横山秀夫 『臨場』 (光文社文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 光文社文庫9月の新刊。横山秀夫の警察小説であり、読み逃しのできない作品だ。

 タイトルの『臨場』とは、事件現場に臨み初動捜査にあたる警察用語だということである。この作品は、終身検死官の異名を持つ捜査一課調査官の倉石義男が活躍する8編を収録した連作小説集となっている。

 第一話の『赤い名刺』で、すでに倉石の能力や魅力が存分に描かれる。部下の一ノ瀬がかつて関係を持ったゆかりが殺害されて、スキャンダルを怖れる一ノ瀬が倉石の指示で検死を行うのだが、倉石は現場に残されたわずかな痕跡を見逃さずに真犯人を割出し、一ノ瀬の危機を救うのである。冒頭から読者を倉石の虜にしてしまうあたり、著者の力量の確かさを厭でも思い知らされることになるのだ。

 倉石は部下や若手刑事からは「校長」と呼ばれるほど畏敬を込めて信奉されているが、素行は悪いし、上司を立てることもないので、組織のなかでは異端児である。彼を煙たく思い、異動させたがっている高嶋捜査課長と倉石が絡む、第三話の『鉢植えの女』は、この連作集の白眉とも呼べる出来映えであった。高嶋も調査官を経験しており、たまたま先に出向いた現場で一通りの検死を終えて、倉石を呼び寄せるのだ。死者はダイイングメッセージを残しており、そこからも自殺の線は濃厚なのだが、倉石は高嶋の及びもつかない嗅覚で犯罪を指摘する。事件解決も鮮やかなら、高嶋の思い通りにはさせないという主張も見事で、読み終えて爽快感が漂うのである。

 他で指摘したいのは、8編それぞれの語り口の多様さである。第二話『眼前の密室』では地元紙の新聞記者の取材の苦労を滲ませ、第四話『餞』では退官目前の刑事部長の哀歓を漂わせ、第七話『黒星』では記者の取材をユーモラスな会話文により際立たせている。そうかと思えば、第六話『真夜中の調書』では血液型の謎に真摯に取組み事件の裏に隠されている真実を明らかにし、読者を啓蒙すらしてくれる。そして、どの作品でも倉石の存在感は抜群で、現場に残された秘密を鋭く読み取ってゆくのだ。

 さすがに定評ある著者の警察小説で、満ち足りた読後感を得ることができた。ただ、最終話で倉石の病気に触れられていて、とても心配である。彼が病気で倒れてしまったら、この連作の続きが読めなくなってしまうのだから。

  2007年9月28日  読了