新潮文庫の10月新刊。
俳聖芭蕉を悪党呼ばわりするのだから、挑戦的なタイトルである。俳句を愛する人びとなら腰を抜かしてしまい、次には怒りに震えてしまうのではないだろうか。
だが、タイトルに掲げたほどには、著者が芭蕉を悪党とは思っていないのはもちろんである。神格化された芭蕉像ではなく、生身の人間としての芭蕉を探ろうという試みが、「わび」「さび」「軽み」の世界に浸る典雅な翁ではありえず、世知に長けた俳諧興行師の側面を焙り出すことになって、つまりは「芭蕉は聖人君子ではなかったのだよ」と言いたくて、敢えてこのスキャンダラスなタイトルとなっただけなのだ。著者は芭蕉とその作品が好きでたまらず、だからもっともっと芭蕉を知りたいと念じ、そのための行動も続けている。
一体に、芭蕉の前半生は謎が多いようだ。伊賀上野に生まれ、藤堂家に仕えながら俳諧を学んだ。29歳で江戸へ出て、俳諧修行のかたわら、神田上水の浚渫工事に関わった。その後、俳諧興行師としてスポンサーも付くようになり、芭蕉庵も建ててもらって、多くの弟子を持つようになってゆく。
著者は、芭蕉が江戸へ出たのも、名古屋や大阪の俳壇に比して江戸が手薄であったからであろうと、そこに彼の計算を見るし、弟子筋についても、豪商、医者、相当な身分の藩士などを擁していて、それはもちろん彼の才能に拠るところではあろうけれど、しかしやはりそこにしたたかさのようなものを感じるのである。芭蕉ファンはその話題を嫌うらしいけれど、衆道趣味にも触れて、しかしそれは当時としては一般的なことであったとも述べている。芭蕉は案外と贅沢好みで、美食家でもあり、孤独にはすぐに倦んでしまう人恋しい性格でもあったようだ。何となく欲望剥き出しの人物が浮かび上がって来て、逆に人間味が感じられるような気がする。
この作品、芭蕉の未知の面を多々教唆してくれて、それも面白いのだが、作品への考察が数多くなされていて、それも楽しい。「古池や蛙飛こむ水の音」では、蛙はよほどのことがないかぎり水には飛び込まないと言い、「荒海や佐渡に横たふ天の川」にしても、海が荒れていたら佐渡も天の川も見えないはずだと言う。芭蕉の句は、実景描写ではなく、彼の想像力により、見えないものを見て吟じているというわけだ。このあたり、目からウロコを実感した。(余談だが、『奥のほそ道』で「荒海やーー」の前に置かれた「文月や六日も常の夜には似ず」と、俵万智の「ーー七月六日はサラダ記念日」とを論じた丸谷才一の『七月六日のこと』というエッセイを思い出した)
もう一つは、当時の俳諧興行の中心であった歌仙に数多く触れて、その解説を試みながら、芭蕉の心境や弟子達の在り様をを解きほぐしていることで、その面白さは特筆ものである。要するに、この作品は格好の芭蕉鑑賞本にもなっているのだ。
著者は「おわりに」で、「この一作を書き終えて、へとへとに疲れた」と述べている。そして、単なる読者に過ぎない自分も、読み終えてへとへとに疲れた。自分は特に詩歌が好きというわけではなく、それでも西行と芭蕉は別格で贔屓にしているつもりなのだが、ここに登場する芭蕉とその弟子達の句を熟読玩味するには、相応のエネルギーを要したのである。
いつもブログを拝見し俳句に馴染ませていただいている春行士さん(http//ameblo.jp/taki418/)にも、この機会に改めて感謝したいと思う。
2008年10月13日 読了