松井今朝子 『非道、行ずべからず』 (集英社文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 2005年4月発行の集英社文庫。(アフリエイト検索で集英社文庫版はなかったので、表紙写真はマガジンハウス社発行の単行本を転用しています。)

 このところ松井今朝子作品に惹かれていて、集中的に読んでみたいと思っている。なかでもこの作品は、歌舞伎に造詣の深い著者が、江戸時代の歌舞伎興行を正面から細大漏らさず描き、しかもそこにミステリーの要素も盛り込んだ意欲的なものであった。最近ではやや小振りの活字で500ページ超の大作であるが、読者を捉えて離さない力強さがあり、芝居の上演と謎解きが同時に進行するクライマックスに至るまで、一気に読んでしまった。

 19世紀初頭の文化6年元旦、江戸最大の芝居小屋である中村座が火事で焼け落ち、焼け跡から衣裳行李に押し込められた絞殺死体が発見された、というところが物語の幕開けである。事件の捜査にあたるのは北町奉行所のベテラン同心・笹岡平左衛門と同見習・薗部理市郎だ。二人はやがて、死体が小屋に出入りしていた小間物屋・忠七であったことを突き止めるが、なぜそこで殺害されていたのかは杳としてわからない。一方で、中村座の大夫元・勘三郎は、小屋の再建に向けて動き出す。奉行所の認可を得ることから、設計・施工の打ち合わせや資金の調達まで、そして、完成後の興行までをも見据えて、彼の活動は大車輪だ。金主の大久保庄助、高齢ながらいまも看板女形の荻野沢之丞、立作者の喜多村松栄、楽屋頭取の七郎兵衛、帳元の善兵衛など、歌舞伎を上演してゆく上での中心的な役割を担う人びとも順次紹介されてゆく。つまりこの作品では、殺人事件の捜査と並行して、歌舞伎興行の第一歩ともいうべき芝居小屋の建設から始まり、人気役者と座付作者の関係や、台本が完成して初日を迎えるまでの稽古のありよう、さらには興行を支える裏方全般に到るまで、江戸歌舞伎の実態が実に丁寧に描かれてゆくのである。

 笹岡は木戸蕃の右平次と沢之丞の弟子の荻野沢蔵に捜査の手助けをさせるが、右平次は「四君子」という犯人の手掛かりらしい言葉を残したまま、新しい小屋の奈落で殺害されてしまった。沢蔵は、沢之丞の二人の息子・市之助と宇源次の名跡相続争いが事件の根幹にあると見て、楽屋事情に詳しい七郎兵衛を問い詰めるが、その七郎兵衛も絞殺されてしまう。中村座において3人もの死者が出たのに、宇源次の華やかな演技を得て舞台は観客の熱狂理に続けられており、そのギャップが鮮やかである。

 最初に殺害されていた忠七が実は元女形の役者であったことがわかり、沢之丞の亡妻とも関係があったらしいことも判明し、宇源次の出生に秘密があることも明らかになってくる。いよいよ宇源次の荻野沢之丞襲名が事件の根幹であることが明瞭になってきた。折しも、沢之丞一世一代の舞台の幕が開き、しかしそこには「四君子」による殺害計画も仕組まれていた。「四君子」とは何を意味し誰を指すのか? 笹岡と理市郎はその計画を未然に防ぐことができるのか? 舞台初日の進行に合せて全貌が明らかになってゆくクライマックスは、読者を興奮に導くこと必至のダイナミズムとサスペンスに充ちている。そして、最後に示す笹岡の事件処理における裁量も、時宜を得た処置として心に響くものがあり、読者にも心地良く届くのである。

 ともかく、夢中になって読み耽ることができる小説であった。歌舞伎というバックボーンがあり、古典に通暁しているこの作家は、文章にも自ずから品格があって、それがまた読む楽しさを倍化させている。考えてみれば、「楽しく、かつ、為になる」というのは読書の最大の喜びではなかったろうか? 自分は歌舞伎を観たことはないけれど、この作品でその一端を覗くことができたことをうれしく思う。

  2009年2月6日  読了