海音寺潮五郎 『孫子(上)』 (講談社文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 講談社文庫7月発行の新装版。この作品の初出は1963年3月~64年3月の「サンデー毎日」連載ということである。当時、企業家の間で兵書『孫子』が経営の参考書としてブームとなっていて、同誌の編集者を動かしたという事情もあったようだ。海音寺潮五郎は戦後の一時期占領軍の検閲を避けるために中国に取材した作品も書いているが、世の中が落ち着きを取り戻していたこの時期にこのテーマの作品を書いたことには、やや奇異な感じがしないでもないのだ。

 孫子と一口に言うけれど、孫武と、その子孫にあたる孫臏の両者を指しているということである。この作品では、上巻が孫武、下巻が孫臏を描いている。いずれにしても、紀元前6・5世紀の頃の人物であり、史料もいたって少ないとあって、著者の想像力の所産によって壮大な物語が生まれたというわけである。

 孫武は斉の国から呉の国へ移住してきて、湿地原野であった土地をもらい、美田地帯を作り上げて、孫家屯を営んでいる。些事は口うるさいが働き者の妻に任せ、合戦の研究を趣味としていて、戦場の実地調査に精を出すという日常である。当時は戦国の世であり、各国の消長は激しい。孫武は、戦が勝つべくして勝ち、負けるべくして負けてゆくということを、実証的に知り、その戦術の記録を蓄えてゆくのである。

 孫武は名誉栄達を望むわけでなく、あくまで好きでそうしていたのだが、楚の国から呉の国へ亡命してきた五子胥と出会い、自分の研究成果を披露したことから、運命が変わる。再三固辞したにも拘わらず、将軍として迎えられてしまうのだ。新たに王となった闔臚のもと、楚の国への復讐に燃える子胥とともに、戦いの日々に身をおくことになる。孫武は戦術を担当し、それにより勝利を得れば、自分の研究が的を射ていたことの証明ともなって、ある意味は満足感に浸ることができるのだが、生来が気弱で無欲である彼にしてみてば、将軍の地位は重荷ともなったのである。

 孫武が将軍職にいた十数年の間の戦争が次々と語られてゆき、その作戦の妙と、しかし指示に反する動きによる齟齬なども描かれ、それがこの作品の中心をなしているのだが、孫武が勇猛果敢な武将ではなく、人間通の味のある人物となっているところが、とても面白い。軍隊という組織であれば、手柄を自分のものとして主張したい者ばかりであるのに、彼はそこを読めるだけに、周囲からの嫉妬を避けようとするのだ。このあたり、著者の人物造形がピタリと嵌って、なるほどこういう哲人風な人物であればこそ、最強の戦術書を書き残すことができたのだと思えてくる。

 孫武は将軍職を辞し、孫家屯へ帰ってからは、まるで農夫然と悠々と暮らした。国王の闔臚は戦に倒れ、子胥もまた非業の死を迎えたことを思えば、隔世の感がある。人生の達人とはこういうものであろう。

 実は、中国を題材とした歴史小説にはあまり馴染がなかったので、読み終えることができるかと、最初は不安であった。しかし、さすがに海音寺潮五郎のスケール大きな語り口は見事なもので、つい引き込まれてしまっていた。何事も、食わず嫌いはよくない、という教訓!

  2008年8月9日  読了