども愉快であるが、アメリカでは英語が自由に操れるというのは当然のことで、特技でも何でもないのだ。沙織は挫けそうになりながらも、次第に英語力をアップさせ、やがてヘリコプターのパイロットという夢を見つけてゆく。クールでひたむきな沙織は、周囲に配慮しない欠点もあるけれど、応援したくなる存在である。

 有能であったが、職場結婚の夫の昇格と引換のような形で退職に追い込まれたのがみどりだ。彼女はそれを逆手にとって、出産を果たしながら資格を取るというしたたかさを発揮する。コミュニティでも活躍の場を広げてゆく逞しさである。

 もう一人、紀子は万事スローで、家事能力に欠ける女性である。その彼女が早々と結婚退職し、早々と破綻してしまう。自活能力があるわけでもなく、康子のマンションに転がり込んで、生活を依存するという有様だ。自分などは、こういう女性にはイライラしてしまうのだが、紀子にはまた異なる魅力があるらしく、間もなくパート先で再婚相手を見つけてくるのだ。この物語では異色の存在であるが、現実社会にはこういう女性も多いような気がする。

 仕事と人生、夢と現実、そしてそれぞれの変転。彼女たちは物語の中で右往左往しながら、それぞれに何かを掴んだようである。その過程が我々読者への応援歌ともなっていて、元気づけられるのであるし、読者としても、彼女たちの未来に思いを馳せ、応援したくなってくる。そうして、そこに爽やかな余韻が残るのだ。

 著者の作品を読むのは初めてであったが、また一人、好きな作家が増えたと言えそうである。

  2009年2月28日  読了