花村萬月 『百万遍 青の時代(上)』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

還暦過ぎの文庫三昧

 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 新潮文庫の9月新刊。帯に「入魂の自伝的長編小説」とあり、著者の体験が織り込まれた作品であろうと推察するのだが、それにしても、自分のような平々凡々たる少年時代を過ごした者から見ると、この小説の主人公・惟朔の日常は凄まじい。まず、そのことに圧倒されてしまった。

 1970年11月25日、三島由紀夫が自決した日が、この小説の発端である。その日、惟朔は高校を退学となり、児童福祉施設から放逐されてしまう。15歳の少年が、自分ひとりの才覚で生きてゆかなければならなくなってしまったのだ。彼はまず中学の同級生を訪ね、彼のアパートにねぐらを求めようとするが、一緒に出掛けて暴力沙汰を起こし、それもかなわなくなってしまう。次にやはり同級生の幸子を訪ね、一人暮らしの彼女のヒモ的な生活に落ち着くが、惟朔は日々の安寧に落ち着けないタイプらしく、幸子の貯金を持ち出してそこを飛び出してしまう。次に、施設で一緒だった健のところへ転がり込むが、彼は暴力団の一員となって下っ端仕事をしていた。惟朔はそこで本物のやくざと交流することになり、かなり危ない生活を送る。しかし、惟朔は自分がやくざになるつもりはなく、やがて、牛乳配達の仕事を見つけて、健のところからも離れてゆく。この上巻では概ねそのようなストーリー展開である。

 だが、文庫本とはいえ上下巻ともに500ページを越すこの大作の場合、ストーリーを追うことにはほとんど意味がないだろう。それより、描かれるその場の圧倒的な臨場感がこの作品の持ち味だと思う。暴力、セックス、麻薬と、15歳から16歳になる惟朔は強烈な刺激の洗礼を受けつつ、大人たちや女から好かれるような立ち居振る舞いを演じ、確実に成長してゆくのだ。かなり危険な場面にも遭遇するけれど、本能的ともいえる危機回避能力を発揮し、立ち直るのである。そして、著者は自分の分身であろう惟朔を一定の距離を置いて描き、感情にも行動にもディティールを重んじて、細大漏らさず表現してゆくのだ。これはやはり凄まじいとしか言いようのない若者の生き様なのである。

 古くから少年の成長過程を描いた文学作品は多いが、それらの多くは教養小説的な色彩が濃い。この作品のように、アウトローに片足を置きながら、もう一方の足で地道な世界を模索するような成長物語は珍しいのではないか? 著者・花村萬月の従来作品に物足りなさを感じたものだが、ようやくこの作品でその稀有な才能が結実したように思われ、非情に満足である。

  2006年9月11日 読了