山本兼一 『火天の城』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 2007年6月発行の文春文庫。著者が第140回直木賞を受賞して、さっそく大増刷されたらしく、書店で平積みされていた。さすがに、芥川・直木両賞を利用した文藝春秋社の商魂は逞しい。なお、この作品は、2004年の松本清張賞の受賞作だということだ。情報に疎いので、文庫本の帯でようやく知ったのだけれど。

 タイトルの『火天の城』とは、ずばり安土城を指していて、となれば、佐々木譲の『天下城 』を思い出す。同作品は石積み職人の穴太衆棟梁の活躍を、やはり安土城の石垣組みをクライマックスに描いていて、優れた歴史小説になっていた。そしてこの作品はといえば、安土城の計画から、設計施工、完成、炎上まで、ほぼ全編が建設工事にまつわる秘話である。『天下城』が土木工事を描いていたわけだから、この2作を併せて読めば、安土城の全貌がよくわかる仕組みとなっていて、期せずしてこの両者は補完関係を果たしているし、同時に信長の独創性や斬新さもよく伝わってくるというわけだ。歴史上の英雄にスポットを当てるのではなく、彼の周辺の優れた職人仕事を再現することで、間接的に英雄も描くという手法は、ニッチ市場を開拓したようなものであり、これからも様々に作品化されるような気がする。

 安土城普請の総棟梁を務めるのは、熱田神宮のお修理番匠であった岡部又右衛門である。又右衛門は桶狭間に出陣する信長に初めて出会い、以後、信長のための番匠となった。この作品は安土城の建設のみを描くことに徹底していて、出会いの次には、又右衛門は岐阜城において信長からその壮大な計画を聞くことになる。そしてすぐに現地入りである。

 それにしても、山を削り谷を埋め、整地した上で七層にも及ぶ巨大な天守閣を建てようというのだから、仕事の量は半端ではない。しかも施主の信長の発する指示には容赦がなく、短時日の完成を要求されもする。多数の職人が寝起きする長屋の建設から始まり、地勢の調査と地ならしを進め、南蛮風の城の設計を詰め、用材の手当や加工に着手してと、又右衛門は寸暇を惜しんで動き回らねばならない。しかも、六角承禎は落ちぶれたとはいえ土地の名門であって、信長の城普請が面白いはずもなく、甲賀の衆を使って妨害を図ってくるのだ。

 著者はよほどに木造の大建築物を研究したに違いない。つらなって、大石や心柱となる巨木に畏敬の念を払っている。釘や瓦に到るまで、建築部材には周到な目配りがなされてもいるようだ。ともあれ、安土城の骨格が組み上がってゆく様子は、活字を追うだけの読者にとっても、実に壮観である。そしてもう一つは、又右衛門とその息子の以俊との関係が丁寧に描かれ、以俊は父に反発しながらも次第に父の風貌に似てゆくのであり、つまりは若棟梁が真の棟梁になってゆく成長物語ともなっていて、物語の絶妙な味付けともなっているのである。信長についても、脇役ではあってもその存在は屹立していて、首肯できる描き方がなされていると思う。

 一大プロジェクトにより見事に完成した安土城も、信長の本能寺における非業の死の直後、焼け落ちてしまう。ここまで幾多のエピソードに接したきた読者としても、この城の焼失を惜しまずにはいられない。

 歴史小説の新しい書き手が直木賞作家となったことは、そのジャンルのファンにとっても、喜ばしいことであろうと思う。以後の作品も是非読んでみたいものである。

  2009年2月22日  読了