最近、お祖父ちゃんの夢をよく見ます。今朝方もお祖父ちゃんの夢で起こされました・・・・・・・


思い起こせば、家柄や家系ばかりが大切な、自尊心の非常に強い、頭がとても切れる人なのにその自尊心が邪魔をして、人に利用され、最後の最後まで騙されたことすら気づかず亡くなっていった父でした。

そんな、父が反面教師となり、わたしたち三姉妹は決して、保証人にはならないはずです。


格式ある家柄の(いまは、家系を継ぐ者もいなくなったただの旧家・・・)両親は、30代から自分の老後や家系を受け継いでいく子を残すことで頭が一杯だったようです・・・・・

わたしのお婿さん探しはわたしが中学二年生の頃からです・・・ですから、高校に入学したらさっそく自分のお気に入りの部下(その頃、大手の会社の上役でした・・・)を、クリスマスや正月に良く連れてきて、無邪気な私だけが蚊帳の外で、両親と相手だけが了解をしているお見合いでした。



中でも一番の父のお気に入りは、家柄のしっかりした田舎の末っ子で婿養子に来てもらえそうな人に目をつけました。あなたのお父さんです。

お父さんはママの事を気に入ってくれたらしく、その後は一人でケーキやお菓子を持って遊びに来ていました。その頃のママはそんな事とは知らず、無邪気でした・・・・・・・



あれよあれよと高校の卒業を待たないうちに結婚が決まり、正月明けに、お父さんの田舎に挨拶に行き婚約となったのですが、兄嫁の一人が「おじいちゃんが生きていたら、我が家から婿養子に出すことは承知しないだろう・・・」と云われ・・・ママは即「結構です・この結婚は無効にしてください・・・」って言ったのをはっきり覚えています。

東北地方の冬は寒く、ママは、婿養子に反対をしていた兄嫁の布団の中に潜り込んでしまったのです。

小太りの(ママはその頃は、細かった)兄嫁は、ビックリしたようですが、黙って添い寝をしてくれました・・・まるで電気毛布のようにフワフワで温かくよく眠れました。



卒業式の年の5月1日に結婚式を挙げ大阪に新婚旅行に行きました・・・あなたは、ハネムーンベイビィーちゃん・・・ようこそ、ママの所に・・・

まさか、こんなに早く妊娠するとは誰も思ってもいなく、ママがやたらと辛い物をほしがり、冬だというのにスイカもほしがり、妊娠と判ったら、みんなで一斉に冬のすいか探し・・・3個届きました。辛いものは禁止になりましたが、隠れて食べていました・・・・・・・・今のあなたの辛いもの好きはママのお腹にいる時からだったのですね・・・・・・・・・



ママは、まだ逢ってもいないあなたが愛おしくって・・・愛おしくって・・・見よう見まねでお婆ちゃんと一緒におむつを縫ったり、ボンボン帽子を編んだり、ロンパスを作ったり、本当に幸せな時でした。

ママが余りにも首を長くして待っていたせいか、それとも、動きすぎたからなのか、予定日より少し早く産まれてきました・・・2,900グラムの男の子・・・そう、あなたです・・・

ママは19歳、お祖母ちゃん41歳、お祖父ちゃん47歳みんなとても若いです・・・・・・

一番喜んだのはお祖父ちゃんです・・・待望の男の子ですから・・・我が家は安泰とばかりに・・・

お祖母ちゃんは、無条件であなたを可愛がりました・・・時折、我が子と間違えられてご機嫌・・・



でも、あんなにお互いに気に入りあって、ママの気持ちを無視してまで結婚させたはずの二人の仲は、仕事場と生活が一緒だったため、お祖父ちゃんは労働組合の長となり、お父さんは反対派(会社寄り)で家でもぶつかり合い、ママにお互いがお互いの不満をぶつけてくる毎日で、本当に逃げ場がなく、仮面性うつ病になってしまいました・・・そのとき、お祖母ちゃんが、「家を出なさい・・・」って助けてくれました。

お祖父ちゃんの意見に絶対服従だったお祖母ちゃんが初めて、ママを守るために自分の気持ちを言ってくれたのです。だから、お祖母ちゃんを大切にしなくてはいけませんよ・・・・・



社宅生活が3~5年くらい続きましたが、あなたにとってはこの時代が一番思い出も多く幸せな時だったのでしょうね。

その頃、お祖父ちゃんは会社を退職して技術を生かした仕事場を開業しました・・・その頃は、その職種のブームも重なり、お祖父ちゃんもジョジョに羽振りもよくなり、気前よく新築の家を買うように言ってくれ頭金を出してくれました。それが、のちのち夫婦関係、親子関係に亀裂をきたしたのです。



お祖母ちゃんが、次女の嫁ぎ先の義父の病院に入院をして留守で、ご飯を作りに行っていたときに、お酒が入ると気が大きくなるお祖父ちゃんが、お父さんに言った一言「おい、こら、甲斐性もないくせに・・・・・今日のお前は誰のおかげだ・・・・・誰のおかげで家が持てたと思っている・・・・・」・・・なななんてことを・・・



それからは、ママの生活は天国から地獄でした・・・毎晩。、お父さんから「お前の親父は・・・・・くっそ・・・」

もう、聞きたくない・・・・・お祖父ちゃんは自分の言ったことは、お酒が覚めたら覚えているのか、記憶にないのか二度とそのことには触れませんでしたが、しっかり覚えているお父さんは、腹の立ちどころをママにむけて、その日からあんたの親は・・・あんたの親は・・・ってお祖父ちゃんだけでなくお祖母ちゃんの事までグチュグチュ言いだし、そのときにあなたが高校生になったら別れよう・・・それまでは、自分の気持ちを表には出さないでおこうと誓ったのです。



でも、あなたが高校に入る前にママの限界が来る事件が起こりました・・・本当にママの忍耐力のなさで、あなたには可愛そうなことをしました。一度、離婚すると決めたら、もうママの性格的に止まりません。

仕事探し、家を売却してお祖父ちゃんに借りたお金は返す(その時にお祖母ちゃんが言ってくれたことは、「あんたには親の都合で行きたい大学にも行かせないで申し訳なかった。妹二人に使ったお金を思えばこれじゃあ足りないくらいなんだから返さなくてもいいよ・・・」って・・・・・でも、意地ぱりなママはお祖父ちゃんに借りたお金は返しました。



その後は、ママにも運が向いてきて仕事に恵まれ、母子家庭と言われないようにと必死に働いてきました。その分、大切な時期のあなたに目を向けることが出来ず、お祖父ちゃんお祖母ちゃんにまかせっきりでしたね。あなたは、大学生になって家を離れましたね。ママは沢山のスタッフを抱えていて、その子たちを可愛がり一人前にすることで、あなたの事はあなたの周りの人がママと同じように、あなたの事を大切にしてくれるはずと信じて、目の前の日々起こる出来事に追われる毎日でした・・・・・・・



みんな、助けてくれましたよ・・・ママはとても一人では乗り越えられなかった出来事に直面しても、いつもママの不出来を補ってくれる人がいました。ママは人を育てたつもりがいつの間にかスタッフや周りの人に育てられていました。感謝です・・・・・身に余るお給料に感謝・・・本当に感謝・感謝・感謝の日々でした。



あなたはきっとママのそんな後姿をきちんと見ていてくれたのですね・・・あなたはママよりもっと頑張っていると思います。素晴らしいと思います。

ママにお金の心配を一度も掛けず、家を買い、家族を養い本当によくここまで自立をしてくれたと思っています。ただ、家系的にお酒に飲まれやすいところがありますから、身体の事も考えて、お酒、たばこは少し控えて下さいね。



優しさは黙っていてはわかりません・・・感謝も心で思っているだけでは相手に伝わりません・・・間違いや失敗を誤れる勇気は何よりも強い自分の武器です・・・・・・ママはそうありたいと思って今まで生きてきました。まだまだそのような人になれるには遠いですけどね・・・・・・・



こんどは、あなたになぜ、お墓を変えようとしたかを伝えたいと思います。