「ええ!何?いきなりその展開は?」

予想通り、出勤するなり蛍から昨日の報告を受けて奈緒美は驚いた。

「急展開でしょ・・・」

苦笑しながら首元に手をあてた蛍の、その指先に奈緒美は目をやる。

「あ!もしかして・・・それプレゼント?ダイヤ?」

「う、うん。判る?」

「そりゃ・・・あんた、アクセサリーしない子がネックレスしてきたら、それは

男からのプレゼントって相場が決まっていて・・・」

「でも、内緒よ」

うん、頷きつつ、奈緒美は自分の席に就く。

ここ数日間の憂鬱がどこかに吹き飛び、今日は一日仕事を頑張れそうな

気がしてきた。

そんな折、午後一番でソリッドパヒュームのテスターとして、蛍は11階に

呼ばれた。

こうして歩く11階の廊下も、今までとは違って見える。

押さえても押さえきれない溢れる想いを抱いて、研究室のドアを開ける

しかし、出迎えたのは・・・

「ホタル、いらっしゃい」

笑顔のエレナ・ワトソンだった。

「ゴメンね、予定より早めに呼んじゃった。タカシは会議中よ」

何の話があるというのか、急に蛍は不安になる。

とりあえず、応接室のソファーに座り、出された紅茶のカップを受け取る・・・

「まず、私とタカシはなんでもないのよ。それに私には最愛の婚約者がいるの。

誤解されると嫌だから言っとくわね」

「じゃあ・・・あの、駐車場で・・・」

ふふふ・・・苦笑しながらエレナはブロンドの髪をかき上げた。

「あれは、わざとしたの。ホタルが嫉妬するように」

え・・・蛍は思考回路が停止した。

「こんな事でもなきゃ、2人は進展しないばかりか遠ざかりそうだったから」

確かに、失いかけて初めて蛍は自分の気持ちに気付いた。

しかし・・・

「にしても、酷いですね。弄ばれたみたいで気分悪いですよ」

「だから、ごめんなさい。あの後、貴志がめちゃめちゃ怒ったのよ。

貴女との仲が壊れたら責任取れって、それだけ言って貴女を追いかけて

行っちゃった」

そして、貴志は蛍のアパート付近に現れたのだ。

「これだけは信じて、彼は確かに何人かの女性と交際したけど、こんなに

迷ったりうろたえたりしたのは、ホタルが初めて。恋愛にクールだった貴志が

崩れるのを見るハメになろうとはねえ・・・・」

エレナが伝えたかったのはこの事なのだ。

「それって」

「今までは本気じゃなかった。でもホタルには本気だって事。

だから、信じてあげて」

そして、微笑みつつ、エレナはホタルの頬にそっと触れた。

「応援してるわ。タカシにはホタルが必要だと思うから。彼、見た目より

へタレなの。だから、まっすぐに、無償の愛で支えてくれる人が必要なのよ」

そういってエレナは自分のカップを片付けに立ち上がった。

「変な細工してごめんなさい。悪気はなかったの」

「判ります。ありがとうございました」

エレナの背に、蛍はそう告げる。

結果的には、蛍は自分の気持ちに気付き、今、貴志と正式に交際している

のだから・・・

「アレ?秋月さん、早いね~もう来てた?」

会議を終えて、ファイルを抱えて入ってきた貴志が驚いた顔をした。

「タカシ~もう秋月さんはないでしょ?もっとステディな呼び方はないの?」

カップを洗い、棚に仕舞いながらエレナは振り返って言った。

「いや、会社じゃ蛍ちゃんなんてマズイだろ?」

蛍ちゃん?蛍は渋い顔を向ける。年下にちゃん付けされるとは・・・・

「そうねえ・・・まだ秘密の関係なんだしね~なんだかワクワクしてきた~」

「面白がるなよ。ところで、お茶は・・・飲んでるね」

蛍の手元にティーカップがあるのを確認して、貴志は向かいのソファーに座る。

いざ貴志を前にすると、蛍は緊張して言葉も出ない。

今までとは違うのだ・・・そんな思いをもてあまして。

「はい、コーヒー。私は研究室に入るから、ごゆっくり」

貴志にコーヒーを入れてエレナは去っていった。

何か話そうと話題を探すが、焦って何も出てこない。そんな蛍に貴志は

微笑むとテーブルに頬杖をつく。

二人の距離が少し近づく。

「あ、呼び名、なにがいい?ちゃん付け嫌?」

は、あ・・・

沈黙が流れる・・・

「勿論、会社では秋月さんて呼ぶけどね」

「その話は、社外でした方が・・・今は仕事を」

ああ~頷きつつ貴志は立ち上がり、手にしたファイルを棚に戻し始める。

「OK~近々デートしてくれるって事だよね?」

「え?何でそういう事になるんですか?」

驚く蛍を振り返りつつ、貴志は笑う。

「プライベートで話そうって事は、デート申請じゃないの?」

はあ・・・この独特の貴志のペースにまだ慣れずに、蛍は戸惑う。

が、デートは断る理由もない。

「そうですね、仕事のない日に連絡ください」

「わかった、メールする。で・・・これがテスター用の
ソリッドパヒューム。

試してみて。他のテスターさんには明日配る予定だから」

渡された小さな容器は手の中にすっぽりと納まる。

そのふたを開けて、蛍は少量をすくい取ってみた。

「どう?エレナ作なんだけど」

そう言いつつ、貴志は再び蛍の向かいに腰掛ける。

「驚いた・・・香りはそのままですね」

「でもアルコール使ってないからね~香りの飛び方には差が出るし、微妙に

イメージは変わるかも知れないね」

ああ、そうか・・・頷きつつ、蛍は指先の香りを嗅ぐ。

「テスターさんからのOKが過半数を超えたら販売許可が下りるかな~

ってとこかな」

はいー蛍は立ち上がる。

「あ~もう帰るの?」

貴志もつられて立ち上がり、蛍の後を追う。

「室長も御忙しいでしょうから」

と振り向こうとした蛍の肘を貴志は掴んだ。

「エレナと何を話してたの?」

この部屋に入ってきた時から、貴志はずっと気になっていた。

「先日のフォローです。室長とはなんでもないって・・・」

「信じる?」

「はい。信じようと思います。私の心に映る室長を」

うん。安心したように頷いて貴志はそっと蛍の肘から手を離した。

「貴女を裏切らない。約束する」

交際を正式に始めてから、貴志は蛍にだけは素の顔を見せるようになった。

不敵な仮面の下にある素顔は、まだ幼い少年のように脆い。

正面で向き合って、蛍は微笑みつつ貴志の手を取り小指を絡ませた。

「約束はこうして、指切りするんですよ」

そんな無邪気さが、どこと無く母に似ていたのだと貴志はぼんやり考えていた。




「室長、私・・・見たんです」

「ああ、それを弁明するために、俺は追いかけてきたんだ」

(え・・・そこであったのは偶然ではなく、私を追いかけてきたというの?)

「意外って顔しないの~これでも嫌われたかなってビクビクしてるんだから・・・」

え・・・蛍は頭が真っ白になる。

「気が付かなくて、ゴメン。エレベーターの前で、待っててくれてたんだよね 俺の事。エレナは気付いてて

さ、わざとふざけてあんな事を・・・」

「すみません、私・・・はっきりしない態度とってばかりで。自分でも自分の気持ち判らなくて。でも今回エレ

ナさん来て、嫉妬してる自分に気付いたんです」

そこで区切ると、蛍はアイスティーを一口飲んだ。

「嫉妬・・・」

エレナに対して、男友達のような感覚しか抱いていない貴志は、理解に苦しんだ。

「どうして、エレナに嫉妬するんだろうか・・・」

「だって、私と比べ物にならないくらい実力があって、エリートで、美人で 私より室長の事よく知ってて・・・

私なんかよりずっとお似合いで・・・」

え・・・ 今度は貴志がフリーズした。

「ああ、待った待った。だから、エレナと俺の事、誤解してたんだ? 彼女を女だと思ったこと一度も無い

よ?あちらもそうだと思うけど」

「あんなに魅力的な人を・・・ですか?」

ふうん・・・貴志はようやく余裕を取り戻した。

「エレナに俺を盗られたと思ったんだ?」

蛍は深呼吸をして、思いつめたように貴志を見つめる。

「私、室長の事、誰にも渡したくありません。もし、以前のプロポーズがまだ有効なら・・・」

いきなり貴志が蛍の手を掴んだ。

「え、マジ?つきあってくれるの?結婚前提で?」

結論を先に言われて、蛍は言葉をなくす・・・

「場所がかなり、計画していたものと違うけど・・・まあいいか」

貴志は立ち上がると上着の内ポケットから何かを取り出し、蛍の後ろに回りこんだ。

「オフィスでもつけていられるように、小さめなものを選んだんだけど」

とネックレスを蛍の首にかけ、止め具を止める。 蛍はカバンから手鏡を取り出して、首元を移して驚きの声

を上げた。

「これ・・・ダイヤですか・・・」

プラチナのチェ-ンの真ん中には小さなダイヤが一つ輝いていた。

「小さくてゴメン。でも仕事中もつけていて欲しかったから。これだと制服にもつけられるし目立たない

し・・・本当は近いうちに、俺からもう一度これで、レストランで夜景を見ながら、正式にプロポーズするつも

りだったんだけど、先越されちゃったな・・・」

「すみません・・・そして、ありがとうございます」

こんなに簡単に自分の想いが叶うとは、蛍には夢のようだった。

「いや、嬉しい。まさかの秋月さんからの告白・・・」

改めてそう言われると恥ずかしくて、蛍は俯く。 思いっきり気負って、恥も外聞も捨ててしまってフライング

した自分が恥ずかしい。 沈黙が二人を包む。

「あ、出ようか・・・家まで車で送るよ」

貴志に腕を引かれて蛍は店を出た・・・・ 貴志の車で蛍のアパートまでは5分とかからない。

「上がって、お茶しますか?」

一応、結婚限定でつきあう事になったので、このまま返すのも悪い気がして 蛍はそう誘ってみる。

「いや、すぐ部屋に上がりこむのもアレだから、今日は帰るよ。あ、携帯貸して」

アパートの前で車を止めて、貴志は蛍の携帯に自分の携帯番号を入力した。

「今度からは無作戦に待ち伏せしてないで、メールして待って」

と、蛍の携帯で自分の携帯に電話をかける。

「これで貴女の番号も登録させたし、また連絡するよ。」

そう言って去っていく車を見送りつつ、蛍は唖然とする。

今日一日、色々あり過ぎた。 貴志を待ち伏せして、エレナと貴志のラブシーンを目撃し、奈緒美のところ

に 駆け込み・・・・・


貴志と再会、結婚を前提につきあうことになり・・・・

こんなに色々あった一日は今まで無かっただろう。 そして、まだ夢を見ているようだった。

そっと首筋のネックレスに手を当てる。 指先に触れるダイヤが、これは夢ではなく現実なのだと教えてく

れる。

しかし、それは多分、平坦な道程ではないだろう。

玉の輿、シンデレラ・・・・そんな身分と引き換えに、嵐の中に自ら飛び出したのだ。


しかし、今は未来に対する不安よりも、湧き上がる幸福感の方が何倍も強い。

たとえ、険しい道でも、貴志を失うよりはマシだと思えた。 いくら頭で考えてもわからない。

ただ心が貴志を求めていた・・・

部屋に入り、シャワーを済ませ、就寝準備を済ませると、ベッドに横たわり 携帯を手にする。

(おやすみメールしなきゃ・・)

ー今日はありがとう、また明日。おやすみ・・・-

しかし・・・蛍よりも先に、貴志からすでにおやすみメールが来ていた。

メールを返信して、手の中のネックレスを見つめる。

問題は山ほどある。不安も山ほど・・・ それを乗り越えて行く強さが、自分にあるかどうか、自信は無い。

それでも、貴志を誰にも渡したくないなら、自分で勝ち取るしかないのだ。

そう、決意しつつ、蛍は眠りに就いた・・・

 元気の無いまま、蛍は一週間過ごした。

詳しく考えて見れば、自分と貴志とは、何の関係も無かったという事が身に染みて

わかった。

嫉妬する資格さえない事・・・連絡を取りたくても、術が無い事・・・

蛍は、貴志について何も知らない。住所も、携帯の番号も・・・

そんな自分が用も無しに11階をうろつく事は出来ない。

用事を作ろうにも、レポートは出したし、出る幕が無い。

これはプロポーズされておきながら、曖昧にしていた罰ではないかとさえ思われる。

この気持ちは、どういった種類のものなのか・・・

今まで自分に言い寄っていた男が、他の女性と親しくしているのでプライドが傷ついたのか・・・

それとも・・・自分は貴志を・・・・

最後にもう一度会って確かめたかった。

それから3日間、就業後に、一階のロビーで蛍は、降りてくる貴志を待ち続けた。

研究室勤務の社員は、かなり遅くまで残業している。

だから、だめもとで9時まで待っては、会えずに帰るを繰り返していた。

4日目も諦めて帰ろうとエレベーターに背を向けて歩き出した。

「もう~タカシったら・・・」

エレナの声がした。しかも、タカシ・・・明らかに二人一緒に帰る途中だ。

思わず、非常階段の影に隠れてしまった。

(どうすればいいの?)

並んで玄関に向って歩いているエレナと貴志の後姿を、ただ見つめている自分が惨めだった。

(一緒に帰るの?)

かなりの距離を置いて、見知らぬ振りで、二人の後を追う。

同じ方角なら、一緒に帰ることもありだろう・・・でも

(まさか泊まって行くとか無いよね・・・)

脳内、色んな思いを巡らせつつ、蛍は社員用の駐車場まで尾行した。

そして二人を見つけた蛍は、一瞬フリーズした。

薄暗い駐車場で寄り添いあう二人・・・

見てはいけないものを見てしまった事に気付いて、蛍はきびすを返して、その場を去った。

「おい、何のまねだ?」

エレナを突き放した貴志は、怒りを露にした。

「ジェラシーは恋のエッセンス。あのコいたわよ」

(あのコ・・・とは秋月蛍の事だろう。しかし・・・)

「何故ここに彼女が?」

ふふふ・・・貴志の車のもたれてエレナは笑う。

「エレベータのところでタカシを待ってたのに、私が一緒だったから、声かけられなくて尾行してきたのよ。

気付かなかったの?」

それで、何故あんな事を・・・貴志には理解不可能だった。

「お前は俺と彼女の仲を裂きたいのか?」

「まさか・・・言ったでしょう?
ジェラシーは恋のエッセンスだって。もし、あのコが本気なら、

貴志に談判にくるわ」

来るものか・・・貴志は絶望する。

相思相愛ならまだしも、自分からプロポーズしておいて、他の女といちゃついていたとあっては、

愛想を付かされるのが関の山だ。

「あ~あ、タカシは女心が判らないのねえ。大丈夫よ、ちゃんとフォローはしてあげる

でも、はっきり言うのよ?俺にはお前しかいない とかそういうクサい台詞・・・」

(何で、クサい台詞を言わなきゃならないんだ・・・)

貴志は半泣きだった。


「え?!室長がエレナ・ワトソンと?!」

その足で、奈緒美のアパートに行った蛍は、駐車場での事を話した。

「まさか・・・それ、西洋人のスキンシップじゃないの・・・」

「だとしても、嫌とか思っちゃった・・・」

ふうん・・・奈緒美は立ち上がってキッチンでコーヒーを入れ始めた。

「落ち着け、落ち着け。まだ、本人に確認したわけじゃないし、とにかく、会って、事情を聞いて、怒れ」

「怒る・・・」

そんな資格が自分にあるのだろうか・・・

「そうでしょ?蛍に告っておきながら、他の女とベタベタするのは怒っていいよ。

そして、ちゃんと返事しなさい。いつまでもあやふやで宙ぶらりんだからこうなるのよ」

そういいつつ、コーヒーカップを差し出す。

「でも・・」

カップを受け取りつつ、蛍は俯く。

「まだ心残りあるの?こんな事になって、動揺して、ショック受けて、落ち込んでるのに、まだ自分の

気持ちが判らないとか言うつもり?今日は帰って、よく考えなさい。今度は蛍が追いかける番ね」

私が・・・

「もしダメだったとしても、後悔だけは残さないようにしなくてはね」

玄関でそう決意して、蛍は奈緒美の部屋を出て、自分のアパートに向って歩いていると、不意に後ろから

呼び止められた。

「秋月さん」

貴志の声だった。振り返ると車から降りて、こちらにやってくる・・・

「どうしてこんなところに?」

「よかった・・・探せて。話がしたいんだけど・・・」




「すみませんこんなところで・・・」

家に上げるわけに行かず、時間的に遅いのでカフェも閉店時間が迫っており、だからと言って

バーやラウンジで話す気にもならず・・・

たどり着いたのは駅の構内のファーストフードの店。

学生じゃあるまいし、イシスの後継者と行くところでもないが、一応、終電までは経営している。

「いや、話が出来ればどこでもいいよ」

アイスティーとホットコーヒー、ドリンクを片手に席に着くと、ちらほらとカップルがいる事に気付く。

「割とお客さんいるんだね、この時刻」

「バーやラウンジほどじゃないですけどね」

「あんまり、バーとか行かないほうじゃない?」

「そんな事無いですよ、行く機会が無いだけで。女同士であんまり行かないでしょ?

会社の飲み会とかは行くし、まあまあ飲める方ですよ。あんまり酔うまで飲まないけど」

蛍の飲める宣言は貴志には以外だった。

てっきり下戸だと思っていたのだ。それほど蛍の印象は素朴で真面目だった。

「酔うまで飲まないって事は、酒で失敗しないように気をつけてるって事?」

「そうですね。それに女の酔っ払いって見た目にもねえ・・・」

ああ・・・貴志はなんとなく理解する。

「隙が無いから、男が寄ってこないんだね」

ええ・・・と思いつつも、よく考えるとそうかもしれないと思う・・・

「じゃあ・・・室長は何故・・・」

「寄ってきたか?だから、一目ぼれ」

ふっ・・・蛍は笑う。信じていいものやら・・・

そして、覚悟を決めて、貴志に向き直った。



エレナ・ワトソン・・・・

3日前にイシスに現れた助っ人技術者・・・

貴志が呼んだソリッドパヒューム要員だが、彼女が来てからと言うもの蛍は何処となく元気が無かった。

原因は・・・わからない。いや明確なのかも知れない。

認めたくないだけで・・・・・

初めて彼女に会ったのは、3日前。

11階に呼ばれて研究室に行けば、いつも独りで作業している貴志の横に

ブロンドの麗人がいた。

背は貴志と同じくらい高く、モデル並みのプロポーションで、とても華やかな顔立ちをしていた。

何より、貴志と親しそうに何か話したり、西洋人にありがちなスキンシップを交わしているのを見て

いたたまれなく感じたのだ。

「始めまして、あなたがホタルね?噂はタカシから聞いているわ。噂にたがわず可愛い人ね」

と言いつつ、ハグされた。とても無邪気な笑顔だった。

「おい、日本じゃそういうベタベタはご法度だから辞めなさい。特に彼女にはね。

そういうの慣れてないんだから・・・」

応接室での出会いは、そんな会話で始まった。

「エレナ・ワトソン、先日話した俺の相棒だよ。語学も堪能でね、英語、日本語、ドイツ語と3ヶ国語話せる。

まあ・・・日本語は俺が教えたんだけどね」

にしても、流暢な日本語だった。

「あら~私だってタカシの留学時代、色々お世話してあげたじゃないの?」

「うん、大学の後輩。見えないだろうけど、1つ年下」

大学の後輩・・・貴志でさえ高校をスキップして留学しているのに・・・・

「当時、お子様は私達しかいなかったからねえ。もう、友達になるしかないわよねえ」

「彼女はアメリカの化粧品会社、カメリアの社長令嬢でパヒューマー、あちこちで引く手あまたの

エリートだよ」

「私の話はいいわ、退屈だもの。それより、ホタルの部署はどこ?」

「4階の・・・総務です」

エリート2人を前に、総務の平社員である自分がいたたまれない・・・

「じゃあ、なかなか逢えなくて寂しいわね」

その後、どんな話をしたか、あまり覚えていない。

なんだか自分の位置を思い知らされた・・・

というか、自分は貴志にふさわしい人間ではないと実感させられた。

夢は一気に覚める・・・・

「最近11階からお呼びないのねえ」

奈緒美
が社員食堂で昼食をとりながら訊いて来る

「ああ、試作のテストは一旦終了して、リリースへの仕上げと、練り香水の製作に入ったからねえ・・・」

「ああ・・・あの金髪美人・・・練り香水の技術者として呼ばれたんだってね」

うん・・・

浮かない顔の蛍が気になる奈緒美・・・

「どうかしたの?天宮室長と何かあった?」

「ないよ、なにも・・・ないまま終わりかな・・・って」

「それ、金髪と室長が仲いいとか」

うん・・・

「私より、室長の事詳しいし、エリートだし、美人だし・・・」

はははは・・・奈緒美は大笑いする。

「あんたより室長の事詳しいのは当たり前でしょ。あちらで一緒に仕事してたって聞いたし~

西洋人だからちょい馴れ馴れしいのも仕方ないし~なんでそんなんで自信なくすかな・・・・」


なくすのよ・・・それが・・・蛍はため息をつく。

「なに?もしかして、嫉妬してるの?」

ええ・・・まさか・・・奈緒美の言葉に蛍はフリーズした。

「気付いてないみたいね・・・でもそれ、やきもちって奴よ?」

にやにやして、奈緒美はそう言う。

「そんなあ・・・室長とはなんでもないのよ・・・やきもちなんて妬く訳・・・」

無いと言いたかったが・・・・

「自分に言い寄っていた男が、他の女と仲がいいから、嫉妬した・・・ってとこかな」

あ~あ・・・額に手を当てて蛍は絶望する。そんな俗物にはなりたくは無かったのに・・・

「いい機会じゃないの?自分の気持ち、よく吟味しなさいよ。どうでもいいとか勝ち目がないから

諦めるとか、相手の気持ちがよそに行ったからもういいとかなら

結局それだけのものなの。奪い返すくらいの想いがないと、あの人は難しい」

それはそうかもしれない・・・

いつまでも埒があかない態度だと、貴志はそのうち去っていくかもしれない。

富み、名声、社会的地位、容貌・・・貴志は何の不足も無いのだから・・・

いつかは自分よりいい人を見つけるだろう・・・


それが少し早くなっただけ・・・

「なんだか自分が浅ましいわ。これって、ちやほやされなくなったから焦っているだけじゃないの?」

「さあ、冷静に見るのよ。本当に室長は蛍に対しての態度を変えたのかどうか・・・

私的には変わったのは蛍だと思うけど?」

私が・・・・?

首を傾げつつ、食事を終えて席を立つ奈緒美の後を追う。


あいたい・・・あいたい・・・そんな想いが沸いてくる。

しかし、用も無いのに11階をうろつく事も出来ない。

ばかばかしい・・首をふりながら邪念を振り払う。

「何?タカシ!まだ恋人にもなっていないの?」

午後の休憩時間、研究室の応接室でエレナはコーヒーのカップを片手に叫んだ。

「ガードが堅くてねえ。俺、遊び人と思われてて、信用無いんだ」

向かい側のソファーに腰掛けた貴志が苦笑した。

「まあ、遊び人なのは仕方ないけど・・・」

「あ~そういうこと言う?」

「来るもの拒まないじゃない。まあ、ツケが回ってきたのね~」

ケラケラ笑うエレナに貴志は半泣きになる。

「そんなに酷い事した?俺・・・」

「ううん。まあ、相手も軽いコばっかだったから、お互い様ね。でも今度ばかりは

罪になるかもね。今までのコと違うわよ?彼女」

判っている・・・だからどうしていいのかさっぱりわからないのだ。

「責任取る気はあるの?」

「責任て・・・添い遂げたいんですが・・・」
ええ~!!

大げさなエレンの驚きように貴志はさらに落ち込む。

「なに?それ・・・俺には本気とか無いわけ?」

「というか・・・タイプが全然違うじゃない、今までと」

長い沈黙を経て、エレンは再び口を開く。

「それって・・・マジ、本命なの?というか・・・タカシの本気なんて初めて見た・・・」

どんな言われようなんだ・・・貴志はだんだん哀しくなってきた。

「ごめん。初心なコ見つけてちょっかい出してるとしか思えなかったから・・・」

とコーヒーを一気に飲み干す。

「そうか・・・タカシって思いがけず純粋で一途なんだ・・・」

思いがけず・・・という言葉にひっかかりつつ、貴志はコーヒーを飲む。

「まあ、私のカンでは彼女、タカシの事好きだと思う。まだ自覚ないみたいだけど」

「どこを見てそうなんだよ・・・」

ふふふふ・・・エレンは含み笑いをした。

「私に嫉妬してた・・・」

まさか・・・半信半疑の貴志を背に、エレンは立ち上がる。

「うまく嫉妬心を煽れば、告白してくるかもよ?」

おいおい・・・不安な思いを隠せないまま、貴志はカラのカップを片付ける。

彼女、タカシの事好きだと思う。まだ自覚ないみたいだけどー

本当にそうなら、どれだけいいか・・・

今ひとつ、蛍の気持ちがわからず、冗談を言う傍らで手探りな貴志は、そんなエレンの言葉に

一抹の希望を見出してしまった。

「タカシ~?」

作業を始めるためにエレンの隣に来た貴志の顔を、エレンはからかい半分に覗き込む。

「実は喜んでる?嬉しい?」

「別に・・・」

「うそお~手伝ってあげようか?」

「いい。彼女にはそんな小細工は効かないから」

ええ~?初めて見る、貴志のべた惚れっぷりに、エレンは目を丸くした。

「タカシ、マジなの?」

「うるさい・・・彼女に変な事吹き込むんじゃないぞ?」

それでなくても、信用無いのに・・

判りあえる親友ではあるが、本心さえ見透かされてしまうエレンは、貴志には時々苦手な相手となる。

特にこういう時に・・・

ー私とタカシは絶対恋人には、なれないよね~-

学生時代、笑って言っていたが、本当にそうだ。

最愛の人の前では、弱い自分は見せたくない。精一杯の強がりに騙されて欲しい。

なのに・・・エレンには全てが見えてしまう・・・

一方、蛍は、貴志の一言一言に翻弄されている。

それが貴志には心地いい。

化けの皮が剥がされないという安心感がある。

友達なら、全て判りあえる仲はいい。

が・・・好きな女性の前では男は格好をつけたがるものなのだ。

そうでありながらも、本心を判って欲しい・・・


男心は複雑なのだった。



会社の近くのファミレスで、蛍は貴志と向かい合って昼食をとる・・・

「初めての一緒の食事が、ファミレスで申し訳ない、この次はもっといいところ予約するから」

パスタをフォークでくるくる巻きながら。貴志は笑ってそう言う。

「充分ですよ、ファミレス上等。どこで何を食べるか、よりも誰と食べるかが重要でしょう?」

ピラフを口に運びつつ、蛍は真面目な顔で言うと、貴志は急に真剣な表情になり、蛍を見つめた。

「なにか・・・悪い事言いました?」

「いや、そんな事言ってくれるのは、今までで、うちのお母さんと秋月さんだけだったから・・・」

(まったく・・・どんな交際してるんだか・・・)

蛍は呆れる。

「それって、食事にお金かけないと怒る女性ばかりだった、ってことですか?」

「普通そうでしょ・・・ワリカンなんてありえないし、男は奢ってなんぼ・・・だから、今のは秋月さんポイント高いよ」

「高いんですか・・・普通じゃないって事でしょ?安上がりな女って事?」

いや・・・貴志はにっこり笑う。余裕の、勝ち誇ったような笑顔で・・・

「俺の目は確かだって確信した。やはり貴女は本物だ。で・・・俺とメシ食えて嬉しい?」

えっ・・・・話が意外な方に向いて、蛍は戸惑う。

「はあ・・・まあ・・・光栄ですけど・・・」

はあ・・・ため息をつき、貴志は首をふる。

「堅いなあ・・・取引先の接待じゃないんだから・・・うれしい~とか幸せ~とか言えないの?」

(いえ・・・仕事で来てるんですか・・・)

言葉も無く、蛍は苦笑した。


食後、再び、研究室に篭る貴志を、応接室で蛍は見守る・・・・

独り、黙々と仕事に打ち込む貴志を、ガラス越しに見つめるのが、蛍には心地よかった。

言葉には、本音も建前も嘘も隠されている・・・

実は言葉など無い方が、真実に近いのかも知れない・・・

今、自分の前の貴志こそが、一番真実に近い気がした。

(他の研究員は仕事しているのに、私はここでくつろいでそれで仕事なんて・・・のんきなものね)

思えば、貴志出会ったあの日から、急速に蛍の日常は変化を起こしている。

今では11階に出入りし、他の同僚達が姿を拝む事も難しい、イシスのプリンスとこうして

会話し、共に食事をする身分となった。

だからといって、浮かれているわけには行かない。

そう・・・

イシスのプリンスに、ーミューズになって欲しいーと言われたからと有頂天になってばかりはいられない。

天宮貴志・・・

関われば関わるほど理解不可能な人物だった。

第一印象は、軽い遊び人だった。

そしてその彼が、イシスの後継者候補と知り、さらに複雑な政権争いと、家庭環境の中にいて

時々、寂しげな一面を見せる・・・

しかし、関われば関わるほど、放っては置けない気がする。

それが同情なのか、愛情なのか、友情なのかは判らない。か、明らかに”気になる人”である事は確かである。

このままだらだらと、中途半端な関係を続けるのか・・・

それとも、いつかは結論が出るのだろうか・・・

しかし、いくら結論を出したからと言って、自分が天宮の、一族に入るなどという事は考えられない。

シンデレラとか、玉の輿とか、そんなものを夢見るほど脳天気ではない。

身の程というものを知っている。平凡な幸せがどれほど重要なのかも知っている。

そう言う意味では、貴志と関わって良い事は何も無い。

天宮の権力争いに巻き込まれる恐れも大いにあり、さらに、火の粉は自分にも降りかかってくる恐れもある。

だからといって、貴志と関わらないで離れる事も辛い。

運命というものは自分ではどうにもならないものだ。

いつ、どこに生まれて、どんな親の下に生まれるかは選択に余地が無い。

平和な国に生まれる者、戦乱のさなかに生まれるもの、温かい家庭に生まれるもの、冷たい親の元に生まれる者

生まれて直ぐ親に死に別れる者・・・・それは努力でどうにかなるものではない。

そんな運命のなかで、貴志は身悶えしながら生きている。

それが蛍には判る・・・・・

軽い振りをするのも、どうでもいいような言い方も、皆、寂しさの裏返し。

本当の事をいう事も出来ず、我侭も言えず、本心を隠して生きてきた哀しい後姿を見てしまったのだ・・・

だから、貴志を見捨てる事は出来ない。

蛍には、貴志が自分に助けを求めているように思えてならないのだ・・・・

だからといって、この思いは同情なのか、愛情なのか、友情なのか区別が付かない。

ましてや、天宮一族に入り込む気など、これっぽっちも無い・・・・

もし、貴志と結婚などとなると、その苦労はハンパ無いだろう・・・

けれど、もし、つきあうなら、それも覚悟しなければならない。

ただの遊びで交際するつもりなど蛍には無いし、つきあうなら結婚を前提としてであるべきだと思う。

そうなるともう、逃げられない・・・・

ただ・・・それは貴志が本当に、蛍と結婚する気があるのかどうかだが・・・・

実はまだ、蛍自身、そこに自信が無い。

貴志が自分に対して、本気なのかどうか・・・・


「何百面相してるの~?」

我に帰ると目の前に貴志の顔があり、蛍の顔を覗き込んでいた。

「しっ室長ぉ~~~」

はははは・・・・

腹を抱え、大笑いしている目の前の貴志に苦笑しつつ、蛍は照れて俯く。

「いつからそこに・・・」

「うーん・・・かなり前から・・・」

・・・・・しばし、沈黙が流れた・・

「嘘、ついさっき来たばかり。でも、何をそんなに深刻に考えていたのさ?」

「私の室長に対する想いを・・・」

はあ・・・・首を傾げつつ、右手を顎に当てて、考える貴志・・・

「気になるんですよ・・・とても。何だか心配で・・・でもこれって、同情なのか、友情なのか、愛情なのか

判らないなあ・・・・って」

今まで、誰にもそんな風に悩まれた事が無かった貴志は、一瞬フリーズした。

蛍と出会って、交わす会話の一つ一つがあまりにも新鮮すぎて、マイペースがガタガタに崩された気分がした。

そして、それもかなり新鮮で、悪くないとさえ思うのだ。

「俺は愛情希望。少なくても、同情だけは避けたいところだが・・・・」

人の心とは、思い通りにはならないもの・・・それでも切に求めてしまうものなのか・・・

一瞬見せた、貴志の切なげな微笑に、蛍は心が魅かれた・・・・

「という事で、お疲れ様。ラスト・ノートだよ」

と、蛍の後ろに回りこむ。

「ああ・・・やはり、ラスト・ノートが個性的だね」

後でしゃがんで、蛍の肩に両手を置いた姿勢で貴志はそう呟く。

「いつも思う事なんだけど、香りは本当に神秘的だ・・・テスターの誰一人としてラスト・ノートに同じ香りが無い」

・・・そんなものですか・・・正面を向いたまま、蛍は首をかしげる。

「その中でも、貴女のラスト・ノートが一番好きだなあ・・・」

え・・・そう言われても・・・喜んでいいのか・・・めちゃめちゃ恥かしかったりする・・・

蛍が照れている間に、貴志は色々メモを取りながら、部屋をうろうろしていた。

「あ・・・それで、ソリッドパフュームね・・・今回のリリースから検討する方向で行くから。提案ありがとう」

「通ったんですか・・・提案が・・・」

うん・・・頷きつつ、ソファーに腰掛けると、貴志は足を組んだ。

「以前から、一部のテスターさんから要望はあったんだ、だけどあんまりポピュラーでないし、ニーズも無いかもと

スルーしてたんだけど・・・秋月さんの意見を聞いて、日本じゃやはり、香りに対してタブーが多いから必要かなあ

とも思った。で、秘書課で、アンケートとってみたら、やはり、ソリッドパフュームをこまめにつける人が多いんだよ

ね。まあ・・・そんなこんなでデーター持って社長に掛け合って、来月までには技術者呼ぶつもりでいる」

うわ~蛍はとたんに笑顔になる。

自分の意見が会社の・・・特に貴志の役に立ったとは・・・身にあまる光栄だ。

「うれしいです。お役に立てて・・・」

「うん、ありがとう。俺自身、専門じゃないから避けてたんだけど・・・決心がついたよ。あちらで一緒に仕事してた

専門家がいるから、俺のコネで引っ張ってくるつもり」

「親しい方なんですか?」

「うん。親友というか・・・戦友というか・・・まあ、また一緒に仕事出来るなんて、夢みたいだよ」

「良かったですね」

その時、

素直に蛍は喜んだ・・・

貴志の、親しくしていた友人が来て、共に仕事が出来ると言う明るい表情が嬉しくて・・・・