乃南アサ 『二十四時間』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 新潮文庫の4月新刊。

 娯楽性の強いストーリーテラーとして活躍する著者としては珍しく、私小説的な、あるいは自伝的な作品である。零時から二十三時までの、それぞれの時間に纏わる記憶を辿った24の掌編と言ったらいいのだろうか。それぞれが独立した読物のようでいて、しかし通読すると乃南アサという作家の成り立ちが仄見えるという構成である。不思議な味わいだ。

 時間は連続することなくバラバラに呈示されるし、その時間に触発された記憶も少女時代から作家デヴューの頃まで不連続に唐突に描かれる。例えば、「二時」は一人暮らしを始めた21歳の頃の話で、アパートへ友人が泊まりに来た夜、突然、二階から男女の諍いの声が聞こえてくるというものだ。天井一枚隔てた場所に、全く違う人がいて、まるで異なる人生が展開されていることを、「私」は初めて実感するのだ。そしてすぐその次は「二十一時」で、「私」が子供の頃、親の許しを得て、テレビで日曜洋画劇場を観る話なのである。淀川長治の解説が一世を風靡したあの番組はなるほど午後九時から始まったし、いつもは八時に就寝するよう義務付けられていた少女がその番組を観ることを許されるのは、大人の世界への入り口であったと回想するのだ。

 という訳で、「十九時」は熊野の花火が始まる時間であり、「十四時」は北海道の取材旅行で遅い昼食にラーメンを食べる時間であり、「五時」は高校生の頃の夜明けの冒険であったりと、描かれるのはあくまでも断片であるけれど、ミッション系の女子高へ通い、早稲田大学を中退し、広告会社へ勤務するかたわら小説を書き始め、やがて文学賞を得て作家として自立するまでの、著者の半生が自然とわかってくる仕組みなのである。そういう意味では、随分と凝った作品であると言えるのではないだろうか。

 著者の『凍える牙 』などは、緊迫した素晴らしい作品で、女流作家らしくなく硬派なところにも魅力を感じていたのだが、逆に、女性の感性でその時々をスケッチした今回の作品も十分に魅力的であった。最近の作家は多作を強いられるようで、その結果、作品が軽くなる傾向を否めないように思うし、著者にもその気配があるのではないかと憂慮しつつあったのだが、もしかしたら、この作品は新境地を開いたのかもしれないと思う。才能はあるのだから、饒舌で軽薄な作品よりは、心に残る稀有な文学を期待したいものである。

  2007年4月9日  読了