「ええ!何?いきなりその展開は?」
予想通り、出勤するなり蛍から昨日の報告を受けて奈緒美は驚いた。
「急展開でしょ・・・」
苦笑しながら首元に手をあてた蛍の、その指先に奈緒美は目をやる。
「あ!もしかして・・・それプレゼント?ダイヤ?」
「う、うん。判る?」
「そりゃ・・・あんた、アクセサリーしない子がネックレスしてきたら、それは
男からのプレゼントって相場が決まっていて・・・」
「でも、内緒よ」
うん、頷きつつ、奈緒美は自分の席に就く。
ここ数日間の憂鬱がどこかに吹き飛び、今日は一日仕事を頑張れそうな
気がしてきた。
そんな折、午後一番でソリッドパヒュームのテスターとして、蛍は11階に
呼ばれた。
こうして歩く11階の廊下も、今までとは違って見える。
押さえても押さえきれない溢れる想いを抱いて、研究室のドアを開ける
しかし、出迎えたのは・・・
「ホタル、いらっしゃい」
笑顔のエレナ・ワトソンだった。
「ゴメンね、予定より早めに呼んじゃった。タカシは会議中よ」
何の話があるというのか、急に蛍は不安になる。
とりあえず、応接室のソファーに座り、出された紅茶のカップを受け取る・・・
「まず、私とタカシはなんでもないのよ。それに私には最愛の婚約者がいるの。
誤解されると嫌だから言っとくわね」
「じゃあ・・・あの、駐車場で・・・」
ふふふ・・・苦笑しながらエレナはブロンドの髪をかき上げた。
「あれは、わざとしたの。ホタルが嫉妬するように」
え・・・蛍は思考回路が停止した。
「こんな事でもなきゃ、2人は進展しないばかりか遠ざかりそうだったから」
確かに、失いかけて初めて蛍は自分の気持ちに気付いた。
しかし・・・
「にしても、酷いですね。弄ばれたみたいで気分悪いですよ」
「だから、ごめんなさい。あの後、貴志がめちゃめちゃ怒ったのよ。
貴女との仲が壊れたら責任取れって、それだけ言って貴女を追いかけて
行っちゃった」
そして、貴志は蛍のアパート付近に現れたのだ。
「これだけは信じて、彼は確かに何人かの女性と交際したけど、こんなに
迷ったりうろたえたりしたのは、ホタルが初めて。恋愛にクールだった貴志が
崩れるのを見るハメになろうとはねえ・・・・」
エレナが伝えたかったのはこの事なのだ。
「それって」
「今までは本気じゃなかった。でもホタルには本気だって事。
だから、信じてあげて」
そして、微笑みつつ、エレナはホタルの頬にそっと触れた。
「応援してるわ。タカシにはホタルが必要だと思うから。彼、見た目より
へタレなの。だから、まっすぐに、無償の愛で支えてくれる人が必要なのよ」
そういってエレナは自分のカップを片付けに立ち上がった。
「変な細工してごめんなさい。悪気はなかったの」
「判ります。ありがとうございました」
エレナの背に、蛍はそう告げる。
結果的には、蛍は自分の気持ちに気付き、今、貴志と正式に交際している
のだから・・・
「アレ?秋月さん、早いね~もう来てた?」
会議を終えて、ファイルを抱えて入ってきた貴志が驚いた顔をした。
「タカシ~もう秋月さんはないでしょ?もっとステディな呼び方はないの?」
カップを洗い、棚に仕舞いながらエレナは振り返って言った。
「いや、会社じゃ蛍ちゃんなんてマズイだろ?」
蛍ちゃん?蛍は渋い顔を向ける。年下にちゃん付けされるとは・・・・
「そうねえ・・・まだ秘密の関係なんだしね~なんだかワクワクしてきた~」
「面白がるなよ。ところで、お茶は・・・飲んでるね」
蛍の手元にティーカップがあるのを確認して、貴志は向かいのソファーに座る。
いざ貴志を前にすると、蛍は緊張して言葉も出ない。
今までとは違うのだ・・・そんな思いをもてあまして。
「はい、コーヒー。私は研究室に入るから、ごゆっくり」
貴志にコーヒーを入れてエレナは去っていった。
何か話そうと話題を探すが、焦って何も出てこない。そんな蛍に貴志は
微笑むとテーブルに頬杖をつく。
二人の距離が少し近づく。
「あ、呼び名、なにがいい?ちゃん付け嫌?」
は、あ・・・
沈黙が流れる・・・
「勿論、会社では秋月さんて呼ぶけどね」
「その話は、社外でした方が・・・今は仕事を」
ああ~頷きつつ貴志は立ち上がり、手にしたファイルを棚に戻し始める。
「OK~近々デートしてくれるって事だよね?」
「え?何でそういう事になるんですか?」
驚く蛍を振り返りつつ、貴志は笑う。
「プライベートで話そうって事は、デート申請じゃないの?」
はあ・・・この独特の貴志のペースにまだ慣れずに、蛍は戸惑う。
が、デートは断る理由もない。
「そうですね、仕事のない日に連絡ください」
「わかった、メールする。で・・・これがテスター用のソリッドパヒューム。
試してみて。他のテスターさんには明日配る予定だから」
渡された小さな容器は手の中にすっぽりと納まる。
そのふたを開けて、蛍は少量をすくい取ってみた。
「どう?エレナ作なんだけど」
そう言いつつ、貴志は再び蛍の向かいに腰掛ける。
「驚いた・・・香りはそのままですね」
「でもアルコール使ってないからね~香りの飛び方には差が出るし、微妙に
イメージは変わるかも知れないね」
ああ、そうか・・・頷きつつ、蛍は指先の香りを嗅ぐ。
「テスターさんからのOKが過半数を超えたら販売許可が下りるかな~
ってとこかな」
はいー蛍は立ち上がる。
「あ~もう帰るの?」
貴志もつられて立ち上がり、蛍の後を追う。
「室長も御忙しいでしょうから」
と振り向こうとした蛍の肘を貴志は掴んだ。
「エレナと何を話してたの?」
この部屋に入ってきた時から、貴志はずっと気になっていた。
「先日のフォローです。室長とはなんでもないって・・・」
「信じる?」
「はい。信じようと思います。私の心に映る室長を」
うん。安心したように頷いて貴志はそっと蛍の肘から手を離した。
「貴女を裏切らない。約束する」
交際を正式に始めてから、貴志は蛍にだけは素の顔を見せるようになった。
不敵な仮面の下にある素顔は、まだ幼い少年のように脆い。
正面で向き合って、蛍は微笑みつつ貴志の手を取り小指を絡ませた。
「約束はこうして、指切りするんですよ」
そんな無邪気さが、どこと無く母に似ていたのだと貴志はぼんやり考えていた。