松井今朝子 『銀座開化おもかげ草紙』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

還暦過ぎの文庫三昧

 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


 新潮文庫10月の新刊。新直木賞作家となった著者の作品を読むのは初めてである。

 明治7年~8年の銀座を舞台に、元旗本の次男坊で、24歳の時に明治維新で幕府の瓦解を体験し、いまは30歳を過ぎて中年を迎えようとしている久保田宗八郎の、屈折した生き様を描いている。彼の内面には武士の血脈が滔々と流れているが、文明開化の世の中に変わり、かつての幕臣も鮮やかに転身している風潮のなかでは、彼の気骨も持って行き場がないのだ。江戸が東京に変わり、銀座の街並が洋風に生まれ変わっても、一歩裏通りへ入れば江戸の下町の暮らしが残っているという時代である。世相にも、宗八郎の内部にも、古いものと新しいものとが混在していて、それらを描き切っているところが、この作品の眼目であるように思う。

 第一話『明治の耶蘇祭典(クリスマス)』は、宗八郎が銀座に暮らすことになる顛末が描かれる。銀座通りにガス燈を据える工事の関係で、高島嘉右衛門の意を受けた兄の勧めにより、彼は煉瓦街の一室に住むことになった。大家で古物商を営むのは、大垣藩戸田家の若様・戸田氏益、その隣で洋書屋を営むのは元御家人で後に女子学院の礎を築くことになる原胤昭と、そこにはすでに役者が揃っている。そして、クリスマスの教会で、宗八郎の心を虜にする鵜殿綾との出会いも挿入されている。

 第二話『井戸の幸福』で、宗八郎は殺人事件の解決に乗り出し、イカサマ博打を行うヤクザ者と対決して、銃弾で怪我を負い、綾の看病を受ける。第三話『姫も縫ひます』では、逆に車夫の暴走で綾の乗った人力車が危機を迎えたとき、宗八郎が身体を張って綾を助ける。明治初期の情景を巧みに織り込みながら、時代に取り残されようとしている人々と、時代を取り込んで前へ進もうとする人々との哀歓も滲ませ、歯切れよい文体と併せて、物語のテンポは快調に進んでゆく。

 もう一つ、第一話から通奏低音として続いているのが、明治元年の石谷蕃隆と宗八郎の対決の記憶である。彰義隊の隊士を斬り刻んで弄んでいた蕃隆を見るに見かねて、宗八郎は彼と剣を合せたのだが、その彼がいまは内務省権大輔警保寮の次官という政府高官となっているのである。そして、第四話『雨中の物語り』での馬車による轢き逃げも含めて、宗八郎の周囲に起きる事件の背後には番隆がいるようなのだ。

 第五話『父娘草』は特に出色で、新たに発生した殺人事件の背後にも番隆がいることを突き止めるまでを描きながら、綾の女学校の友人と異人との恋を織り込み、綾の宗八郎への想いも浮き彫りにしてゆく。拡散しがちな話題を収束することも、この著者は上手なようである。

 ただ、惜しむらくは、この作品は大河小説の中間部分であるらしく、解決を用意しないままで終ってしまうのである。さらに言えば、この作品の前段に『幕末あどれさん 』があり、そちらを先に読んでおいたほうが理解が深まったようにも思う。髪結いを営む比呂という女と宗八郎との関係など、この作品だけでは解り辛かった。

 そして、この作品の続編として、『果ての花火―銀座開化おもかげ草紙 』がすでに単行本になっているということだ。文庫になる日を、気長に待つことにしようと思う。

  2007年10月7日  読了