海音寺潮五郎 『悪人列伝 近世編』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


 文春文庫1月の新刊。シリーズとしては3冊目である。

 この巻には、日野富子、松永久秀、陶晴賢、宇喜田直家、松平忠直、徳川綱吉の6人の史伝が収録されている。小説ではなく、あくまで史伝なので、史料をもとに構成されており、説が幾通りもある場合は併記して、その上で著者の考えを述べている。各人物が登場した背景から説き起こすのも、前2巻と同様である。人物への理解が深まり、なおかつ面白く読めるのだから、歴史好きには堪えられないシリーズだ。

 日野富子は足利8代将軍善政の夫人であるが、わが子を盲愛するあまり応仁の乱の大きな原因を作り、人々が戦乱で困窮していても物欲と権勢欲はさらに増したということだ。もっとも、この頃には、将軍家だけでなく管領家やその他有力武家にもお家騒動が起こり、お互いが利益を求めて動いていたわけで、富子だけを責めるのは酷というものである。

 松永久秀、陶晴賢、宇喜田直家の各武将は、能力があり、次第に頭角を現わし、遂には主家を滅ぼしてさらに大きく飛躍しようとしたとき、織田信長や毛利元就など、彼等より上をゆく勢力が台頭してきて、中途半端に終ってしまった。例えば松永久秀は領民に苛烈な政治を行ったということだが、多聞櫓の独創的な城郭建築に見られるように、多芸多才な人物であったことも間違いないのだ。かりに悪人であったとしても、彼等は大悪人にはなりきれなかった武将たちである。

 松平忠直は家康の孫にあたり、徳川綱吉は曾孫である。つまり、戦国の世が落ち着き、幕府の体制が確立した頃に権力の座についたわけだ。綱吉は「生類憐み令」を出したことで後世から悪く思われているのだが、この悪法が25年間も励行されたのは、綱吉が絶対君主であり、彼に諫言できる者がいなかったからなのだ。また、忠直は福井藩主となった人だが、父は家康の次男、2代将軍秀忠は家康の3男であり、長男は秀吉の命令で切腹していることから、「本来なら俺が将軍なのに!」と思っていたらしく、それが彼の乱行の背景にあったようだ。しかし、愛妾の一国と一緒に、人を斬らせて見物するのを楽しみとしていたとなると、これはもう狂気である。反吐が出るほどの暴虐ぶりだが、しかし、この福井藩にも、彼に諫言できる人物はおらず、いたずらに戦々恐々としていただけなのだ。彼等が悪人だったというより、狂気の人物が絶対的な権力の座につくことこそが恐怖である。

 史料の捉え方など、歴史を学ぶ楽しさも満喫できて、満足のゆく1冊であった。

  2007年1月16日 読了